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121話 環境の変化

力任せに荒らしたに違いない。筋肉はそんなことに使うものじゃないというのに。筋肉に謝って欲しい。


「一気に現実に引き戻されたな」


浩之もため息をついて立ち尽くしている。


「昨日が楽しすぎたからな。仕方ない、一気にやるぞ」


「ああ」


俺たちはそれぞれ分担を決めて作業を始めた。どうせならと断捨離を兼ねて普段使わない物や着ない服をすべて処分する。

そうやって玄関の前にゴミ袋が山程溜まった頃、ふいに客が訪れた。


「すみません、湯井沢さんのお宅ですか」


恐らく俺たちと同年代の男性で、きっちりとスーツを着こなしている。銀フレームのメガネに革の鞄は堅苦しい印象だが、そのメガネの奥の目はとても人懐っこく優しい。


「そうですが……」


浩之が汗を拭きながら玄関に出ると、その男性は名刺を差し出した。


「佐々木さん……司法書士の方ですか」


司法書士?なんでうちに?


「はい。今回の盗難事件の件で伺いました佐々木裕二と申します。私の父は東堂家の顧問弁護士です。今日は湯井沢さんの件で警察署に出向いているので私が代わりに参りました」


「そうでしたか。まだ散らかってますがどうぞ」


浩之は比較的片付いたリビングに彼を通す。俺は冷蔵庫からミネラルウォーターを三本出して佐々木さんと浩之に手渡した。


「恐れ入ります。……この度は大変な目に遭われましたね。建物の権利書を盗まれたとか」


「そうなんです。その権利書を使って勝手に売却なんてされないですかね?」


「ご安心ください。印鑑証明や実印も必要なので権利書単体では何も出来ませんし、不正登記防止の届け出もしておきます。念のために市町村役場に印鑑証明の発行停止も依頼しましょう。法務局に連絡もしておきますね」


佐々木さんはテキパキと鞄から数枚の委任状を準備し始めた。


「ただ、権利書は再発行が出来ないので今後もし所有者変更があれば私共にご連絡ください」


「分かりました。ありがとうございます」


良かった。とりあえず勝手に売られる心配はないって事だよな。それなのになんでそんな物盗んだんだろう。知らなかったのか?……。


「手続きについてはこれで終了ですが、ご質問や不安なことはありますか?」


「あの……」


おずおずと浩之が口を開く。


「別件なんですけどいいですか?」


「もちろんです。せっかくなので何でもどうぞ」


「その……養子縁組って難しい手続きが必要ですか?」


え?浩之もしかして……


「養子にされるのは六歳未満のお子様ですか?」


「いえ大人です」


「それでしたら……」


佐々木さんは鞄をゴソゴソと探り、一枚の紙を取り出した。


「普通養子縁組となりますので養親と養子の戸籍謄本と養子縁組届、それと提出者の本人確認書類だけで受理されます」


「簡単なんですね」


「はい。結構多いですよ。遺産の関係で娘婿や孫を養子にする方も多いですから。ここに簡単な流れがありますのでご一読ください」


「ありがとうございます」


浩之は嬉しそうな顔をしてその紙を丁寧に受け取った。




「やっと終わった!」


佐々木さんが気持ちを軽くしてくれたおかげか、その後の作業は驚くほどスムーズに進んだ。これなら今夜は綺麗な部屋でゆっくり眠れそうだ。豪華なホテルもいいが、やはり自宅に勝るものはない。


「浩之、晩ごはんどっかに食いに行こうか」


「うん、あ、ちょっと待って。東堂課長からご飯の誘い来てる。めんどくさいな」


「お前……」


あれだけ尽力してくれた人なのに。報われない東堂課長に少し……いやかなり同情する。


「でもほら研修は進んでるのかなとか会社辞めるの?とか聞きたいこともあるじゃん」


「ああまあ。じゃあ行く?」


浩之、お前絶対その顔は本人の前でするんじゃないぞ。


「じゃあ着替えなきゃな。待ち合わせはどこだ?」


「駅前だって。……あ、気になってた店だ。ラッキー」


多分それは東堂課長が気をつかってくれたんだと思うよ。俺は心の中でそう思いながら身支度を整えた。





「お待たせしました!」


「いいよー。急に誘ったのはこっちなんだし」


東堂課長は本当に人間が出来ている。俺も見習いたい。ふしだらな遊びが好きな部分を除いて。


「ごめんね出資者を待たせちゃって」


おい!ストレート過ぎるだろう。俺は浩之の肩を軽く小突いた。

今日お誘いのあった店は先月出来たばかりの焼肉屋で、A5ランクの肉しか置いていない高級店なのだ。お世話になりっぱなしだし、たまには俺が……と思ったがインスタの値段表を見てその気持ちはあえなく玉砕した。


「大変だったね。まあ食べながらゆっくり話そう」


「はい」


そうだよな。もう全部知ってるんだよな。なんなの東堂家って。もしかして王族……


「健斗くん何飲む?まだ酒は駄目だもんね」


「はいウーロン茶をお願いします」


「了解。ひろくんは?」


「ビール」


「ははっ健斗くん飲めないのに容赦ないね。じゃあ俺もそうしよう」


浩之はもうメニュー表に釘付けだ。そしてあろうことか肉の一覧を指差して『ここからここまで全部四人前ずつ』なんて恐ろしい頼み方をしている。


「東堂課長!浩之を止めてください!こいつ店中の肉を食べるつもりです!」


「あははそれも面白いね」


……全然おもしろくない。だって安いやつでも一人前で四千円とかするんだから。


「いやそれにしても湯井沢って呼んでたのがいつの間にか浩之になってたのはびっくりだね」


ニコニコと笑いながらそう言われて、俺は気まずいやら恥ずかしいやらで無言になってしまった。


「と、いうことはひろくんは沢渡になるの?」


「はい」


早速運ばれて来た肉を焼きながら素っ気なく浩之は答える。


「そうか……東堂には戻らないんだな。まあそうだよな」


苦笑しながらビールを飲む東堂課長は、とても寂しそうに見える。


「おんなじだろ」


「ん?」


「僕が湯井沢でも東堂でも沢渡でも」


「ひろくん……」


「名前だけで繋がりが切れるの?そうじゃないだろ。従兄弟は従兄弟だし院長も伯父さんだ」


早口でそう言うとまだ生焼けの肉を口一杯に頬張る。


この仕草を照れ隠しだと見抜いている東堂課長は、気の抜けたような顔を泣きそうに歪めた。


「あと、いつも沢山助けてくれてありがとう。実は感謝してる」


「実はってなんだよ。もっと素直になれよほら悠一兄さんって呼べ」


東堂課長はすっかり元気になって浩之をからかい出した。浩之は眉間に皺を寄せて黙り込む。

いつもの二人に戻ったので俺は胸を撫で下ろした。


「ところで東堂課長、会社は辞めたんですか?」


「ああ、今月末で退職する。さすがに両立は無理だ。それにうちはもうすぐ外資系の企業と合併するぞ」


「ええっ!?初耳なんですけど!」


「そりゃ発表前だからな。あ、株とか持ってる?インサイダーになるから動かしちゃ駄目だからね」


「いや持ってないですけど……びっくりしました」


そこでうちの社長が東堂家の長女婿だったことを思い出した。だから情報が早いのか。


「こっちが外資系を吸収する形だから雇用条件や待遇は変わらないはずだ。だから何も問題はないよ。でも来月から早期退職者は募ると思う。相手方の会社の社員も全員とはいかないけど雇用しないといけないし」


「そうですよね」


早期退職か……まあ入社間もない俺たちにはあまり関係ないけど馴染んだ人たちが去って行くのは寂しい。笹野さんもいなくなり東堂課長も辞めてしまうのに。


「良くも悪くも雰囲気は一新されるだろうね。君たちの昇進とかもあるんじゃない?頑張りなね」


「……はい」


「ほらもう!そんな暗い顔をしない。牛さんに失礼だよ?みんなの笑顔が見たくて犠牲になっているのに」


最悪だ。そんなこと言われたら余計に食べにくい。


「じゃあもっと頼もっと」


「一杯食べろ。健斗くんもたんぱく質取らないと筋肉が育たないだろ?」


「はっ!そうでした」


その言葉で我に返った俺は急いで追加注文に参戦した。




その後、東堂課長……東堂先生は言葉通りに月末で退職し、密かに思いを寄せていた数多の女子を絶望のどん底に落とし込んだ。しかし次職が医師で更に東堂病院の跡取りであることが知れ渡ったことで更に人気に拍車がかかり、東堂病院は近来稀にみる若い女性の患者の多さに悲鳴をあげているという。

そして外資系企業との合併も公式に発表され、希望退職者の面談や大掛かりな部署異動が行われた。

環境的に最高だった俺たち二人きりの部署は営業部に統合されて人数も増え賑やかに過ごしている。


「この一ヶ月は色々あったなあ。本当にあっと言う間だったよ」


「まだこれからだよ。相手の会社から新しく人が来たらもっと大変だろ」


俺たちはいつもの社食で昼メシを食いながら年寄りみたいな会話を交わす。この間まで隣で蕎麦をすすっていた人はもういない。物足りないこの気持もいつか慣れるんだろうか。叶さんが消えてしまった時のように。


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