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120話 思わぬご褒美

「そりゃかかるだろうなあ」


「でももう夜も遅いからホテルに部屋でも取る?」


「いいね!」


ホテル……なんて素敵な響きだろう。非日常の中にあるオアシス。そこでは普段できないようなことも……


「健斗、落ち着け」


「落ち着いてるよ。やだなあ」


浩之はほんと勘が鋭い。妄想一つ許されないなんて。


「僕は健斗の心配をしてんだけど。退院してきたばかりでまだ本調子じゃないのに」


まあ確かにしばらく寝たきりだったから体力は落ちてる。今だって早くどこかに座りたくてしかたないしな。


「とりあえず今からでも泊まれるところ探すから」


「分かった。ありがとう」


ホテルか。ラブホでもいいんだけどああいうところってタクシーでも入ってくれるのかな。

それ以前に男同士はお断りの所もあるって聞いたけど事前に調べておかないと困るよな。


「健斗、取れたよ」


「早」


「じゃあ僕刑事さんに伝えてくるね」


「ああ」


こんな時に不謹慎だけど焦っても出来ることはない。今は非日常を楽しむことにしようと心に決めて俺はタクシーを呼んだ。


「……ここ?」


「気に入らない?もう遅いからホテルも限られててさ。でも前に泊まったことあるけど心配ないよ?いい所だった」


「はあ」


そりゃそうだろう。

俺たちがタクシーでたどり着いたのは国内でも屈指の有名高級ホテル。その最上階に部屋を取ったと言う。


……空き巣に入られて権利書盗まれた人が選ぶ宿ではないと思う。けれど家には帰れない。


俺は緊張しながらホテルのエントランスに足を踏み入れた。


「お待ちしておりました」


夜の九時を過ぎているのにスタッフが沢山いて荷物はないかとか部屋まで案内とか世話を焼いてくれる。根が貧乏人なので申し訳なくてとりあえず全部断り、いそいでエレベーターに乗った。


「なあ」


「ん?」


「さっき前に泊まったって言ったか?俺の聞き間違いでなければ」


「言ったけど」


こんな場所に?誰と?


「はい着いたよ。降りて」


エレベーターを降りるとまたドアがあり、ルームキーをかざして中に入る。その先には小ぶりだけど高級感漂うエントランスと受付があり、そこではコンシェルジュが笑顔で俺たちを出迎えてくれた。


「まだクラブフロアが開いております。おやすみ前にいかがですか?」


「じゃあ案内お願いします」


「承知いたしました」


初老の男性の後をついていくと夜景の見えるレストランのような場所に案内された。それぞれの席はゆったりしたソファで人はほとんどいない。俺たちは窓の側の席に腰を下ろした。


「なに?ここ」


「クラブフロア」


「クラ……とは?」


「お酒が飲めて軽食が食べられるところ」


へえ……バーみたいなとこか?あれだろ?こんなホテルのバーってカクテル一杯五千円くらいするんだろ?

そう思い、ドキドキしながらメニューを眺めた。


「値段が……書いてないだと?」


時価?時価なのか?酒の時価ってなんだ?


「健斗、クラブフロアの飲食はスイートルームの宿泊代に込みなんだ」


「込み?」


「うん、ここでの飲食はただってこと」


「ただ!?」


しまった。大声を出してしまった。バーカウンターの女性に笑われたじゃないか。


「でも健斗はまだ病み上がりだからお酒はやめようね。ジュースもあるから」


「そんな……」


普段飲めないような酒の瓶が所狭しと並んでるのに?


「また元気になってから来ような」


「……うん」


しょんぼりした俺の前にさっきのコンシェルジュが生ハムとフルーツを持ってきた。飲み物はフレッシュジュースだがこれはこれで本当に美味しい。


「浩之」


「なんだ?」


「ここには誰と来たんだ?」


聞きたいような聞きたくないような。でも聞かずにはいられない。


「東堂課長と」


「なんで」


「終電逃してさ。見つかったホテルがここだけだった。費用は課長持ちだって言ったからありがたくごちになった」


「……そうか」


安心したようなモヤモヤするような。でも従兄弟同士だもんな。それは仕方ない。


「ちなみにその時のベッドはダブル……」


「もううるさい」


「すいません……」


浩之の意識はすっかり食に移っている。分からなくもない。だってこのオープンサンドにはキャビアが乗ってる。

他にも見たことないチーズやサーモンのサンドイッチなど、酒のつまみと言うには贅沢過ぎる料理を堪能して俺たちは大満足だ。


「そろそろ行こうか」


そう言って浩之が案内してくれた部屋はこれまたとんでもなく豪華なものだった。


「夜景!夜景が!」


「健斗うるさい」


「ごめん。でもすごい部屋だな」


本当なら去年のクリスマスはこんな部屋でシャンパンを飲みながら過ごすはずだったのだ。……いや、でもあの別荘に行っておいてよかったのかも。最後にいい思い出になったもんな。


「本当にこの部屋しか空いてなかったんだ。その代わり値段は結構安くしてくれてる」


安くにも限度があるだろうし、そもそも俺なんかには元値の想像もつかない。帰ったら貯金を下ろそうと決めて俺は柔らかいベッドにダイブした。


「先に風呂に入るぞ」


さっさと自分だけバスルームに消えようとしている浩之。

こんなはずじゃなかった俺はそれを慌てて引き止めた。


「なんだよ」


「お前、こんなロマンチックな部屋に来ておいて一人で風呂だと?何考えてんだ」


「いやお前こそまだ病み上がってもないのになに考えてんだ。さっさとシャワー浴びて寝ろ」


いやそんな拷問ある?やっと退院できて今夜こそはと楽しみにしてたのに!

けれど期待も虚しく、俺がシャワーから出てきた時には浩之はすっかり夢の中だった。


心の中で悪態をつきながらもツインじゃなくダブルだった事に感謝して、寝ている浩之を抱きしめ眠りについた。絶対に今度リベンジしてやると決意を新たにしながら……。



翌朝、早めに目が醒めたので昨夜と同じラウンジに朝食を食べに行った。昨日の気だるくムーディな雰囲気とは打って変わって、爽やかな色合いのテーブルクロスに体によさそうなスムージやサラダが並べられている。もちろん和食もあり、そのどれもが素材や調理法にこだわった見たことないような物ばかりだ。


「オムレツを塩でお願いします」


「かしこまりました」


ライブキッチンよろしく何人ものシェフが客のオーダーを待っている。俺はローストビーフを頼んで皿に盛り付けて貰った。


「パンが人生で一番やわらかい」


「大げさだなぁ……ほんとだ!」


なるべく声を抑えてひそひそと話しているのに、何故か女性客や女性スタッフからの、チラチラと盗み見られるような視線が気になる。『浩之が可愛いからかな』と言ったら『健斗がかっこいいからだよ』と、まるで新婚夫婦のようなやり取りを交わし、お互い照れる場面もあったり。

いやあ浩之とならどこでも楽しいなあ。こんな時じゃなければもっと楽しめたのに。

……そうだ。落ち着いたらボーナスが入ったタイミングでもう一度来よう。


思いがけない楽しい時間を過ごしたが、そんな俺たちを待っていたのは空き巣に荒らされた後の家の片付けだった。


「くそっ元ボクサーめ。加減を知れ」

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