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第37話 (凛side)

あれから何度もLINEをしたが、返信はおろか既読がつくことすらなかった。あんな振り方をしたんだからこうなることは覚悟していたけど、実際、既読のつかない相手にメッセージを送り続けるのは堪えるものがあった。

ブロックされてるのは確実なのにもしかしたらを信じて送ってしまうのだから、私もなかなか諦めが悪い。


通知の音でスマホをタップしても、そこに彼女の名前が表示されることはない。仕事の合間を縫ってスケジュールを合わせる事も、夜中に通話をすることも無くなった。

出会う前と同じはずなのに、侑希だけがいなくなった毎日は酷く色褪せて見えた。


トークを遡れば、卒業式の前に侑希が教えてくれた住所が分かる。彼女が住む場所はここからそれほど遠くないし、決して会いに行けない距離ではない。


ただ、私は侑希に会いに行って、どうしたいんだろう。

前みたいにくだらない話で笑って、触れ合って、あわよくば…。

でもそれは付き合ってないのにやっちゃダメなことで、だけど告白しようとしてくれた侑希をあの日拒絶してしまったのも私で。

どうやったって、今の私が侑希と幸せになれる道はない。分かってるのに、気持ちは言うことを聞いてくれない。



今日も仕事を終えると、疲れたままベッドに寝転がった。

返信のこないトーク画面をいつもの癖で開けば、胸が苦しくなって目が潤んだ。こんなことになるなら、出会わなければ良かった。思い出なんてない方が楽でいられたのに。そんな嫌な考えに支配されたまま私は目をつぶった。

目が覚めた時に全部忘れていたらどんなに幸せだろう。こぼれ落ちた涙を拭うこともせず、私は夢の中に意識を溶かした。



次の日の朝。今日は珍しく何も予定がないのでお昼に起きてご飯を食べてると、髪を綺麗にセットし終えた弟がキッチンにやって来た。きっとこれから彼女と遊びにでも行くんだろう。


私も数ヶ月前までは、侑希に会うためにこういう努力をしていた。

彼女にちょっとでもよく思われたかった。蒼くんじゃなくて自分を好きになってもらいたくて、普段はしないセットをしてみたり、ちょっとお洒落な服を選んだりしてたっけ。

そんな過去のことに思いを馳せていると、弟に声をかけられた。

「お姉ちゃん、最近元気なくね?」

「え?あぁ、仕事で疲れてんのかな」

「へぇ〜」

私の向かい側の席に座って、こちらを疑うような目をした弟。今は色々話す気にもなれないから、私は黙ってトーストを口に突っ込んだ。


「もう会わないの?」

察しのいい弟に内心驚いて顔を上げる。その後、小さく頷いた。

「なんで?」

「なんでって、もう会う理由がないの」

「何があったか知らないけどさ、お姉ちゃんはこのままでいいの?」

「いやだけど…。どうしようもないじゃん」

「ふーん」

私が強い口調で言ったからか、弟は会話を諦めたらしい。静かに席を引いた後、テーブルに手をついて立ち上がった。

さっき八つ当たりしてしまった事が申し訳なくなって、キッチンを出て行こうとする背中に、一応声をかける。

「ゆまちゃんとお出かけ?」

「うん」

「楽しんでね」

「あのさ、お姉ちゃん」

「ん?」

「どれも中途半端にしてたら、全部失うよ」


弟はそれだけ言って部屋を出て行った。残された私は1人でトーストを持ったまま、動けないでいた。



侑希side



夏休み初日。

みんなはこれから数週間、実家に帰ると言っていたからしばらく暇になってしまう。

私はみんなみたいに実家に帰るつもりはなかった。帰ってもお父さんもお母さんも家にはほとんどいないだろうし、ここで一人暮らししてるのと変わらないだろうと思ったから。

それに実家に帰れば必然的に、近くに住んでる凛に会う確率も増えるだろうし。

課題は終わっててやらないといけないことは特にないし、まだ友達と出かける予定もないので、しばらくは家でゆったりとテレビを見たり、本を読んで過ごすことにした。



今日はテスト期間に溜めていたドラマを一気に見た。

気づけば部屋がだんだん暗くなってきて、見終わる頃には外は真っ暗になっていた。

喉が渇いていることに気づいてお茶を飲もうと思い立ち上がった途端、ふらっと立ちくらみに襲われた。そういえば、お昼ご飯食べるのをすっかり忘れていた。

お茶を取り出すために冷蔵庫を開けてみたけど、今日の夜ご飯になりそうなものは何もない。買い物に行かないと。


今まで全部家政婦さんに頼りっきりだったから、私は家事があまり得意ではない。掃除洗濯は人並みには出来るが、料理はほとんど出来ない。だから普段は学食や買ってきた惣菜で済ましているのだが、テスト期間は買い物に行くの時間がもったいなくて食べないこともよくあった。

洗面所に置かれた体重計におそるおそる足を乗せると、受験期から5キロ近く減っていた。

痩せるのは嬉しいけど、こういう不健康な痩せ方はよくない。夏休みはずっと暇だし、これを機に頑張って自炊でも始めてみるか。


そんなことを考えながら家の鍵とマイバッグをポケットに入れ、買い物に出ようとしたちょうどその時、インターホンが鳴った。

ネットで何か買った覚えはないけど、たまにお父さんからこうやって仕送りが届くことがある。私はモニターをろくに確認せずに玄関まで駆け足で行くと、すぐに玄関を開けた。


「な、なんで、いるの…」

「ねぇ、ちゃんとチェーンして出ないと危ないよ?」


ドアを開けた先にいたのは、配達業者の人じゃなかった。ずっと会いたくて、でも1番会いたくなかった人。


困惑している私にはお構いなしに、凛はドアの隙間からこちらに手を伸ばしてきて、私は思わず後ずさった。

そのまま扉を閉じようとしたけど、差し込まれた凛のスニーカーに邪魔されて、閉じることができなかった。


そういえば、高校の時にもこんなことがあった。確かあの時は私が勘違いして拗ねて、凛がわざわざ家まで来てくれたんだっけ。懐かしい気持ちと同時に、幸せだったあの頃を思い出して、どうしようもなく辛くなった。


「なにしに来たの」

「んー、様子見に?」

「帰って」

「まぁまぁ、そんなこと言わずにさ」


ちゃんと食べてなくてフラフラしていた私は、ろくに抵抗することもできず、あっけなく凛の侵入を許してしまった。そもそも私が力で凛に勝てるはずがない。


「おじゃましまーす」

「……」


追い返すこともできず、私は凛を部屋に通した。

あの日、簡単に住所を教えてしまったことが悔やまれる。そもそも、今更どういうつもりで私に会いに来たんだろうか。

相変わらず、凛の考えてることはよく分からない。


凛はソファーの前に立って、きょろきょろと周りを見回していた。

「座れば?」

「蒼くんのグッズは?」

質問を質問で返される。

「持ってきてないわ。もう、観てないし」

「え、推すの辞めちゃったの?」

「そうよ」

半分は嘘だ。グッズは実家に置いておくのも憚られて、家を出る時に丁寧に段ボールに入れて持ってきた。でもまた飾るほどの元気もなくて、今はクローゼットにしまったまま。それを本人に話すもなんだか癪なので、わざわざ言わないけど。


私がソファーに座ると、凛も続けて横に座ってきた。

「じゃあさ、もう私のこと好きじゃない?」

私の方を向いてそう聞いてきた凛は、なぜかひどく嬉しそうで、そんな無神経な質問と態度に無性に腹が立った。

「好きなわけないでしょ」

「じゃあさ、友達としてやり直そうよ」

「は?」

「侑希と一緒に居た時間が、本当に楽しかった。最後はあんなだったけど、やっぱり友達として一緒に居たいって思って」

「……」

思わず言葉を失った。なんで凛は、簡単にそんなことが言えるんだろう。私がこの数ヶ月どんな気持ちでいたか、そんなことも考えられないんだろうか。

怒りを通り越して呆れてしまう。


「やっぱりダメ、かな」

上目遣いでそう訊ねられ、思わず目を逸らした。どう足掻いたって、私はやっぱり彼女の事が好きらしい。

ここで凛を突き放してしまえば、もう絶対に次はない。でも、また友達としてやり直せたら、まだ付き合える可能性があるかもしれない。それが限りなくゼロに近いとしても。

「別に、いいわ」

「本当に?」

「うん」

パァッと笑顔になって、すぐに抱きついてきた凛。ふわっと香った懐かしくて大好きだった匂いに、すぐに胸が苦しくなって奥歯を噛み締めた。

絶対に同じ気持ちにはなれないって分かってるはずなのに、どうしても諦められない。

なんで私はこんな人が好きなんだろう。


絶対に好きになっちゃいけないという呪いをかけられて、私たちの関係は再スタートを切った。



凛side


弟に背中を押されようやく侑希に会いに行く覚悟ができたけど、今の私にはとにかく時間がなかった。ボイスレッスンもダンスレッスンも増える一方で、それに収録や配信が加わると本当に休みが取れないのだ。


やっと会える目処が立ったのは8月。

ネットで調べると、案外簡単に、侑希が通ってる学部の夏休みの日程がわかった。

休みは長いから、初日から友達と遊んだりはしないだろう。実家に帰省するとしてもお盆の前くらいだろうし。それなら、狙い目は夏休み初日。

自分のスケジュールを確認すると、ちょうどその日の夜はレッスンが入っていなかった。配信の予定もないしちょうどいい。

この日に侑希に会いに行くことに決めた私は、マップアプリに彼女の住所を入れた。乗り継ぎが面倒だけど、これなら1人で行けそうだ。

なんだかやってることがストーカーみたいだと思ったけど、こればっかりはしょうがない。

自分のスケジュールと大学のカレンダーを見比べて、私はふぅっとため息をついた。



当日。仕事が予想外に長引いてしまい、私は慌てて事務所を飛び出した。時刻は夜の8時。今から電車で向かうと確実に9時を過ぎる。あんまり遅いと迷惑だろうけど、今日を逃してしまえば、次がいつになるか分からない。


事務所の玄関で慌ててスマホの時刻表を検索していると、ちょうど家に帰ろうとしているナツさんに声をかけられた。

「あれ、蒼さん。どうかされました?」

「あ、えーっと。車今から出せたりとか、しないよね?」

「大丈夫ですよ」

ここから車なら30分もかからない。私はほっと息を吐いて、ナツさんの車に乗り込んだ。


助手席に座ると、すぐにナツさんはサイドブレーキに手をかけた。

「家でいいですよね?」

「いや、今日はここで…」

私がスマホを見せて住所を伝えると、ナツさんは特に何も聞かずにナビに目的地をセットしてアクセルを踏んだ。


走り出した車の中。しばらくはいつもみたいに仕事の話をしていたけど、信号待ちで話が途切れたタイミングで、ナツさんがぼそっと呟いた。

「恋人ですか?」

「いや、高校の友達」

「そうなんですね。こんな時間に急に会いに行くなんて、てっきり恋人かと」

「いないよ。アイドルだもん」

私の言葉に、ナツさんはクスッと笑った。

「派手にファンにバレるような事をしなければ、恋人がいたって別に構わないですよ?」

「うーん。なんかそれは、ファンに嘘ついてるみたいで嫌だな」

「蒼さんは真面目ですね」

「そうなのかな」

ナツさんは優しいから、私が普通の高校生の生活を送れなかったことを心配してるんだと思う。だからこうやって、逃げ場を用意してくれる。

アイドルに恋人なんて、いない方がいいに決まってるのに。


「ここでいいですか?」

「うん、大丈夫。ありがとね」

「いえいえ。あ、帰りはどうしますか?」

「何時になるか分からないから。自分で帰るよ」

「気をつけてくださいね」

「うん。ありがとう」

マンションの前に停めてもらった車から降りて、ナツさんに手を振った。

知らない場所、知らない匂いがする。ここに侑希が住んでると思うと、なんだか不思議な感じがした。


いざマンションを目の前にすると、心臓がバクバクなってるのが自分でも分かった。

この時代にしては珍しく、オートロックじゃ無いのがありがたい。すーっと、当たり前みたいな顔をして自動ドアから中に入ると、エレベーターに乗って侑希の部屋がある6階のボタンを押した。



ドアのところで追い返されそうにはなったけど、咄嗟にドアの間に挟んだ足のお陰で、なんとか中に入れてもらうことに成功した。嫌そうな顔をしていたけど全力では拒否されなかったから、まだそこまで嫌われてないと信じたい。


数ヶ月ぶりに会った侑希は、ひどく痩せているように見えた。でも、病んでるとかやつれているような顔でもないから、どうせちゃんとご飯を食べてないんだろう。侑希って確か、自分で料理とか出来なかったし。


部屋の中はどこを見回しても、前みたいに星空蒼のグッズは置いてなかった。どうやら推すのはやめてしまったらしい。

正直、チャンスだと思った。

侑希のほうに恋愛の好きっての気持ちがないなら、またやり直せるんじゃないか。


ソファーに座る彼女の横に腰掛けた私は、食い気味に彼女に質問をした。

「もう私のこと好きじゃない?」

「好きなわけないでしょ」

抑揚のない声で、侑希はそう言った。好きじゃないと口に出して言われると、心にグッとくるものがあったけど、我慢して続ける。

「じゃあさ、友達としてやり直そうよ」

「は?」

「侑希と一緒に居た時間が、本当に楽しかった。最後はあんなだったけど、やっぱり友達として一緒に居たいって思って」

「……」

横で無言になってしまった侑希。

「やっぱりダメ、かな」

「別に、いいわ」

「本当に?」

「うん」

そう言った彼女の顔を覗き込むと、無愛想な声からは想像もつかないくらい辛そうな顔をしていて、私はすぐに自分の言ったことを後悔した。

顔を見ればすぐに分かる。どうやら侑希はまだ、私のことを好きでいてくれたらしい。

こんな相手の気持ちを弄ぶようなこと、絶対に言うべきじゃなかった。でもこうする以外に、私が彼女とこれからも一緒に居る方法はない。


罪滅ぼしじゃないけど、横に座るぎゅっと彼女を抱きしめた。抱きしめた途端に強張った身体に、申し訳なさでいっぱいになった。

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