扉がノックされ、入って来たフィリップ様は溜息が出る程、美しかった。
「やぁ、リリー。そろそろ時間だよ。」
そう言われて私は立ち上がる。キトリーとソフィアが長いドレスの裾をさばいてくれる。
「美しいね、そのドレスを着こなせるのはこの国の中でリリーだけだろうね。」
フィリップ様が手を差し出してくださる。その手に自分の手を乗せる。
「行こう。」
フィリップ様と共に部屋を出ると、そこにはセバスチャン、ウォルター、ソンブラが待機している。ソンブラも、私の護衛についているウェルシュ卿も普段の騎士服とは雰囲気が違う。セバスチャンもウォルターも普段の服より、格式高い感じがする。私の驚いている顔を見て、フィリップ様が少し笑って言う。
「皆、今日は正装なんだ。」
そう言われて私は頬を染める。そして思う。
「キトリーとソフィアは…?」
聞くとフィリップ様が微笑んで言う。
「大丈夫、リリーが会場に着いたら、二人にも着替えをさせるよ。心配しないで。」
会場に入る手前で、歩みを止める。会場に大きな声が響き渡る。
「フィリップ王太子殿下の御入場でございます!」
フィリップ様が私を見る。私はフィリップ様を見上げて頷く。フィリップ様のエスコートで会場に入る。
フィリップ王太子殿下の御入場だわ。そう思ってそちらを見る。あの時に見た美しい男性。金色の髪に金色の瞳、白く透明な肌…今日は婚約式だったそうだから、王太子殿下の服装は白と決まっている。真っ白な正装、瞳の色と合わせてその服のところどころに金色の糸で美しい刺繍が施されている。婚約者を伴っていらっしゃった王太子殿下の隣を見る。
え?
一瞬、時が止まる。王太子殿下の隣に居たのはリリーだった。リリーは王太子殿下のエスコートでゆっくりと会場に入って来る。拍手が起こり、会場中が拍手の音に包まれる。
待って、何故リリーが王太子殿下の隣に居るの?
どういう事なの?
リリーはグリンデルバルド家の醜悪な当主と婚約したのでは無いの?
これは何なの?
どういう事なの?
頭の中に疑問がグルグルと回る。私をエスコートしていたフェイ様が飲み物を持って戻って来る。
「エリアンナ嬢。」
そう言われてハッと我に返る。フェイ様は私の飲み物を差し出し、聞く。
「どうかされましたか?」
聞かれて私は思わず聞く。
「フェイ様はご存知でしたの?」
フェイ様が少し笑って聞く。
「何を、ですか?」
フェイ様のそのお顔を見て、私は悟った。フェイ様はご存知だったのね。リリーが王太子殿下の婚約者だと。だからあの時、演武場にリリーが居たんだわ。わなわなと怒りで震える。王太子殿下が話し出す。
「今宵は皆、良く集まってくれた。私は今日、正式にここに居るリリアンナ嬢と婚約をした。今宵は皆、楽しんでくれる事を祈っている。祝いの品や祝いの言葉をありがとう。」
王太子殿下が堂々と皆の前でそう話す。拍手が起こる。拍手を受けながら王太子殿下が手を上げ、拍手を制する。そして王太子殿下はリリーを見る。リリーも王太子殿下を見上げて小さく頷く。
「それから、今宵はもう一つ、皆に祝って欲しい事がある。」
王太子殿下がリリーの手を離し、リリーの背中に手を添え言う。
「私の婚約者となったリリアンナ嬢は聖女であると認定を受けた。」
会場中がざわめく。聖女の認定を受けたですって?会場の中から一人の男性が出て来る。あの人は…大神官様だわ。大神官様はリリーと王太子殿下の前に来ると膝を付き、挨拶すると立ち上がり、振り返ると皆の前に立つ。
「私は中央神殿の大神官、ハビエルである。」
大神官様の声が会場中に響く。
「中央神殿の大神官として、私はここに宣言する。」
大神官様がリリーを振り返り、リリーを指し示す。
「ここにいらっしゃるリリアンナ様はただの聖女では無く、大聖女、白百合乙女様である。」
一瞬の静寂の後、割れるような拍手が起こる。割れるような拍手の中、王太子殿下がリリーに何か耳打ちするとリリーは頷いて、一歩前に出ると胸の前で手を組み、祈り始める。リリーから光が溢れ出し、それが会場中に広がって行き、会場の天井からキラキラと光の粒が舞い落ちる。私はその場に居る事が出来ず、テラスに出る。息が切れる。呼吸が苦しい。あのキラキラした祝福とやらが落ちて来た途端、気持ちが悪くなって吐きそうだった。
これは何なの?
何がどうなっているの?
白百合乙女?大聖女?ねぇ、何の事なの!
会場を見る。キラキラした粒が落ち切っている。私は恐る恐る会場に入ってみる。…大丈夫そうだった。
「エリアンナ嬢。」
声の主はフェイ様だ。
「どうかされましたか?」
またそう聞かれる。私は微笑みを作って言う。
「いえ、少し外の風に当たっていただけですわ。」
会場の一番目立つ場所ではリリーが王太子殿下に優しく見下ろされ、微笑まれている。
「エリアンナ!」
人込みを掻き分け、お父様とお母様が来る。
「これは…一体どういう事なんだ?リリアンナはグリンデルバルド家の当主と婚約したのでは無かったのか?何故、リリアンナが王太子殿下の婚約者として紹介される?白百合乙女とは何なんだ!」
そんな事、私に聞かれても分かる筈無い。するとフェイ様が少し笑って言う。
「この国中でもグリンデルバルド家の御当主がフィリップ王太子殿下だと知る者はほとんどおりません。王太子殿下は持病の為、長くこの王都を離れていらっしゃったのです。そしてそこにリリアンナ様が現れ、治癒をなさった。リリアンナ様のお力は誰よりも強く、そして美しい。」
フェイ様は離れた場所に居るリリーを見ながらそう言う。その瞳はまるで恋しているかのようだ。
「リリアンナ様はその強いお力故に、白百合乙女様と認定されたのです。」
お父様がフェイ様に聞く。
「白百合乙女とは何なんだ?」
フェイ様は私たちを見て言う。
「白百合乙女様は何百年も前、この世に降臨された大聖女様です。大地と天に愛され、国に繁栄をもたらし、国中をその加護で覆う…まさに奇跡のお方。」
リリーがその大聖女だと言うの?忌み子なのに?
「そんな、リリーが…そんな訳…」
お母様の顔色が真っ白になっている。お父様は何かを考え込み、そして言う。
「まぁ良いでは無いか!いずれにせよ、我が娘、リリアンナが王太子妃になるのだ。」
そして襟を正し、言う。
「挨拶に行くぞ。」
そう言ってお父様はお母様を連れて歩き出す。
「クラーク卿、君も来たまえ。」
お父様が言う。
皆の前に下りると皆、我先にと挨拶に来る。誰が誰だか分からない。けれど微笑みを崩す事無く私はフィリップ様の隣に立った。
「リリアンナ。」
そう声が聞こえて、私の体は思わずビクッと小さく跳ねる。声の主はお父様だ。
「リリアンナ、元気にしていたか。」
顔には張り付けたような笑顔。こんな笑顔を私に向けてくれた事は今まで一度も無い。お父様が近付く度にザワッとした感覚がする。
「王国の星、フィリップ王太子殿下にご挨拶申し上げます。」
お父様がそう言う。フィリップ様は私の前に立つと言う。
「挨拶は受け取った。」
フィリップ様がそう言うという事はそれ以上の発言は許されないという事だ。
「リリー。」
お父様の後ろからお姉様が出て来る。お姉様の顔にも笑顔が張り付いているように見える。
「元気そうね。」
そう言うお姉様に何故か、鳥肌が立つ。
「紹介してくださらないの?フェイ様。」
お姉様の隣にはクラーク卿が立っている。クラーク卿は私たちの前まで来ると言う。
「王国の星、フィリップ王太子殿下、ならびに王国の光、リリアンナ様にご挨拶申し上げます。」
クラーク卿の出で立ちも普段の騎士服と違い、正装なのだと分かる。数々の勲章が肩に、胸に飾られている。お姉様はクラーク卿の腕に触れ、言う。
「フェイ様と婚約の話が進んでいるの。近いうちにリリー、あなたにも報告出来るようになるわ。」
胸がチクチクと痛んだ。けれどそれを悟られる訳にはいかない。
「そうですか、それは良かったです。」
それだけ言う。フィリップ様が一歩前に出て、お父様に何かを囁く。お父様の顔がみるみるうちに青くなる。
「それでは私はこれで。」
そう言ってお父様が踵を返す。お母様は何も言わずにお父様を追いかける。
「エリアンナ嬢、君は帰らなくて良いのかい?」
フィリップ様が笑顔で聞く。
「私はまだ楽しみたいですわ、ねぇ、フェイ様。」
そう言ってクラーク卿の腕に手を掛ける。私は思わず俯いてしまう。
「そうか、ならば楽しんでくれ。そして悪いが、そこを空けてくれるかい?挨拶したい者がまだまだたくさん居るんだ。」
フィリップ様がそう言う。
「行きましょう。フェイ様。」
お姉様はそう言ってクラーク卿の腕を引き、歩き去る。次の方が挨拶に来る。フィリップ様が対応する。クラーク卿はほんの少し私に振り返り、会釈した。そんな彼を見送る。胸が痛かった。