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第39話 (凛side)

弟に背中を押されようやく侑希に会いに行く覚悟ができたけど、今の私にはとにかく時間がなかった。ボイスレッスンもダンスレッスンも増える一方で、それに収録や配信が加わると本当に休みが取れないのだ。


やっと会える目処が立ったのは8月。

ネットで調べると、案外簡単に、侑希が通ってる学部の夏休みの日程がわかった。

休みは長いから、初日から友達と遊んだりはしないだろう。実家に帰省するとしてもお盆の前くらいだろうし。それなら、狙い目は夏休み初日。

自分のスケジュールを確認すると、ちょうどその日の夜はレッスンが入っていなかった。配信の予定もないしちょうどいい。

この日に侑希に会いに行くことに決めた私は、マップアプリに彼女の住所を入れた。乗り継ぎが面倒だけど、これなら1人で行けそうだ。

なんだかやってることがストーカーみたいだと思ったけど、こればっかりはしょうがない。

自分のスケジュールと大学のカレンダーを見比べて、私はふぅっとため息をついた。



当日。仕事が予想外に長引いてしまい、私は慌てて事務所を飛び出した。時刻は夜の8時。今から電車で向かうと確実に9時を過ぎる。あんまり遅いと迷惑だろうけど、今日を逃してしまえば、次がいつになるか分からない。


事務所の玄関で慌ててスマホの時刻表を検索していると、ちょうど家に帰ろうとしているナツさんに声をかけられた。

「あれ、蒼さん。どうかされました?」

「あ、えーっと。車今から出せたりとか、しないよね?」

「大丈夫ですよ」

ここから車なら30分もかからない。私はほっと息を吐いて、ナツさんの車に乗り込んだ。


助手席に座ると、すぐにナツさんはサイドブレーキに手をかけた。

「家でいいですよね?」

「いや、今日はここで…」

私がスマホを見せて住所を伝えると、ナツさんは特に何も聞かずにナビに目的地をセットしてアクセルを踏んだ。


走り出した車の中。しばらくはいつもみたいに仕事の話をしていたけど、信号待ちで話が途切れたタイミングで、ナツさんがぼそっと呟いた。

「恋人ですか?」

「いや、高校の友達」

「そうなんですね。こんな時間に急に会いに行くなんて、てっきり恋人かと」

「いないよ。アイドルだもん」

私の言葉に、ナツさんはクスッと笑った。

「派手にファンにバレるような事をしなければ、恋人がいたって別に構わないですよ?」

「うーん。なんかそれは、ファンに嘘ついてるみたいで嫌だな」

「蒼さんは真面目ですね」

「そうなのかな」

ナツさんは優しいから、私が普通の高校生の生活を送れなかったことを心配してるんだと思う。だからこうやって、逃げ場を用意してくれる。

アイドルに恋人なんて、いない方がいいに決まってるのに。


「ここでいいですか?」

「うん、大丈夫。ありがとね」

「いえいえ。あ、帰りはどうしますか?」

「何時になるか分からないから。自分で帰るよ」

「気をつけてくださいね」

「うん。ありがとう」

マンションの前に停めてもらった車から降りて、ナツさんに手を振った。

知らない場所、知らない匂いがする。ここに侑希が住んでると思うと、なんだか不思議な感じがした。


いざマンションを目の前にすると、心臓がバクバクなってるのが自分でも分かった。

この時代にしては珍しく、オートロックじゃ無いのがありがたい。すーっと、当たり前みたいな顔をして自動ドアから中に入ると、エレベーターに乗って侑希の部屋がある6階のボタンを押した。



ドアのところで追い返されそうにはなったけど、咄嗟にドアの間に挟んだ足のお陰で、なんとか中に入れてもらうことに成功した。嫌そうな顔をしていたけど全力では拒否されなかったから、まだそこまで嫌われてないと信じたい。


数ヶ月ぶりに会った侑希は、ひどく痩せているように見えた。でも、病んでるとかやつれているような顔でもないから、どうせちゃんとご飯を食べてないんだろう。侑希って確か、自分で料理とか出来なかったし。


部屋の中はどこを見回しても、前みたいに星空蒼のグッズは置いてなかった。どうやら推すのはやめてしまったらしい。

正直、チャンスだと思った。

侑希のほうに恋愛の好きっての気持ちがないなら、またやり直せるんじゃないか。


ソファーに座る彼女の横に腰掛けた私は、食い気味に彼女に質問をした。

「もう私のこと好きじゃない?」

「好きなわけないでしょ」

抑揚のない声で、侑希はそう言った。好きじゃないと口に出して言われると、心にグッとくるものがあったけど、我慢して続ける。

「じゃあさ、友達としてやり直そうよ」

「は?」

「侑希と一緒に居た時間が、本当に楽しかった。最後はあんなだったけど、やっぱり友達として一緒に居たいって思って」

「……」

横で無言になってしまった侑希。

「やっぱりダメ、かな」

「別に、いいわ」

「本当に?」

「うん」

そう言った彼女の顔を覗き込むと、無愛想な声からは想像もつかないくらい辛そうな顔をしていて、私はすぐに自分の言ったことを後悔した。

顔を見ればすぐに分かる。どうやら侑希はまだ、私のことを好きでいてくれたらしい。

こんな相手の気持ちを弄ぶようなこと、絶対に言うべきじゃなかった。でもこうする以外に、私が彼女とこれからも一緒に居る方法はない。


罪滅ぼしじゃないけど、横に座るぎゅっと彼女を抱きしめた。抱きしめた途端に強張った身体に、申し訳なさでいっぱいになった。

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