外が騒がしくなり始める。何だろう、そう思っていると扉がノックされて入って来たのはセバスチャンだった。
「セバスチャン!」
珍しい顔に少し驚く。
「リリー様。」
セバスチャンは相変わらず微笑みを湛えて言う。
「フィリップ殿下がお呼びでございます。お迎えに上がりました。」
王太子宮の中を歩く。ここへ来るまでの間も、たくさんの人たちがせわしなく歩き回っていて、何かあったのだと分かる。もしかしたら私がこの王宮を出る為の準備かもしれない、そう思う。フィリップ様のお部屋の前まで来るとセバスチャンが扉をノックし、言う。
「セバスチャンです、リリー様をお連れ致しました。」
扉の向こうでフィリップ様の声がする。
「入れ。」
セバスチャンが扉を開ける。
「どうぞ。」
そう言われて中に入る。部屋の真ん中にあるソファーにフィリップ様とフェイロン様、そして王妃様までいらっしゃった。その様子に少し驚いていると、セバスチャンに促される。
「さぁ、どうぞ。」
促されてソファーまで歩く。三人とも微笑んでいる。フィリップ様の隣には王妃様が座っていらっしゃって、空いているお席はフェイロン様の隣だけ。
「リリー、座って。」
フィリップ様にそう言われて、私は仕方なくフェイロン様の隣に座る。座るとセバスチャンがお茶をいれてくれる。
「今日はね、リリー。君にある提案があって呼んだんだ。」
ある提案…先程、フェイロン様も仰っていたような、フィリップ様にも何か考えがあるということだろうか。
「なんでしょうか。」
聞くと今度は王妃様が微笑んで言う。
「リリーはこの国を救ってくれた大聖女、白百合乙女。そんな大聖女、白百合乙女の為の宮を造ろうと思っているの。」
話が急過ぎて、付いて行けない。今、私の為の宮を造ると仰った…?フィリップ様が言う。
「リリー、私はリリーとの婚約を解消した。だからこのままリリーを王太子妃宮には置いておけない、残念ながらね。」
そして身を乗り出して、悪戯っ子のように微笑んで言う。
「だったら、新しい宮を造れば良い。」
フィリップ様はクスっと笑って言う。
「母上の言う通り、君はこの国を救った大聖女、白百合乙女だ。そんな救世主を王宮から追い出すような真似はしないよ。」
フェイロン様はずっと私を見て微笑んでいる。
「もう着手もしている。母上からの了承も得ている。」
フィリップ様が言う。私の為の宮…。想像が出来ない。
「もちろん、無理強いはしないよ。リリーがどうしても王宮を出たいと言うなら、それも仕方ない。でもそれならリリーの希望を聞いて、リリーの希望する場所に居を構えてもいい。でもこれだけは私からリリーにお願いしたい。私や母上から最大限の事はさせて貰いたい。」
人がせわしなく動き回っているのはそのせいなのか、と思う。自分の居る王太子妃宮まで戻って来る。お返事は待って貰った。考える時間が必要だろうとフィリップ様の計らいだった。テラスに出る。
私はどうしたいのだろう。ここ王宮に私の為の宮が出来る。私はこの国を救った大聖女、そう言われてもどうしても実感がない。
私はイービルを盛られて、倒れていた。そんな私に解毒薬を飲ませてくれたのはフェイロン様だ。フェイロン様が居なかったら、私でさえ、死んでいたかもしれない。この国を救ったのはフェイロン様だ。私はただ祈り、フェイロン様を悪しきものから守っただけ…。もちろん、その後のフィリップ様への治癒はずっと続けてはいるものの、もう治癒が必要ないくらいに回復されている。
そして国中に病に苦しむ人が居て、各地の聖女では治せない病もあるという。私の力が国中を覆うほどの加護をもたらすのであれば、ここ王宮に居ても、病に苦しむ人に治癒の力が広がるだろうか。
そして私の心の大部分を占めている想い…それはやはりフェイロン様への恋慕だ。ここ、王宮に居られなくなるという事はフェイロン様ともお会い出来なくなる。でもこのまま王宮に居ても、本当に良いのだろうか。この国を救ったのは私では無くフェイロン様である事は間違いない。フェイロン様もフィリップ様も私が居なければとそう言ってくださるけれど。
ふわっと風が吹き抜け、鳥たちが囀っている。
「リリー様!」
そう声を掛けられて声の主を探す。
「ここです、リリー様。」
声は下から聞こえて来る。テラスから下を見ると、そこにはフェイロン様がいらっしゃった。
「フェイロン様。」
少し微笑んでそう言うと、フェイロン様が言う。
「これから少し外へ出るのですが、ご一緒しませんか。」
フェイロン様のお誘いで、王太子妃宮を出る。王宮の更に奥、まだ行った事の無い場所へフェイロン様がいざなう。
「あの、どちらへ?」
聞くとフェイロン様は微笑んで言う。
「少し気晴らしに。」
美しい王宮の中を歩き抜け、突然、目の前に広がったのは大きな湖だった。
「こんな場所が…」
あまりの美しさに言葉を失くす。フェイロン様は私を促して湖に接している桟橋へと歩く。桟橋には真っ白なボートが浮かんでいる。フェイロン様はボートに乗り込むと、私に手を差し出す。
「さぁ、どうぞ。」
ボートなんて乗った事の無い私は戸惑う。フェイロン様が乗り込んだだけで、かなり揺れているのに…そんな私の不安そうな様子を見てフェイロン様が笑う。
「大丈夫ですよ、私が支えます。」
フェイロン様の手に自分の手を乗せる。力強い手が私を支えてくれる。乗り込むとグラグラとボートが揺れる。ほんの少しバランスを崩すと、フェイロン様が私を抱き留める。
「大丈夫です、ゆっくり座って。」
そう言われて私はゆっくりと座る。耳元で聞こえたフェイロン様の声にドキドキする。桟橋からキトリーが日傘を渡してくれていて、それをフェイロン様が受け取り、私に渡してくれる。
「ありがとうございます。」
そう言って日傘をさす。フェイロン様はほんの少し腕まくりをすると、オールを持って漕ぎ始める。水を掻く音がしてボートが動き出す。ゆっくりと動くボート。二人きりの空間。胸の高鳴りが聞こえてしまわないか心配になるくらい、ドキドキしている。目の前のフェイロン様は力強くボートを漕いでいる。普段はそれ程、意識はしないけれど、フェイロン様は騎士団長なのだったと思い出す。ボートを漕ぐ手が止まる。湖の上をゆっくりとボートが進む。
「リリー様。」
声を掛けられフェイロン様を見る。
「はい。」
返事をするとフェイロン様が微笑む。
「ここはもう岸からは離れていて、私たちの声も岸には届かないでしょう。」
桟橋の方を見ると、キトリーやその他の侍女、侍従が待機している。
「ここで話す事は誰にも聞かれません。」
フェイロン様に視線を戻す。フェイロン様は優しく微笑み、その両膝に自身の腕を乗せて、リラックスしているように見えた。
「リリー様は王宮を出たいですか?」
聞かれて答えに困る。ここ王宮を出たら、私には行く場所など無い。行けるとしたら神殿くらいだろう。答えに困っている私を見て、フェイロン様が言う。
「私としては、リリー様にはもちろん、ここに居て欲しいです。」
フェイロン様は少し笑って視線を下げる。
「私の手の届く範囲に居て欲しい…」
そう聞こえて来て私はそれがどういう意味なのかを考える。
「私は騎士の誓いをリリー様に立てました。一生涯、あなたをお守りする、そういう誓いです。」
フェイロン様が私を見る。真摯な瞳が揺れる。フェイロン様が私に手を差し出す。
「騎士として、そして一人の男として、私はリリー様をお守りしたいと思っています。」
フェイロン様の手に自分の手を乗せる。フェイロン様は私の手を優しく包むと、ボートの上に膝を付き、私の手の甲に口付ける。そして私を見上げて言う。
「私にリリー様を守らせて頂けますか?」
真っ直ぐな瞳に射抜かれる。私の瞳には涙が溜まっている。