「そうか、なるほど…だとするならば、モーリス家の人間には注視しなければいけないな。」
父上は私の行動や報告が遅れた事を咎める様子も無い。
「ご報告が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。」
そう言って頭を下げると父上が言う。
「よせ、頭など下げるな。私は伏せっていたのだ。その間の事はお前に任せるのが道理であろう?」
頭を上げて父上を見る。父上は微笑んで言う。
「その裁量があれば、私に何かあっても大丈夫だな。」
父上が一つ、息をついて言う。
「本当にお前は成長したな、東部に療養に行く時には想像も出来なかった事だ。」
東部に療養に行く前の私は、今のように歩く事も出来なかったのだ。それでも何とか体調の良さそうな日を選んで東部に旅立った。そう思えば今の私はまさに奇跡だろう。
「全てはリリーのお陰です。リリーが居なければ今、私はこうして父上と話していません。」
父上が笑う。
「そうだな、全てはリリアンナのお陰だ。私もこうして執務に戻れたのはリリアンナのお陰だからな。まさに奇跡だ。これこそ白百合乙女のなせる業だろう。」
「それでは夜会で公表なさるのですね。」
母上が神妙な面持ちでそう言う。
「あぁ、そうだ。デルフィーヌ、お前にも知らせておく。」
父上がそう言うと母上は表情を変えずに言う。
「分かりました。」
母上の表情からは何も読み取れない。
「リリーの事を公表すると会場の混乱が予想されます。」
そう言うと母上が溜息をついて言う。
「そうでしょうね。」
父上がそれを制する。
「それに関しては私が収めよう。会場には黒い騎士たちも居る。心配するな。」
私は父上の執務室に母上を残し退席した。今日話した事を父上が母上に話すかどうかは、父上の判断に任せようと思ったからだ。部屋に戻るとセバスチャンが待っていた。
「西の森の協力者からご報告が。」
そう言われて私は上着を脱ぎながら聞く。
「そうか、聞こう。」
セバスチャンは私から上着を受け取りながら言う。
「西の森では古くから言い伝えられている事ではあるようですが。」
そう前置きしてセバスチャンが続ける。
「西の森には悪しきものが封印されていると言われる小さな石板があるそうです。今回、私からの協力要請でその石板を見に行ったそうなんですが。」
セバスチャンを見る。セバスチャンは強張った顔をしている。
「その石板が破壊されていたそうです。」
石板の破壊…。
「封印が解かれた、と、そう思って良さそうだな。」
言うとセバスチャンが頷く。
「はい、殿下。」
封印を解く、か。何か代償が必要なんだろうか。
「その封印は解くのに、石板の破壊だけで良いのか?」
聞くとセバスチャンが言う。
「協力者によれば、それなりの代償は払わねばならないそうです。」
それなりの代償か。人の命か、もっと言えば国の滅亡か。
「何百年も前に国を揺るがす争いが起こった際の切欠が双子の王子の誕生、だったな。」
そう言うとセバスチャンが頷く。
「はい、殿下。」
ソファーに座り、溜息をつく。
「その際に暗躍したのが西の森の黒魔術師、そしてその黒魔術師を封印したのが白百合乙女…」
パズルのピースが一つ、また一つとはまっていく。私の中の疑念が確証に変わって行く。しかしそれを証明する手段が無い。父上や母上にそれを聞いたところで、否定されるだけだろう。どうしたものか。
夕刻になり、続々と貴族たちが集まって来ている。その様子を見ながら今日の段取りを確認する。俺は騎士団長として会場の警備に就きながらも、時間になればエリアンナ嬢のエスコートをしなければならない事で気が落ち込んでいた。
「騎士団長殿。」
そう声を掛けられ、振り向く。
「本日の予定が少し変更されたとの事です。」
侍従が持って来た書面を見る。リリアンナ様が白百合乙女である事を公表する時間が設けられている。
「承知した。」
侍従は頭を下げて歩き去る。リリアンナ様が白百合乙女であると公表されるのであれば、会場は混乱するだろう。警備についている騎士たちに急ぎ、伝えなければならない。近くに居た黒い騎士にそれを伝え、態勢を整える。
「フェイ。」
声を掛けられる。声を聞いて微笑む。
「ソンブラ。」
振り返るとソンブラが近付いて来るところだった。
「どうした?」
聞くとソンブラが言う。
「フィリップ殿下がお呼びだ。」
ソンブラと共にフィリップ殿下の執務室に行く。
「殿下から離れても良いのか?」
聞くとソンブラが笑う。
「フィリップ殿下の元にはセバスチャンもウォルターも居るんだぞ?」
そう言われて俺も笑う。
「確かにそうだな。」
セバスチャンは元騎士団長、ウォルターは黒い騎士でもある。ウォルターに関してはこの国の中でも俺やソンブラに次ぎ、剣の腕が立つ男だ。執務室の前でセバスチャンが待っていた。
「中に。」
セバスチャンの表情が硬い。中に入るとフィリップ殿下が窓から外を眺めていらっしゃった。
「お呼びでしょうか。」
そう言うとフィリップ殿下が窓の外を見ながら言う。
「これから話す事を良く聞いて欲しい。」
そして振り返る。
私は自分の部屋で夜会用に準備されたドレスを着ていた。髪を結い直し、ネックレスを付ける。以前、頂いたイエローダイヤモンドのネックレス。イヤリングとブレスレットがセットになったもの。婚約式でのドレスはシンプルなものだったけれど、夜会用のドレスはそうもいかない。婚約式後の夜会なのでドレス自体の色は白と決められてはいるけれど、婚約式のドレスよりも手が込んでいる。裾と襟元、胸元、腰回りに繊細な刺繍が施されている。フィリップ様の瞳と同じ色の金色の糸だ。鏡に映る私は別人のようだ。…そう、私はもう以前の私では無い。今日の夜会で私が白百合乙女だと公表されるのだ。そう公表されるという事は、この国の中で私よりも強い神聖力を持つ者は居ないと宣言するのと同じ事。この力でどこまでの事が出来るのかは分からない。けれど、大事な人や関わりを持った人たちを私の力で守れるなら、私はそうする。それが出来る。
「リリー様。」
呼び掛けられて振り向く。キトリーが言う。
「夜会の最中はお食事が出来ませんので、今のうちにいくらかでもお召し上がりになってください。」
馬車の中で待機する。王宮に入る為の列が出来上がっている。私の順番はあとどれくらいかしら。お父様とお母様はさっきから緊張しているようで、落ち着きが無い。もう既に日が沈んでいる。
「王宮に入ったらリリアンナを見つけないと。」
お父様が言う。お母様は少し笑って言う。
「夜会に来られていれば、の話ですけれどね。」
お父様もお母様も王宮の中でリリーに会っていないのだった。とは言っても私もリリーの事は見掛けただけだった。演武の際に遠くから。それ程、派手ではないドレスで、相変わらず貧相だった。でもリリーにはきちんと侍女がついていた。治癒をしたリリーに膝を付いて謝意を表すフェイ様が蘇る。
…そう怒りを露わにするな、警戒される
頭の中の声がそう言う。うるさいわね、黙っていなさい。それよりも今日はフェイ様にエスコートして貰うのよ?この間みたいに手が弾かれたらダメなの、分かっているの?
…私は夜会の最中はお前の中、深くに潜っている
…だが、話した通り、祝福を受けている者と触れ合えば痛みが伴うぞ?
痛み?そんなもの、どうにでもなるわ。耐えてみせる。だってフェイ様のエスコートで夜会に登場するのだもの。
時計を見る。そろそろ、入口に向かわねばならない。溜息をついて入口に向かう。何人もの貴族たちの中でひと際目立つドレスの女。深紅の毒々しい色のドレスを身に纏い、歩いて来るエリアンナ嬢。俺は胸元に入れたハンカチに触れる。大丈夫だ、俺にはリリアンナ様のご加護がある。
「やぁ、クラーク卿。今宵はエリアンナを頼みますぞ。」
モーリス伯爵はそう言って伯爵夫人をエスコートして会場に入って行く。エリアンナ嬢が手を差し出す。俺はその手を取る。一瞬、緊張した。が、何も起こらない。そのままエリアンナ嬢をエスコートして会場に入る。
支度が整う。私のタイを直し、一歩下がったセバスチャンと入口に待機しているウォルター、ソンブラに言う。
「セバスチャン、ウォルター、ソンブラ。3人ともモーリス家の人間に注視してくれ。特にエリアンナ嬢から目を離すな。何事も、起こしてはいけないよ。」
そう言うと3人がそれぞれに頭を下げ言う。
「御意。」