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125話 報告

週明け、仕事中に東堂先生から連絡があり、彼の自宅に行くことになった。

浩之の家族のことらしいので楽しい訪問ではないが、結婚式の話もできるということで俺たちは揃って訪問する旨の返事をする。

週末はあんなに楽しかったのに……と思わなくもないが、湯井沢家の問題を片付けておかなければ今後安心して暮らせない。


「こんばんは、沢渡です」


「いらっしゃい、ロック解除するから上まで上がって来て」


久しぶりに聞いた東堂先生の声は、インターフォン越しでも随分と疲れていた。そりゃ一般企業の総務課課長と比べたら、研修医の気苦労や仕事量は段違いだろう。

俺たちは手土産を持ってエレベーターに乗り、最上階を目指した。


「おじゃまします」


「どうぞ入って」


引っ越したばかりの東堂先生のマンションは一切の生活感が無かった。まだろくに家具も揃ってないようで「寝にだけ帰っている」と言っていた言葉通りに癒しの一つもない。


「ひろくんの家族について弁護士から報告書が来たから見て欲しいんだ。多分説明が必要なとこがあると思うからここで読んで貰えると助かる。多分これから更に忙しくなるから連絡取りづらいと思うし」


「ありがとうございます」


浩之が軽く頭を下げて受け取った。


「ひろくん水臭いなあ。悠一お兄ちゃんありがとう!でいいんだよー」


「……」


浩之、ここは頼むから言われた通りにして欲しい。まあそんなわけないんだけどな。

仕方ない、ここは一つ俺が労うか。


「東堂先生忙しいのに色々とありがとうございます。……目の下にクマが出来てますけどちゃんと眠れてますか?」


「あー思ったよりキツイ。最近はずっと病院に寝泊まりしてたから熟睡出来てないのかもな」


「泊まりですか?!」


それはキツイ。


「そうなんだよ。朝は六時半出勤だから帰る時間もったいなくてさ。夜勤明けの医者や看護師から申し送り聞いて、その後はカンファレンスだし、それが終わったら病棟業務に手術補助。これが二年続くんだよ……」


そう言うなりソファにドサリと沈み込んだ。


……ああ言い出せない。ここで結婚式の話なんて。


「はいお土産」


浩之が書類を見ながら、ドサリとテーブルに紙袋を置いた。これは先日式場に行った時に買った、地元の有名な蕎麦だ。


「乾麺だから日持ちするし、あの辺りの名産だから美味しいと思う」


「……そうか、ありがとう」


「……今作ろうか?」


「ええっ?!ひろくんが俺のために手料理を?!」


「……台所借りる」


眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をしながらも浩之は紙袋を持ってキッチンに消えていく。


「助かるわー。晩御飯なんて最近まともに食べてなかったよー」


「医者の不養生って言いますから。体壊したら元も子もないですよ」


「そうなんだけど人より遅れを取ってる分取り戻さないとね」


「でも四十過ぎてから医師免許取る人もいるんです。その人に比べたら東堂先生はまだまだ三十代だし!」


「まあね。……健斗くん慰めるの上手だね」


東堂先生は嬉しそうに俺の隣に座った。そして手を握らんばかりの距離で俺を見つめる。


「え?いや……そんなことないです。気の利いたこと言えませんから」


近い近い。


「癒しが欲しいんだよね。たまには遊ぼうよ」


「……遊ぶ内容によります。俺もう既婚者ですから」


「えっ?!ひろくんと?!とうとう?!」


俺は左手の薬指にきらめいている指輪を見せた。


「どっちの籍に入ったの?」


「……それは浩之がうちの親と縁組して……」


「そうか、湯井沢の名前を捨てたのか。それなら東堂でもよかったのに」


東堂先生はガックリと肩を落とした。こんなに疲れているところに追い打ちをかけてしまったみたいで良心が疼く。


「でもよかった。ひろくんが幸せになるんならそれが一番だ。でも俺たちはずっとひろくんを可愛い甥や従兄弟だと思ってるから困ったことがあったら必ず声をかけてほしい。もちろん健斗くんもね」


「それはもう今だって何から何までお世話になってるのに。……それでこのタイミングでなんなんですけど結婚式をするんです。来てもらえますか?」


「勿論だよ!ぜひ参加させて欲しい。ところで他の親族も参加していいのかな?」


他の親族……。俺たちのことを話したら驚かせてしまうんじゃないかな。万が一でも嫌な目で見られたら浩之が傷付いてしまう。そんな目には絶対合わせたくないし……


「……何考えてるか分かるよ。でも大丈夫。みんな知ってる」


「ええっっ?!?!知ってるってどどどうして……?!?!」


びっくりした!どうしてみんなに知られてるんだ?!


「分かるよ二人を見てたら。ひろくんが全幅の信頼を寄せてますって顔で健斗くんに寄り添ってるんだもん」


「そ、そんなこと」


ないです……と言いたかったが、そう見えてるならそれはそれでとても嬉しい。


「だからみんなに声かけとくね。あ、勿論みんな大きな財布持ってるからご祝儀は期待してて」


「無理のない範囲で計画してるのでそれはお気遣いなく……」


ヤバい。本当にとんでもない金額を持って来られそうだ。むしろ一万円くらいで会費制にした方がいいかも。北海道あたりはそれが主流だって言うし。


「あ、出来れば当麻さんにも来て欲しいんですが可能ですか?」


「来るんじゃない?声かけとくよ」


「よろしくお願いします」


よしっ!雇用主の言質取った!



「できたよ」


仏頂面で蕎麦とつゆをお盆に乗せた浩之が戻って来た。そして狭い一人がけのソファにぎゅうぎゅうに座っている俺たちを見て眉間に更に深い皺を刻む。


「ちが!違うから!浩之!」


手に持っているお盆を投げつけられたら困る!俺は慌てて言い訳めいたことを口にするが、まるっきり浮気がバレた旦那みたいだなと頭の片隅で思った。


「……何だよ。誤解なんてしないよ」


「えっ?」


お盆をテーブルにコトリと置いた浩之はため息をついた。


「健斗はよそ見なんてしないって分かってる。だから大丈夫、落ち着け」


「えーーつまんないなあ。ご馳走様」 


苦笑しながらソファから立ち上がる東堂先生に、浩之は「いただきますだろ。早く食べろよ」と、蕎麦を押しやった。


「はいはいありがとね。結婚したら余裕が出るんだねー。まあ、おめでとう」


「……ありがと」


「……え?」


その、世にも可愛い素直なお礼に驚いた東堂先生は言葉を失って箸を落とす。


「人って変わるもんだね」


「もう食べなくていい!」


「食べるに決まってるだろ!ひろくんがせっかく作ってくれたのに!」


大騒ぎしながら箸を取り上げようとする浩之と、取られまいとする東堂先生。


俺はそんな子供のようなやり取りを微笑ましく見ながらテーブルの上の報告書に手を伸ばした。


「浩之、遊んでるなら先に読むぞ」


「あ、待って!何て書いてある?」


二人で揃って紙の束を覗き込むと、美恵子さんが起訴されたという文字が飛び込んできた。


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