戴冠式━━━
フィリップ様が国王になった。私はそんなフィリップ様を見て、本当に嬉しく思っていた。一番最初に会った時は、咳き込んで今にも倒れそうな程で、真っ白な肌を見て病弱なのだとすぐに分かった。それから治癒を施すうちにどんどん、そのお姿を輝かせて行き、王太子としてのお姿、お振る舞いは圧巻だった。聡明でこの国の為にと尽力できるその懐の深さ、どんな形であれ、愛情を持って相手に接する事の出来る、愛情深い方だ。そんな方がこの国の国王になったのだから、きっとこの国はもっと良くなって繁栄して行くだろうと思えた。
そしてもう一つ、私は見ていて微笑ましく思っている事がある。
それはフィリップ様とソフィアの事。ソフィアはフィリップ様に解毒薬を飲ませてから、フィリップ様がご自分の傍に置いている。私にはキトリーやウェルシュ卿が居てくれるし、他にも何人も侍女が居て、困っていないので、ソフィアにもそうするように伝えたけれど。フィリップ様の元に居るソフィアは何だか少し恥ずかしそうにしていて、そんなソフィアにフィリップ様は微笑みながら、手を差し伸べて連れていらっしゃるのを見て、私まで心が温かくなる。
そしてこの戴冠式ではソフィアはフィリップ様のすぐ傍に控えているけれど、その佇まいは何だか婚約者のようにも見えた。ソフィアの家柄も伯爵家で、家柄的にも問題は無いとキトリーに教えて貰った。ソフィアは私にとっては姉のような人だと思っている。何も知らなかった私を人前に出られるようにしてくれたのはソフィアだったから、ソフィアには幸せになって欲しい。少し恥ずかしそうにフィリップ様と歩くソフィアは恋をしている少女のようで本当に可憐で綺麗だった。
「リリー様、こちらへ。」
そう侍従の方に促されて歩く。私の歩く先にはフェイロン様が待っていて、フェイロン様は私を見ると微笑んで手を差し伸べて下さる。その手に自分の手を乗せて歩いていると、何だか、私がフェイロン様のパートナーになったような気持ちになる。
戴冠式の様子を見ながら、私の心は別の事でいっぱいだった。湖でフェイロン様から一騎士として、そして男として守らせて欲しいと言われてから、私はずっと考えている。本当にそれを受け入れて良いのだろうか。もちろん、私はフェイロン様の事を慕っているけれど。そんな私の気持ちを見透かすようにフェイロン様からは連日、贈り物が届いていた。
湖から戻って来たその日のうちに、まずは花束が届いた。白百合の花束だった。そしてそれを皮切りにフィリップ様の戴冠式に着るドレスや宝飾品、そして普段使える細やかなものや、ささやかな物。フィリップ様の戴冠式に身に付ける宝飾品は皆、フェイロン様の瞳と同じ色のもの。それを今、私は身に付けている。フェイロン様が贈ってくださったドレスも、人前に立つまでは知らなかったけれど、フェイロン様と揃いのものだった。薄いターコイズグリーンのドレス。細やかな刺繍が美しく、それらの刺繍はテイラーによるものだった。こんな公式の場で揃いのドレスを着る事、それが意味する事を私も知らない訳では無い。少し戸惑って、私は戴冠式の間中、気もそぞろになってしまっていたのに、周りの人たちは何とも思っていないのか、誰と目が合ってもにっこりと微笑まれてしまう。それも何だかくすぐったくて、私はずっと視線を下げていた。
「リリー様、参りましょうか。」
フェイロン様にそう声を掛けられ、顔を上げる。気付けば戴冠式は終わっていて、これから夜会へと移るようだ。フェイロン様にエスコートされ、一度、部屋に戻る。部屋の前まで来ると、フェイロン様が言う。
「今夜の夜会のエスコートも私にさせて頂けますか?」
そう聞かれて私は恥ずかしくて下を向きながら言う。
「はい…」
フェイロン様はクスっと笑って、私の手の甲に口付けて言う。
「それでは、時間になったら迎えにあがります。」
部屋に入って息をついた私はまた驚いた。目の前には次の衣装があって、ニコニコの笑顔でキトリーが待っていた。キトリーは私を促しながら言う。
「今夜の夜会のお衣装も、フェイロン殿下と揃いのものですよ。」
目の前のドレスは少し色味が強いターコイズグリーンだった。深みがあって、今、着ている衣装よりも少し華やかな印象だ。
「ねぇ、キトリー。」
呼び掛けるとキトリーが私を見る。
「何でしょうか、リリー様。」
私は少し恥ずかしく思いながら聞く。
「衣装が揃い、というのは、やっぱり私がフェイロン様のパートナーだという事なのよね?」
キトリーが少し笑い出し、そして咳払いをして言う。
「そうです、リリー様。リリー様はフェイロン殿下の寵愛を受けておいでですよ。」
寵愛、と言われて私は恥ずかしくて俯く。顔が真っ赤になるのを感じる。キトリーがそんな私の背中に優しく触れて言う。
「リリー様は白百合乙女様です。今はフェイロン殿下の寵愛を一身に受けておいでですが、これから先は国中の者がリリー様に心奪われるでしょう。ですから、フェイロン殿下も必死なのですよ。」
フェイロン様が必死?そう思って聞く。
「フェイロン様が必死?」
キトリーはまたクスっと笑って言う。
「そうです、これからは国中の者がフェイロン殿下のライバルになるのですから。」
溜息をつく。何故、リリー様はあんなにも美しいのか。儚げで、でも芯はしっかりしていて、凛としている。いつもその姿をキラキラと輝かせていて、すれ違う者たちがリリー様を見ているのが分かる。なのにリリー様ご自身は全くの無自覚。誰かがリリー様の心を掻っ攫ってしまわないか、常に心配だった。
今日のリリー様も美しかった。リリー様の姿が一番引き立つように衣装を選んだ。戴冠式という公式な場での揃いの衣装は目を引いただろう。そんなふうにしてでもリリー様は俺のものだと知らしめたかったのだ。やる事が稚拙だなと自分を笑う。でも恥じらう様子のリリー様もこの上なく愛おしく感じる。
ソファーに座ってまた溜息をつく。不意に思い出す、リリー様との口付け…、いや、あれは口付けなどでは無かった。解毒薬を飲ませる為の策だ。でも俺はちゃんと覚えていた。失っていく感覚とは逆に柔らかくて温かい唇…。体中が熱くなって俺は思い出すのを止める。自分でも顔が赤くなっているのが分かる程だ。立ち上がってテラスに出る。夕刻の風に吹かれて頭を冷やす。
今夜の衣装もきっとお似合いになる。会うのが楽しみだった。俺が贈ったドレスやネックレス、イヤリングを身に付けてくれているんだと思うと、俺の中の独占欲が顔を出す。誰よりも似合っていた、俺の瞳と同じ色のネックレスやイヤリング、そして俺の贈ったドレス。リリー様が引き立つように慎重に選んだのだ。
「殿下、そろそろお支度を。」
そう侍従に言われて俺は部屋に入る。用意されている騎士服は今夜の為に特別に誂えたものだ。濃い色のターコイズグリーン。リリー様と揃いの色とデザイン。きっとこれを見れば誰でも分かるだろう。俺がリリー様を独占しているのだと。
夜会が始まる。お部屋に迎えに上がる。
「リリー様、フェイロンです。」
そう言うと扉の向こうから声がする。
「どうぞ。」
言われて扉を開ける。ふわっと風が起こる。そこに立っていたのはまるで女神のようなリリー様だった。溜息が漏れ、呼吸を忘れる。長く伸ばした髪が揺れる。光の反射で銀色の髪がキラキラと光っているように見える。あぁ、なんて美しいんだ。そう思った。
「フェイロン様…?」
リリー様のそう言う声が聞こえて、俺はハッと我に返る。
「失礼しました、あまりの美しさに言葉を失っていました。」
言うとリリー様が頬を染める。桃色の頬がまた可愛い。背後に居た侍従の一人が俺に花を一輪、渡してくれる。俺はそれを受け取って、リリー様の元へ行く。手元の白百合を見る。
「今日は兄上の戴冠式。戴冠式では我々王族は国花である白百合を身に付けるのが決まりです。」
そう言って白百合をリリー様の髪に飾る。
「我々、王族…」
リリー様が独り言のように呟く。それを聞いてクスっと笑う。
「リリー様は白百合乙女様です、そして私のパートナーであると私は思っていますが、違いますか?」
聞くとリリー様が俺を見上げる。
「いえ、そうです…」
リリー様に見上げられ、思わず抱き寄せる。腕の中の大切な人に言う。
「あなたは私の大切な人です、リリー様。」