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第60話

想定していた程の混乱は起きなかった。皆一様に祝い、楽しんでくれている。エリアンナ嬢が来た時は緊張が走ったが、それも挨拶のみで終わった。その後もエリアンナ嬢は会場に居たが、着て来たドレス以上の目立った行動は無かった。リリーが皆に祝福を授けた時、エリアンナ嬢が会場から出てテラスに行くのを見逃さなかった。しかし、それ以上に変わったところは無い。


それよりも。


リリーが気掛かりだった。リリーはモーリス伯爵が挨拶に来た時には気丈に振る舞っていた。けれど、クラーク卿が挨拶をし、エリアンナ嬢がクラーク卿の腕に自身の腕を絡ませ歩き出した時、リリーは俯いていた。それを見て私は察したのだ。きっとリリーはクラーク卿を慕っているのだろう。その兆候はずっと前からあった。リリーがクラーク卿から貰ったという花、その時に使ったハンカチが部屋に干してあった。今も隣でリリーは皆の挨拶に答えながら、その手には見慣れないハンカチを握っている。私と婚約をしたのだから、本来は許されない事ではある。しかし、私にはリリーを非難出来なかった。


リリーは成り行きで私と婚約をした。それはリリーに拒否する事は出来なかった事だ。リリーに拒否権など無かった。しかしリリーはそれを受け入れ、私の元に来て、私に治癒をしてくれた。そして王太子である私の婚約者に相応しくなろうと日々、努力を続けてくれたのだから。そして今、不穏な動きがある以上は私の婚約者という立場がリリーを守ってくれると信じているが、それがリリーの負担になっている事も知っている。挨拶をしたクラーク卿もその表情は硬かったし、きっと彼もリリーを少なからず想っているのだろう。




やっとひと段落ついて、私はリリーを伴ってフロアに出る。お披露目のダンスを踊らなくてはいけない。この日の為にリリーはずっとダンスの練習もして来た。私はリリーの手を取って、踊り出す。リリーは微笑みをたたえたまま、私のリードで踊る。東部に来るまでダンスはおろか、貴族としての振る舞いも出来なかったリリーは今や立派にダンスをこなしている。


「上手だよ、リリー。」


言うとリリーは頬を染めて言う。


「たくさん練習しました。」




お披露目のダンスが終わると、貴族たちがこぞってフロアに出て来て踊る。エリアンナ嬢もクラーク卿と踊っている。リリーはフロアを見ながら微笑んでいる。きっと心の内は…。たくさんの貴族たちが踊っている中で、一曲終わり、次の曲が始まる。クラーク卿が近付いて来て、リリーと私の前まで来ると言う。


「リリアンナ様、リリアンナ様と踊る名誉を私にくださいますか。」


クラーク卿はそう言って手を差し出す。リリーが私を見る。私は微笑んで言う。


「踊っておいで。断ったら失礼だ。」


私がそう言うとリリーはパッと嬉しそうに笑い、頷く。クラーク卿がリリーの手を取って踊り出す。そんな二人を見ていると心が温かくなる。私も誰か誘おうかと思い、振り返る。そこにはすっかり綺麗に着飾ったソフィアが居た。


「ソフィア。」


呼ぶとソフィアが私の隣に来る。


「お呼びですか、殿下。」


微笑むソフィアに言う。


「踊ろう。」


私がそう言ったのが意外だったのか、ソフィアは驚いている。私は笑ってソフィアの手を取り、フロアに出る。




彼がダンスに誘ってくれた。フィリップ様を見るとフィリップ様は優しく微笑んで踊っておいでと言ってくださった。彼に手を取られ、彼のリードで踊る。


「ダンスはあまり得意では無いので、上手くリード出来ませんが。」


踊りながら彼が言う。私は少し笑って言う。


「そんな事無いです、すごくリードが上手くて、安心して踊れます。」


彼も少し笑っている。彼の手が私の背中にある。こんなに近くで、こんなに長時間、彼と触れ合っていられるなんて。ふとすれ違う人たち。それはフィリップ様とソフィアだった。ソフィアはきっとフィリップ様に駆り出されたのね、そう思っていると踊りながらフィリップ様が私に悪戯っ子のようにウィンクして来る。私が笑うと彼が聞く。


「何か楽しい事でも?」


私は彼を見上げて言う。


「フィリップ様がソフィアを駆り出して、踊っているのが何だかおかしくて。」


クルッとターンして、彼がフィリップ様を見る。そして彼は私に視線を戻して言う。


「確かに、少し困っているようにも見えますね。」


彼が笑う。柔らかい笑み、揺れる銀髪、銀色の瞳…。不意に突き刺さるような感覚がしてみれば、そこにはお姉様が居た。お姉様は私を睨み付けている。私が視線を逸らすと、彼がそんな私の様子に気付いて視線を自身の体で遮ってくれる。


「リリアンナ様。」


彼がほんの少し顔を近付けて言う。


「近いうちにエリアンナ嬢の聖女の地位が剥奪されるかもしれません。」


そう言われて驚いて彼を見上げる。


「今はその為に色々動いている最中です。」


彼の瞳が真摯に揺れる。


「エリアンナ嬢から何か良くないものが感じられる、そうですね?」


聞かれて私は頷く。


「この会場にはセバスチャン、ソンブラ、ウォルター、ベルナルド、そして私が居ます。何があってもお守り致します。この身に代えてでも。」


そう言ってくださる彼の手の温かさに、そして少ない言葉で的確に心の内を掬い取ってくださる彼に私はとても安心出来た。


「ありがとうございます。でも私にも出来る事があれば何でもやります。」


私がそう言うと、彼と触れ合っている私の手から自然と淡い光が漏れ出して、彼の体をほんのり包んでいく。それを感じ取った彼は微笑んで言う。


「こうして祝福を授けて頂ける私は、本当に幸せ者です。」




ダンスが終わり、挨拶をして私は自席に戻る。ダンスの申し入れは後を絶たなかったけれど、その申し入れのどれも、全てフィリップ様がお許しにはならなかった。席に戻って一息つく。刺すような視線をまた感じる。離れた所に居るお姉様がまた私を睨むように見ていた。私とフィリップ様のお席は一段高くなっていて、周りにソンブラもセバスチャンもウォルターも居て、更には黒い騎士様たちが周囲を固めている。この会場の誰も私とフィリップ様に直接話し掛けられる状況では無かった。お姉様に何か感じるのは私の気のせいかとも思っていた。私は彼の事を慕っている。だからそんな彼と一緒に居られるお姉様が羨ましかった。私のそんな気持ちがお姉様をまっすぐ見られない状態にしているのでは?と思っていた。けれど、私の中ではそれとは別の何かを感じ取っていた。


先程の彼とのダンスでも、彼とお姉様の触れ合った箇所から、薄いけれど黒いもやが見えたのだ。このもやは私にしか見えないもの。それは以前の黒魔術の解呪に使った物を浄化した時にフィリップ様から教えて頂いた。


「リリー様、お飲み物をどうぞ。」


セバスチャンが微笑んで飲み物を持って来てくれる。


「ありがとう。」


そう言ってそれを受け取り、一口飲む。ふわっと広がるフルーツの良い風味。飲み込むと喉と胸のあたりが温かくなる。その飲み物をしげしげと見ているとフィリップ様が笑う。


「それはお酒だよ。」


フィリップ様も同じものを飲んでいる。


「お酒…ですか。」


初めて飲んだお酒。もう一口飲む。


「美味しいです。」


言うとフィリップ様が笑いながら言う。


「飲みやすいものを選ばせたけど、飲み過ぎないようにね。」


そう言ってフィリップ様は後ろに控えているセバスチャンに言う。


「リリーにお水も用意してくれ。飲み過ぎたら大変だから。」


セバスチャンが微笑んで言う。


「かしこまりました。」




夜会は滞りなく進み、夜も更けて行った。ちらほらと帰り始める貴族たち。俺は警備に目を光らせていた。


「フェイ様。」


振り向くとエリアンナ嬢が俺に近付いて来る。


「お父様とお母様が馬車を使って帰ってしまったので、帰りの馬車が無いのです、よろしければ送って頂けません?」


笑顔でそう言うエリアンナ嬢に底知れぬ何かを感じて背筋に寒気が走る。


「申し訳ないが、私は会場の警備がある為、ここを離れる訳にはいなかいのです。馬車は手配しますので、それに乗ってお帰りください。」


そう言って頭を下げる。これだけ丁寧に言えば断る事も出来まい。そしてすぐに近くに居た騎士に馬車の手配をさせる。エリアンナ嬢をちらっと見る。エリアンナ嬢は無表情で不機嫌そうだ。すぐに馬車の手配がされ、部下の騎士に促され、エリアンナ嬢が何も言わずに帰って行く。それを見送る。エリアンナ嬢が帰れば一先ず、安心だ。それでも何かあってはいけない。


「周囲の警備を確認しろ。最後まで気を抜くな。」


そう言って指示を出す。

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