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139話 大人の階段

「酷い……知らない人だなんて……」


佐久間さんは床に顔を伏せて泣きだした。いや、悪いけどもうめんどくさいな!


「沢渡さん、ここは私が」


追いついて来た学校の先生たちが、暗に俺に外へ出てろと促した。頭を下げて、浩之と共に玄関から出ると、そこにいたのは今一番会いたかった人だ。


「当麻さん!こんな所にどうして……俺、テレパシーでも使いましたかね?」


「警察が動いたので飛んできました」


え?普段から無線を傍受でもしてるの?


「真魚さんの居場所が分かりました。急いでください」


「本当に!?ありがとう!」


さすが当麻さんだ。

乗せてもらった車は、流れるような速さで現地に着いた。

見慣れた学校の裏にある山だったが、そこには既に救急車が待機している。

……俺の背中に嫌な汗が流れた。


「真魚は怪我してるんですか?」


「その可能性は高いですが、生体反応はあるし場所から見て命に別状はないと思います」


俺たちと話しながらも、待ち構えていた黒いスーツの男性から、大きなフックや長いロープ、それにライトを受け取り、俺たちに着いてくるよう促す。

既に真っ暗な獣道を、当麻さんの持つライトを頼りにどんどん先に進むと、道の端が少し崩れている場所に着いた。


「……こんな場所に?」


背中がヒヤリとする。だって崖下は真っ暗で何一つ見えない。


「俺が降ります!」


俺は当麻さんのロープをグッと引っ張る。……伊達に筋肉を育てているわけじゃないんだぞ。


「大丈夫です。慣れないと健斗さんまで足を踏み外します」


「構いません!」


真魚の為ならどんな危険なことでもしよう!


「邪魔しないでください。救助が遅れます」


「あっ、すみません」


すごすごと引き下がった俺を、浩之が憐れみの目で見ている。くそっ!要は気持ちの問題だからいいんだよ!



「では降ります。二人は真魚ちゃんに呼びかけ続けてください」


「……真魚!真魚!!」


「真魚!いるのか?」


俺たちの必死の呼びかけに反応はない、だが、当麻さんは「続けてください」と言って、ロープを自分の体に巻きつけ谷底へ降りていった。


「真魚!迎えに来たぞ!!」


「真魚!!真魚大丈夫か!?お父さんたちはここにいるぞ!」


何度目かの呼びかけに、微かだが返事が聞こえたような気がした。当麻さんにもその小さな声が聞こえたのか、伸びているロープが大きく横に移動する。


そしてそれから十分ほど経つと、ロープが巻き上がり、腕に真魚を抱えた当麻さんが現れた。


「真魚!」


「大丈夫です。全身擦り傷だらけですが骨折も大きな裂傷もありません」


「ありがとうございます!」


「真魚、大丈夫か?」


怖かったのか、震えて口もきけない真魚が涙を溢しながらコクコクと頷く。


「ちょっとこのまま待っててください。もう一人救助が必要なので」


「え?」


誰?まさか朱里ちゃん?


真魚に上着を着せて抱き抱えながら待っていると、当麻さんが女の子を連れて来た。どうやら帰る途中で滑落したらしく、真魚よりよほど酷い怪我だった。


「健斗パパ!」


朱里ちゃんは俺に向かって手を伸ばしたが、俺は腕の中の真魚をぎゅっと抱きしめて「パパじゃないよ」と朱里ちゃんに伝えた。


「君がお母さんからどう聞いてるのか分からないけど、絶対に俺は君のパパじゃない。俺の娘は真魚一人だけだからね」


その言葉に安心したように真魚が俺にしがみつく。朱里ちゃんはそれをぼんやり見て、しばらくすると、小さな声で「……ごめんなさい」と何度も繰り返して泣きだした。


山を降りるとすぐに救急隊員が真魚と朱里ちゃんの傷の具合を見ながら搬送先の病院に連絡を取っていた。俺は、「のぞみ子ども病院へお願いします」と依頼して、真魚と一緒に救急車に乗る。


「健斗くん……」


「佐久間?さん」


「……お願い、話を聞いて、私ね、あなたの事がずっと……」


「佐久間さん、朱里ちゃんが怪我してるんたがら行ってあげて。……人様の家庭に首を突っ込む気はないけど子どもは親を選べないんだから」


「え?」


「子どもを守るのはあなたしかいないんだよ。子どもに甘えんな!しっかり自分の足で立て!」


「……はい」


俯いていたので彼女の表情は見えなかったけど、次に顔を上げた時は、朱里ちゃんを真っ直ぐに見て欲しいと思った。




のぞみ子ども病院に着いた頃にはすっかり夜も更けていた。

念のための検査があり、そのまま入院する事になったので俺たちも付き添いとして今夜は泊まりだ。


「君たち家族は本当に病院が好きだね」


「好きじゃないですよ。あ、でも東堂先生は好きですよ?」


俺の軽口に東堂先生はため息をつく。でもちょっと嬉しかったのか口角が上がるのを見て、浩之が眉間に皺を寄せていた。


「MRIもレントゲンもエコーも問題なかったから明日には退院して大丈夫だよ。それにしても酷い目にあったね。可哀想に……」


「……おうち帰れる?」


「もちろん帰れるよ。……ああよく見たら健斗君に似てるね。なんて可愛い子なんだろう」


「……やめてください。東堂先生。訴えますよ」


「なにその恩を仇で返す感じ。大丈夫、ロリコン趣味はないからね」


笑いながら東堂先生が姿を消すと、代りに警察が事情を聴きに部屋に入って来た。無理のない範囲でとお願いはしてあるが、大人しくて人見知りをするこの子が知らない人に本当の事を言えるだろうかと心配になる。

けれど驚いたことに、真魚は臆することなく警察官の質問にはきはきと答えていた。朱里ちゃんに嘘を吐かれ、呼び出されたことも、そのあと崖から突き落とされたことも。


「言いにくいことを正直に話してくれてありがとう。真魚ちゃんは凄いね」


女性警官にそう褒められた真魚は、「お父さんを守りたかったから」と恥ずかしそうに答えていて、俺は胸が熱くなった。


東堂家お抱えの弁護士も駆けつけてくれて、「十四歳以下は刑罰の対象とはなりませんが、相手の保護者には民事で賠償責任が問えます」と言われたけど、正直もう関わり合いたくない。

お金なんかいらないから二度と顔を見たくない。


「健斗、それなら相手側に二度と会わないように転居と転校をしてもらおう」


「なるほど」


「確かにいいですね。それを相手側に求めましょう。強制力はないので、もめるようなら教育委員会を通して圧をかけますからお任せください」


「よろしくお願いします」


真魚は何も言わない。真魚の優しい性格なら、朱里ちゃんの転校に胸がざわつかないはずがないのに、口を真一文字にぐっと引き締め、窓の外を見ている。


……うちの娘は少しだけど大人の階段を登ってしまったんだなあ。そう思うと何やら少し寂しいような頼もしいような複雑な気持ちを憶えた。



◇◇◆◆◇◇



この後の話し合いは思ったよりスムーズに進み、佐久間一家は家を売って街を出て行くことが決まった。

夫婦は離婚、佐久間さんは強制入院となり、朱里ちゃんは児童相談所と教育委員会の監視の元、祖父母と共に新しい環境で暮らしていくらしい。自分のやった事に関しては周りの大人から懇々と諭されて、泣き暮らすほど反省したと聞いている。


その約二年後、佐久間さんが退院をしたタイミングで一度だけ、先生と共に二人が謝罪に訪れた。そしてその時に、佐久間さんの初恋が俺だったことや、夫婦生活のつらさから妄言を子どもに吹き込んだと涙ながらに謝罪された。


その延長線上で興信所を使ったストーカー紛いの行為もあったが、今更問題にしても仕方がない。

朱里ちゃんからの謝罪もあったが、真魚は最後まで言葉を発する事はなく、俺たちもそれを咎めることはしなかった。親の言葉を信じて暴走してしまったあの子も、ある意味被害者なのかもしれない。けれどそれを許さないといけないということはない。それを決めるのは酷い目にあった真魚本人だ。

……けれど、最後に朱里ちゃんから渡された手紙は今でも大事に持っていることは知っている。

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