ある日のレッスン終わり。
俺は控え室に残って、まだ迎えが来ないと言っていた蒼と話をしていた。
「やっぱ蒼ってすげーよな。アイドルになるために生まれてきたみたいな」
「んー、そうかな」
「そうだよ。ダンスも歌も、俺じゃ絶対に届かない」
俺がそう言うと、蒼はクスッと笑って冷たいペットボトルの底を俺のほっぺに当てた。
「つめてっ!なにすんだよ!」
「僕もさ、颯太には届かないって思ってるよ」
「何が?」
「いつも全体配信の時とか、僕が喋れない時にうまく話振って助けてくれるじゃん。喋りじゃ、颯太に敵う奴なんていないって思ってるけど?」
蒼がそんなふうに思ってくれてるなんて、全く知らなかった。普段は褒めてきたりしないくせに、突然こんなまっすぐな言葉をもらって、思わず俺は黙り込んでしまう。
「なーに照れてんのさ」
「そんなんじゃねぇし」
照れ隠しでそう言うと、蒼は横で面白そうに笑っていた。
本当はすごく嬉しかった。さっきまで不安だった気持ちは蒼の一言であっという間になくなっていた。
「颯太、これからもよろしくね」
「お、おう」
まだ笑ってる蒼の肩をぐいっと押すと、すぐに細い腕で押し返された。
俺はそんな蒼を尊敬していたし、どこか憧れの眼差しで見てきた。いつのまにかそれ以上の気持ちが湧き上がりそうになっているのに、知らないふりをしながら。
スターセーバーは以上なスピードで、俺たちが目指した以上にどんどんファンを増やしていった。アイドルとして活動する時間が増えれば増えるほど、俺は本当の自分が何なのか分からなくなっていった。
「蒼、最近仕事忙しくてしんどくない?」
気持ちも身体もひどく疲れていたあるレッスン終わり、荷物をまとめて帰りかけた蒼の背中にそう声をかけた。
「しんどいけど、頑張らなきゃって思ってるよ」
「俺は、自分が何者かわからなくなってきた」
笑って流されると思っていたのに、蒼は俺の言葉を聞くと何も言わずにドアノブを握っていた手を離して、こっちに戻ってきた。
「ごめん、俺変なこと言ったわ。何でもない」
俯いたままそう言うと、蒼は俺の正面に座った。
「僕もだよ。自分がどっちか分からなくなる」
「え?」
蒼は俺の目を見ているはずなのに、その目線はもっと遠くを見ているように見えた。
「クールで何でもできる星空蒼は僕だけど、僕じゃない。ファンから求められてる星空蒼を演じてる時間が長くなればなるほど、本当の僕が乗っ取られていくみたいで、怖かった」
「俺も、そうだ」
「でも僕は、どっちも1人の僕だって思うようにしたんだ」
「どういうこと?」
「星空蒼を演じてる僕とオフの時の僕は別物じゃなくてさ、両方ひっくるめて一つの僕なんだって。だから、いつも明るく振る舞ってみんなを楽しませてくれる颯太も、今みたいなダウナー気味の颯太も、両方颯太だから。その、なんっていうか、僕の言いたいこと、分かる?」
「うん、分かるよ」
「良かった」
どっちかを否定するんじゃなくて、両方肯定してやればいい。蒼らしいその考えに、あの時の俺はすごく救われた。こいつにはどうやったって敵わないなって、そう思った。
横に蒼がいてくれて、いつも進むべき道を教えてくれたから、俺はなんとか高校生とアイドルを両立しながら頑張れたんだ。
そんな蒼はいつからか、ファンには見せない可愛い顔をするようになった。
スマホを見てはニヤけてたり、誰と会話をしているかまでは見えないが、明らかにLINEのトーク画面を開いている頻度が上がっていたり。
そういうオフの時にスマホを見つめる彼女の顔を見て、俺はすぐに分かった。
蒼は恋をしてるんだろうなって。
いつものアイドルスマイルでも、俺らと喋って笑ってる時の笑顔でもない、蒼の何か愛おしいものを見てるような優しい笑顔。
蒼のそんな笑顔を引き出せる人が、俺は羨ましかった。そしてそれがどんな人なのか、俺は純粋に気になっていた。
クリスマスライブの後、ひどく嬉しそうな顔でスマホを覗き込んでる蒼を見て、俺は思わず声をかけた。
「蒼、今日予定あんの?」
「別に、ないけど」
慌ててスマホを閉じたくせに冷静な声を装った蒼が、なんだか可愛かった。それと同時に、ほんの少し胸の奥が痛かった。
「へー。なんかスマホ見てニヤニヤしてたから」
俺はそう言って揶揄いながら、不満そうな顔をしている蒼の横に腰を下ろした。
「蒼、今喋ってたの彼女じゃないん?」
「彼女?!んなわけないじゃん!」
「へー、なら俺の勘違いか」
さっきまでの蒼の優しい笑顔は、俺の言葉であっという間に消えてしまった。別にここにはファンはいないんだから、そんな辛そうな顔しなくてもいいのに。
「そもそもアイドルなのに、恋愛とかないでしょ」
「えー、蒼くんは真面目ですね」
「なに?まさか颯太は彼女いるの?」
「いないけどさ、アイドルでも別に恋愛くらい自由でしょ。好きとかって、自分じゃどうしようもできなくね?」
俺は本心でそう言ったけど、蒼はまったく納得してないようだった。蒼はこの仕事をしている間に、誰かと付き合うことは絶対にないんだろう。
その日の帰り道、俺はポッケに手を突っ込んで雪道を歩きながらため息をついた。
自分の中でずっと燻ってる蒼への気持ちに、名前をつけるつもりはない。
蒼は、同じグループのメンバーで、デビューした時期が一緒で、よくコンビで仕事させてもらってる大事な友達。
お互いにそう思っているし、それ以上でもそれ以下でもない。それ以上には、どれだけ願ったってなれない。
身バレ防止のため深く被ったフードとマスク。それをすり抜けて、雪が頰を冷やしていった。
赤信号で止められてふと横に目を移すと、ショーウィンドウに映った自分の顔は、とてもじゃないけどアイドルには見えない。
ステージに立てば、みんな俺たちのことをアイドルだって持て囃すけど、俺だって普段はみんなと変わらない普通の高校生だ。俺はファンの期待に応えるために、自分の人生を潰すほどの覚悟はない。俺みたいなやつが、アイドルになんてなるべきじゃなかったのかな。
立ち止まっているうちにフードに薄く積もってしまった雪を、嫌な考えと一緒に振り払った。
アイドルは恋しちゃいけないなんて、誰が言い出したんだろう。
蒼は考えすぎだと思う。
そりゃファンの前で堂々と彼女の自慢をしたりするのは違うと思うが、バレない範囲なら付き合ってても別に構わないと俺は思ってる。人間の気持ちなんて、誰かにコントロールされるものじゃないし、できるものでもない。少なくとも俺はそうだ。
最近の蒼は、幸せそうだけどいつも何かに縛られてるみたいに見えた。アイドルとしての自分が、誰かを好きになる事を許さないんだろう。そういうストイックなところも、俺が蒼を好きになった理由だった。でも、自分の幸せを蔑ろにする姿は、どうしても応援できない。
蒼は誰かに恋をしているし、誰かと付き合うつもりもない。そうなると俺は、彼女に想いを伝えることすら許されない。
それなら最初から、俺に勝ち目なんてないじゃん。
気づいたら家の前まで来ていた。手はすっかり悴んでいて、吐いた息は驚くほど白い。クリスマスの夜にこんな形で失恋なんて笑えない。
「あーあ。なんで好きになっちゃったんだろうな」
ふはっと、どこからか乾いた笑いが出た。どっかで折り合いをつけなきゃいけない。でも、諦めようと思って諦められるならとっくに諦めてる。