結局、夕方になってしまった。
二人は、海に近い宿へと戻る。
エシカとローゼリアは宿の食堂で、シーフードのピザを口にしていた。
「まったく、二人して、この村を散策したのでしょう?」
ローゼリアは少し不機嫌そうな顔をする。
「やあ。お土産買ってきたぜ」
リシュアはエシカに、マヌーシュのブレスレットを渡す。ラベンダーもローゼリアにペンダントを渡した。それで二人の……特にローゼリアの機嫌は直ったみたいだった。
「明日には、セルキーに戻って、あの修道女を殺しに行きますの?」
殺す、という直接的な言葉をローゼリアは使う。
<分からん。お前らがどうしたいかだ>
ローゼリアは悩んでいたみたいだった。
そして答えを出す。
「私達には関係ありませんのよね。実際の処。放置して良いと思いますが」
<そうなのか?>
「だって、考えてもみてください。究極的に人助けをしたいとなると、たとえば、戦争を終わらせるとか、そんな事も視野に入れなければならないのですわ。私達にそんな力量があるのですか? ありませんわよね? ですから、あれもそういうものだと考えるべきだと思いますの」
言われてみれば、当然の事だった。
マヌーシュ達は民族間の戦争に追われて、こちらにみな移民として亡命してきたのだ。ならば、戦争と一人の大量殺人犯、どちらもある意味で言えば似たようなものだろう。みな、万能では無い。世界で起きる悲劇をいくら駆逐していっても仕方が無い。世界中の人間を幸せにする、という事は、途方もない事で、世界中の悪人を倒す、という考えも、ある意味で言えば途方も無い事だ。
あのリンディという残酷な人間は、ある種の災厄でしかないのだと、ローゼリアは言っているのだ。
エシカは、三人の会話を聞いていて、ある種、納得したみたいだった。
それに、因果、因縁のようなものも、彼女に対しては無い。
仕方の無い、ある種の災害、災厄のようなものを放置するしかないのだ。
災厄、か。
つまり、エシカ自身も、かつてはリンディのような存在として忌まれていたのだろう。もしかすると、リンディ以上に、かつてのエシカは沢山の人間を殺したのかもしれない。エシカはその事実も踏まえて、自分にはリンディを糾弾する資格は無いのだと思っていた。
<大量殺人鬼も、民族問題も、俺達にとっては手に余るものだ。これは苦々しい事実として受け止めよう。たとえば、ティアナはかつて、仲間達をゴルゴンという怪物の手で殺された。ティアナはきっと、いつか、ゴルゴンを退治したいと願っているだろうな。それと同じだ。此処の村の民族問題も、あの邪悪な修道女の問題も。この辺りの地域の者達に任せるべきだ。少なくとも俺はそう思うんだがな>
ラベンダーは、エシカのもやもやとした感情を説得する。
解決出来ない問題は、ある種、諦めて放置する事も手なのだ。
自分達は、なんでも出来るわけではない。
「と、ラベンダーがまとめてくれて、この話は終わりだ。次の街に行く事を考えよう」
リシュアは大きく溜め息を付いた。
「私、船に乗ってみたいですわ。明日、船に乗って出航しましょう!」
ローゼリアはすぐに頭の中を切り替えたみたいだった。
†
夜の港町。
エシカとリシュアの二人が、散歩をしていた。
風が肌に触れてとても冷たい。
もうすぐ、雪が降るのかもしれない。
二人は歩いていて、ある人物と出会った。
それは真っ黒なマントに身を包んだリンディだった。
今日は修道女の姿をしていない。
そもそも、修道女というのは、彼女の仮の姿なのかもしれない。
「私達を追ってきたのですか……?」
エシカは訊ねる。
「さあ、どうでしょう?」
リンディはくすりくすりと笑っていた。
リシュアはいつでも、戦闘態勢に入れるように得物に手をやる。いつでも、光のヒドラを生み出せるように…………。
「ふふふっ。本当にたまたまなんですよ。私はこれから捧げものをする為に、この街に来ました。貴方達と会ったのは、本当にたまたま。まあ、此処に行くように提案したのは、この私なんですけどね」
リシュアは光の刃をかざしていた。
人間を殺した事は無いが、この少女はもはや人間なのだろうか……?
悪魔と契約し、沢山の人間を残虐に殺している。
そんな存在を放っておいていいのだろうか?
悩んだ結果として、あちらの側から、此処にやってきた。
ならば、自分が殺すしかないんじゃないだろうか?
リシュアの放った光の刃を、リンディ……闇の司祭は、あっさりとかわす。
――――強い。
その瞳は、狂気に満ち満ちていた。
此処で止めなければ、更なる犠牲者が出るだろう。リシュアは光の魔法を練り直して、それをヒドラの形へと変えていく。光のヒドラはリンディに対して襲い掛かっていく。だが、それらは届かなかった。
リンディの背後から現れた無数の腕のようなものが、ヒドラの頭部を次々と払い除けていった。リンディは不敵に笑っている。リシュア一人の力では駄目だった。エシカも援護しようと、続いて炎の魔法をリンディにぶつけようとする。だが、辺り一帯の空間が歪んでいき、放たれた炎が空間そのものによって喰われていった。
やはり、強い。
自分達二人では駄目かもしれない。
これまで、色々な者達と対峙してきたが、こんなに強い相手に出会ったのは初めてかもしれない。ローゼリアとラベンダーの二人の援護が欲しかった。
バシュ、と。リシュアの腕からナイフが吹き飛ばされる。
リシュアは更に何かの攻撃を受けて、地面に倒れた。
「貴方達ごときに、私を倒す事なんて出来はしない」
リンディは、くくっと笑っていた。嘲り笑っていた。
どうしようもない実力の差を感じた。
このままだと二人共、殺されてしまう…………。
リシュアは一瞬、死を覚悟した。……いや、自分が死ぬ事よりもエシカを護れない事の方が悔しかった。
バシュウゥゥ。
暗い闇を閃光が照らす。
稲妻だった。
リンディはその稲妻を避けた。
だが、稲妻はいくつも闇夜に放たれていく。
リンディはそれらをさばき切れずにいるみたいだったが……彼女の背後には、無数の腕のようなものが現れて、稲妻をかき消していた。
くるくる、くるくる、と、ナイフが投げられていく。
そのナイフはリンディの肩に当たり、血が迸る。
ラベンダーとローゼリアが到着する。
「邪悪なる者、リンディ。やはり、考えを改めて、私は貴方を始末する事にいたしましたわ」
ローゼリアが告げる。
リンディはくすりくすりと笑った。
「そう? でも今日の処は、私は引くわ。ごきげんよう。皆様、また逢える日まで」
リンディは跳躍して、一隻の船へと飛び移る。
「私はただ、異世界に行った恋人と再会したいだけなの。それは邪魔されたくない。これから何年、何十年掛かっても、悪魔との契約で取り戻してみせるわ。じゃあね、お馬鹿さん達」
そう言うと、彼女は闇へと消えていった。
リシュアとローゼリアの二人がリンディが降り立った船へと同じく跳躍して駆け上がるが、そこには誰もいなかった。……取り逃したのだろうか。
「あの、彼女は何処に行ったのでしょうか?」
エシカは呟く。
<おそらく、この村の何処かに潜伏しているのかもしれないが……。深追いは危険だと思う。だが奴はまた逢える日と言った。また俺達に接触してくるかもしれない>
どうやらラベンダーは、あの邪悪な魔法使いは、何処か遠くの“狩り場”へと向かったのだと分析しているみたいだった。
放置していると、これからも彼女の犠牲者は増えていくだろうが、今はどうしようもない。
「四人掛かりでもあの人、強かったですわね。本当に、今後、戦う場合、警戒いたしましょう」
ローゼリアはそう言って項垂れた。
結局、これ以上、この場にいてもリンディは見つからないとみなが判断して、おとなしくみなで宿に戻る事にした。
†
一隻の船に乗りながら、四人はシンチアを離れていく。
それにしても、エトワールでの湖を除けば、船旅は初めてだった。これから海原へと向かっていくのだ。どうやらこの中で船に乗って海に渡った経験があるのはローゼリアだけみたいだった。少なくともリシュアは無い。エシカも過去の記憶の中では無い。ラベンダーは口を閉ざしていた。
忸怩たる暗澹とした気分になりながら、一筋の苦さと共に四名はこの村を離れていくのだった。……殺人鬼を取り逃してしまった。そして、その殺人鬼にみなの力でも勝てなかった。みな心に陰を落としたのだった。
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