「反射ですかね。まだ目は覚めないと思いますよ」
隣にいた若い看護師がそう言って窓から部屋を覗き込んだ。
けれど……
「動いたよ?!わあ!お兄ちゃん元気だね!」
「あっ!ほんとだ。頭動かしてる!ひろくんを探してるんじゃない?!」
「……本当に動いてますね。早過ぎますけど」
でも健斗はこちらを向いたのだ。そして目を開けて僕に向かってにっこりと微笑み、そのまま再び意識をなくしてしまった。
「もうあの子ったら。どれだけひろくんに心配かけたくないのよ」
「お兄ちゃんらしいわね」
さっきまでの地獄のような雰囲気は一変し、皆が笑い出す。健斗はいつもこうやって皆を安心させてきたんだろうな。
僕の目からは喜びの涙が溢れ出した。
※※※※※※※※※※※※※※※
目が覚めた時、俺は自分がどこにいるのか分からなかった。白い天井と腕に繋がれた沢山の管。規則正しい機械の音も馴染みのある物ばかりだったけど。
壁には色とりどりの動物のイラストが書いてある。
あ、ここはのぞみ子供病院だ。
なんだかすごくいい夢を見てた気がする。臓器提供者が見つかって元気になって。そして湯井沢と家族になってみんなに祝福されてた。
馬鹿だなあ。そんなうまいこと行くわけないのに。
このままだと高校生にはなれないって。
先生が父さんにそう話してたの聞いたばっかりだからかな。
……なんだ…全部夢だったのか。
俺の頬に絶望の涙が溢れた。
「健斗……?」
だが、遠慮がちにカーテンが引かれ、そこに現れたのは湯井沢だった。
「……え?あれ?湯井沢?お前なんか大人っぽくなってない?」
「まだ寝ぼけてんのか?…え?健斗、泣いてる?どこか痛いのか?」
湯井沢は慌てて側に来て冷たい涙を拭った。
「いや…痛くない。俺こんなとこで何してんの?」
そう聞いた途端にぶわっと目に涙を溜めた湯井沢が俺の首にしがみついた。
「全然目を覚まさないから心配したじゃないか!ずっと一緒にいるって言ったくせに!!」
……ああそっか。夢じゃなかったのか。よかった~!!
俺は湯井沢を抱きしめようと腕を上げ……?あれ?上がらない。
「まだ無理だよ。すぐ先生呼んでくるから」
俺の頬にキスをくれた湯井沢は、小走りで病室を出て行った。
……そっか。渡に刺されたんだっけ。
自分の体を見下ろした時の生々しい記憶が蘇る。そして湯井沢が無事で良かったと改めて胸を撫で下ろした。
その後は医師と看護師によって色々な検査が行われ、どこも問題がないと太鼓判を押された。ナイフで刺されたのに俺って頑丈なんだなあ。
「本当に良かったよ。生きた心地がしなかった」
「俺何日くらい寝てたの」
なんだか喉もカサカサしてて声が出しづらい。
「三日くらいかな」
「三日……」
「健斗、本当にごめん」
湯井沢が俺に向かって頭をさげた。
「なんで謝んの」
「……渡は健斗を、って言うより僕を刺そうとしたんだと思う。それを健斗が庇ってくれた。……本当にごめん」
そうだったのか。気付かなかったけどよくやったな俺。褒めてやろう。
「筋肉がいい仕事をしてあんまり深くまで刺さらなかったみたいだよ。鍛えるってこんなとこでも役に立つんだな」
「当たり前だ。筋肉があれば大抵のことはなんとかなるんだ」
「意味がわからない」
ジムはサボってたけど家で筋トレしてて良かった。
「でも一時は結構危なかったらしいんだ」
「まじで?やばかったな」
危ない危ない。結婚前にこんな可愛い伴侶を未亡人にするとこだった。
「でもな、血圧が下がろうが出血過多になろうが心臓だけは信じられないくらいちゃんと動いてたんだって。蘇生の準備もしてたんだけど一回も止まらなかったって」
「……叶さんに助けられたんだな」
彼のいつものふにゃっとした笑顔を思い出す。一緒に頑張ってくれたのか。本当にあの人には何度命を救われるんだろう。
「月命日には好きなものたくさん持っていこう」
「そうだな。それまでに治さないと」
目覚めてすぐは動かなかった手も、少しなら上がるようになった。力が入らないから体を起こすのは少し時間がかかりそうだけど。
「あー筋トレ出来ないと筋肉が減る……」
「こんな時まで。しばらくは無理したらダメだからな」
「でも筋肉はすぐ落ちるんだよ」
「分かったから黙れ」
「はい……」
なんだよ本当のことなのに。
「そう言えば渡はどうなった?」
「警察に捕まった。今取り調べ中だけどこっちにはなんの落ち度もないから、執行猶予もつかないだろうって東堂家の弁護士が言ってた」
「でもあいつの目、変だったよ。雰囲気も尋常じゃなかった」
「うん、だから精神鑑定に持ち込まれる可能性もあるって。もちろん対策は講じるって言ってたけど」
「そうか」
もし実刑を受けてもいずれ出てくる。
その時、逆恨みで湯井沢に危害を加えないといいんだが。まあその時も俺がこの筋肉で守るけど。
「……湯井沢、元気ないな?俺の看病で無理してたんじゃないか?」
「無理なんてしてない。側にいないといつどうなるかわからないって思ったら……だから無理言ってずっとここにいた。
「……ふふっ。だからこの病院なのか」
湯井沢が継母から毒を飲まされた時もここにお世話になったな。その時は俺が付きっきりで看病したいと駄々を捏ねて泊まり込んだんだった。
「本当に君たちは……勘弁して欲しいよ」
「あ……」
やれやれと言う顔で入り口からこちらを見ているのは東堂課長だ。……何故か白衣を着ている。
「お世話おかけしました」
「ああ、いいんだよ。担当医から経過も聞いた。順調で何よりだね」
「……ところでどうして白衣を着てるんですか?」
湯井沢の素朴な疑問に俺の頭の中には「コスプレ」の四文字が威勢よくサンバを踊り出す。
「君たちのせいだから」
「俺たちの?」
「君たちが代わる代わる運び込まれるから親父に面倒を見ろって言われたんだよね」
そういえば医師免許だけは持ってるって言ってたっけ。
「じゃあ医師デビューですか!」
「そんな簡単なもんじゃないんだよ。この年で研修医から始めなきゃなんないんだからさ」
「似合ってます」
「ん?」
「白衣。かっこいいです」
「……健斗くんにそう言われたら頑張るしかないけどさ」
まんざらでもない顔の東堂課長と、眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をした湯井沢。
対象的な二人は本当に従兄弟同士か疑わしいほどに似ていない。