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132話 海の思い

俺たちも見舞いに行こう。真魚も連れて行ってやりたいが、病院に新生児を連れては行けない。早く良くなって帰って来て欲しい。


「そろそろお母さんたち帰って来るよな。今の間に僕が夕飯の買い物に行って来るから真魚を見ててくれる?」


そう言って浩之が上着を着たところで俺の携帯が鳴った。


「あ、待って母さんだ。晩御飯いるか聞いてみる」


「ああ」


だが、電話に出た俺に告げられたのは、真魚のたった一人の大切な父親の訃報だった。







朝から雨が降っている。

こじんまりとした家族葬の部屋で海がずっと泣き続けていた。


誰も声を掛けられない。ただ雨の音と皆のすすり泣きの声だけが静かに部屋に満ちていた。


僧侶の読経が終わり、担当者が出棺の時間だと告げる。俺たちは言われるがままにその言葉に従った。

健吾くんは天涯孤独だったらしく、参列者は沢渡の家族だけだ。


「僕と似た境遇だったんだな」


そんな話さえしないままに彼は逝ってしまった。あまりに急だった。


「俺も名前が似てたから親近感覚えてたんだ。もっと話をしたかった」


きっと見た目通りに穏やかで優しい人だったんだろう。折角家族になってこれから賑やかに過ごせるはずだったのに。


花が乗せられた棺桶が、ガタガタと僅かに揺れながら火葬場の窯の中に消えていく。まるで中から健吾くんが、出してくれと懇願しているようでたまらない気持ちになった。


その前に佇み鉄の扉を見つめている海の、痩せた背中から俺はずっと目が離せなかった。






「真魚、お菓子食べる?」


「たべう!」


大きな目をキラキラと輝かせて俺の手を見つめる真魚。ふふっ釣れてるぞ。このお菓子は某テーマパークのプリンセスがプリントされた貴重な逸品なのだ。


「じゃあ健斗おじちゃん好きって言ってみて」


「けんとおちゃんしゅき」


「真魚はかわいいなあ!じゃああげようね……」


「……健斗」


あ、見つかった。


「ごはん食べなくなるからこの時間におやつはダメって言ったよね。健斗はごはん抜きにしようか」


「ごめんなさい、もうしません」


だって取り寄せた物がさっき届いたんだ。少しでも早くあげたいじゃないか!


「……ごはんたべゆ。おかちはしょのあと」


「うわあ真魚賢いなあ!健斗おじさんより賢い!」


「ええっ二歳児より?!」


いや、そう言われても仕方ない。俺はがっくりと肩を落とした。


……健吾くんが亡くなってから、海は実家に戻って来た。そして仕事をしながら真魚を育てている。普段は時短勤務の海だが、昨日からどうしてもの仕事で一泊の出張に出ることになり、俺たちは泊まり込みで子守がてら遊びに来たのだ。



「ただいまー!」


「まま!?」


元気いっぱいの真魚が走って玄関に飛び出していく。


「あーあ、こんなに可愛がってるのにやっぱりママには敵わないかー」


「当たり前だろ。命がけでこの世に送り出して貰ったんだから」


そうか、そう言われたら納得だ。母親は偉大だなあ。


「お兄ちゃん、ひろくんありがとう!これお土産!」


そう言って海が見せたのは最近話題のお菓子だった。


「並ばないと買えないって言われてたやつじゃん。気の短い海が並んでまで……」


「失礼ね。凄く美味しいっていうから頑張ったのよ。それにね、実はちょっと話があって。話って言うかお願いかな?」


「……さては賄賂か」


「そんな感じよ。後でみんな揃ったら話すね、じゃあ先に着替えてくるわ」


「まま!まなもきがえう!」


「あはは真魚はそのままでいいのよー」


楽しそうに笑う二人の後ろ姿に、何とも言えない気持ちになる。本当ならここにもう一人いたはずなのに。


「健斗、もうすぐお父さんが帰ってくるから料理の皿運んで」


「ああ、分かった」


海のお願いとやらが一体何かは分からないが、二人の幸せに繋がることであれば何でも聞いてやりたいと思いながら、俺はキッチンに向かった。




「仕事のことで皆に相談があるんだけど」


夕食を終え、真魚が眠ってからリビングに集まった家族を前に、海が話を始める。


「本当だったら私はこの春からイタリアに行く予定だったの。健吾くんが育児休暇を取ってくれることになってたからね。そして私が落ち着いたら二人にイタリアに来て貰って向こうで暮らす予定だったの」


そう言えば結婚前にそんなことを言っていたと俺は思い出した。



「こんな状況になって、そんな事言ってられなくなったから、皆の助けを借りながら真魚を育てて日本で仕事を続けて来たけど……。私、やっぱりイタリアに行こうと思うの」


「「「「えっ??」」」」


思いもよらない言葉に一同が一斉に海を見た。


「健吾くんは私がいつか自分のブランドを立ち上げたら手伝ってくれるって言ってた。店を立ち上げて家族でやっていこうって。それが俺の夢だって」


健吾くんが亡くなってから一度だって彼の話をしなかった海が、とても穏やかな顔でそう言った。

ずっと考えていたんだろう。そしてようやく前に進むと決めたんだ。


「海……真魚はどうするんだ。連れて行くのか?」


父の戸惑いも分かる。まだ真魚は二歳だ。仕事がちの母親と二人きり、初めて外国で暮らすなんて……。寂しい思いはしないだろうか。


「ここからが相談というかお願いです。真魚のことをお願いしてもいいでしょうか」


「えっ?真魚を置いて?海は真魚を手放して生きていけるの?」


空は驚いて目を丸くする。確かに周りから見ていても海は何より真魚を大事にしていて、普段は片時も離さないのだ。


「うん……私ね、このままじゃダメになると思ったの。私、たぶん真魚の中に健吾くんを見てたの。だから少しでも離れると不安で仕方なかった。でも今回仕事で仕方なく離れたじゃない?一人でゆっくり考える時間を持って、少し冷静になったの。そしてこのままだと真魚に依存して二人とも不幸になると思ったの」


「……いいと思うぞ!」


俺は出来るだけ明るい声で答えた。


「真魚は手がかからないからな。母さんが大変なら俺も実家に戻って仕事終わりに世話してもいいしさ。……いいかな?浩之。平日だけ。週末はマンションに戻るから」


隣に座っていた彼の顔を覗き込むと、眉間にこれ以上ないくらいの皺を寄せていた。そして「だめだ」と一喝される。


え?なんで?


「健斗に任せたら真魚が虫歯だらけになるしご飯も食べなくて好き嫌い多い子になるだろ。実家に戻るなら僕も一緒だ。いいですか?お母さん」


「やだそんなのいいに決まってるじゃない。むしろ助かるわ。やっぱり腰の調子が悪くて真魚の抱っこは難しいのよ」


「そうだな、真魚は日本にいる方がいい」


ほっとしたような顔の父に思わず笑みが溢れた。最初からそう説得する気だったんだろう。


「ありがとう……みんな」


海がぽろぽろと泣きながら皆に礼を言う。……ああそう言えば葬式以来海の涙を見るのは初めてだ。ずっと気を張ってたんだな。


「そしてここからはお兄ちゃんとひろくんにお願いです」


「え?俺たち?」


無事解決と気を許して海のお土産のお菓子を口に入れようとしていた俺は、慌ててそれをテーブルに置く。浩之も海の真剣な様子を見て背筋を伸ばした。


「最初はなかなか帰って来られないと思う。今、真魚はまだ保育所だけど、これからあっという間に小学校に上がるでしょ」


「ああ、まあ」


「真魚をお兄ちゃんの養子にして欲しいの。気持ち的にはお兄ちゃんとひろくんの、なんだけどまあ法律上ね」


「なんで……」


「私に親権があると書類の記入とか何かにつけて面倒みたいだし。……それに真魚は二人に育てて欲しい。私が出来なかった両親の愛情を真魚に教えてあげて欲しいの」


色々な感情が湧き上がり、俺は言葉に詰まった。……俺たち二人が子供を育てる?


「いいんじゃない?お兄ちゃん達なら任せられるよ」


「そうよ。あなた達が仕事の時はうちで預かるからね。保育園の送り迎えも任せて」


空と母親の言葉に、俺は浩之をそっと伺い見る。彼は静かに顔を伏せ、考え込んでいるのか、何も話さない。


「……浩之?」


恐る恐る声をかけると、浩之は俺の方を向いた。……その目には涙の膜が張っている。


「……あの嫌なら嫌で……」


慌ててそう言いかけたが、そうではないと言うように浩之が首を振る。そして海の方に向き直り、「ありがとう」と言った。


「……いいのか?浩之」


「勿論だ。こんな幸せなことない」


「……まあ真魚は可愛いし俺だって異論はないけど」


「じゃあ決まりね!早速手続きしよう」


空がうきうきしているのは真魚と離れる心配が無くなったからだろうか?真魚も最初は寂しいかもしれないが、その分沢山の愛情を掛けてやればいい。


「実は空にも話があるの」


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