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第六章 第6話「マイバッハの男」

 圭太とエリカが歌舞伎町の暗渠ダンジョンで化けイトミミズにビビっていた頃、立川市の高琳寺では異変が起こっていた。

「どうやったら向こうから入って来られるのか!」

 この、高琳寺作業場の長である「黄」が青筋を立てて作業員を怒鳴りつけていた。ダンジョンマッシュルームの栽培場は、墓地に面した出入り口は厳重なセキュリティーで守られていた。

 だがダンジョンの奧からは誰も入ってくるはずがないと考えていたので、あり合わせの建材でスライムなどが入って来ないように塞いだだけであった。だが、そのダンジョン側の蓋を壊してから何者かが入り込み、ダンジョンマッシュルームを大量に持ち去っていた。

「行って、取り返してくるのだ!」

 栽培場にいた作業員たちは黄の剣幕に押されて、嫌々ダンジョンの奧へ入って行った。

「今個月可以寄幾多?(今月出荷できる量は?)

 プレハブの事務所に戻って黄がわめくと、事務の女性が慌ただしくパソコンを操作した。

「八十公斤乾糧(乾燥したものが八十キロ)」

 女性も広東語で答えた。

「夠唔夠滿足配額?(ノルマに足りているか?)」

「今個月冇事(今月は足ります)」

「下個月點算好?(来月は?)」

 女性は引きつった顔で首を振った。栽培場で作っていたダンジョンマッシュルームは半分近くが持ち去られてしまった。乾燥機に入っている物が在庫になるのだが、その量はわずかだ。出荷ノルマに達しなければ重いペナルティーが待っている。

「快啲考慮外部採購!(どこかから調達しろ!)」

 その混乱している高琳寺の近くに、メルセデス・マイバッハ62が停まっていた。

「若頭。あそこで何か、不測の事態が発生しているようです」

 ゆったりしたソファのような後部座席で、ノートパソコンのモニターを見ていた女性が隣のシートの男性に声をかけた。

「急に通信量が増えています。暗号化されていないやりとりもありますね」

 高琳寺でダンジョンマッシュルームの栽培が行われていることは日本国内の密売組織にもつかまれていて、すでにハッキングが行われて通信は筒抜けになっていた。

「内容わかる? 明日香ちゃん」

 隣のシートでやはりパソコンを操作していた男性が聞いた。

「中国語の符丁ふちょう(隠語)が入っているので、具体的なモノは解りませんけど。何かが不足しているので買い集めるようです、それも凄く急いで」

「ふーん」

 隣のシートにいた男、瀧山育人たきやまいくとはモニターから顔を上げて車室の天井をしばらく睨んでいた。

 社員から「若頭」と呼ばれている瀧山育人の組織は、かつて元指定暴力団だった周防会の二次団体だった。暴対法で周防会が解散した後、その組織は金融業に職替えしていた。

 現在は表向き金融と投資の会社であるが、裏では違法薬物を扱っている。育人は会長の孫で、大鳳アセットマネジメント株式会社の副社長である。

「あそこで不足するモノって何だと思う?」

 育人は「明日香ちゃん」のタイトミニスカートから延びる脚に視線を向けて言った。

「まず人間。特殊詐欺とくしゅさぎのように使い捨てできませんし、長期にダンジョンで拘束して働かせるのは簡単じゃありません」

「人手不足になって慌てるようじゃ、かなりダメな経営者だ。あとは?」

「資金繰りが行き詰まることは考えにくいです。電気が止まっても栽培に影響は出ないでしょうし……」

 脚を鑑賞されていることは承知の上で明日香は続けた。

「あとは、何かのトラブルでキノコが足りなくなったのかも知れません」

「うーん……濱田呼んでみて」

「はい」

 明日香はパソコンを操作してしばらく待ち、ヘッドセットを育人に渡した。

「いまどれだけ動かせる?」

『カチ(乾燥したもの)ですか?粉(精製パウダー)ですか?』

「カチでいい。急ぎだけど、無理なく出せる量」

『都内からでしたら、たぶん200。今日でも』

「よし。100動かす準備だけして……いまどこにいる?」

『新宿です』

「新宿? ああ……昔の川の跡か、そんな場所で上手くいってるのか?」

『ナマ(未乾燥)を50出しました。立川みたいに大がかりなのはもう無理です、小規模なのをテスト的にやってみてるんですよ。そのうち数を増やして行きます』

「『み』がつく彼女は相変わらず?」

『ダニみたいに、まだひっついて来ますよ。いい加減駆除したいところですねぇ』

「切った張ったは過去の黒歴史だよ」

『しかし若頭。こう行く先行き先で邪魔されたんじゃ、ウチらは商売になりませんぜ』

「今はヤッパ(刃物)じゃなくて頭で勝負だよ。ドンパチやりたかったら海の向こうに行く手もあるぞ」

『わかりましたよ。100はすぐ準備しときます』

 濱田との通話が切れた。

「明日香ちゃーん」

 ヘッドセットを返しながら育人がウンザリしたような声で言う。

「はい」

「カチ100キロ、ブリ(2回に分けて)で流してみて」

「釣りですか?」

 明日香は脚だけでなく頭も良い。これまで耳にした経緯から考えて100キロの乾燥ダンジョンマッシュルームがすぐに買われるならば、近くダンジョンマッシュルームの品薄状態が起こることを読んでいた。100キロはその観測気球だ。

「そうだ……ねえ明日香ちゃん。今度、ちょっと濱ちゃんについてみない?」

「現場ですかー?」

 明日香の声は普通だが、眉のあたりにわずかな嫌悪が浮かんでいた。

「あいかわらず何十年も昔のやり方から抜けられないんだよね。回りにいるのもずーっと昔からの連中だし……ちょっと、オジサンたちの尻叩いてきてよ」


 歌舞伎町の暗渠にいるエリカは、足音を立てないように呼吸も最低限にして真っ暗な穴の中に踏み込んだ。これはたぶんゴールデン街の廃業したバーに通じる通路に違いなかった。それを確かめれば、あとは現場の写真を撮って退散するだけだ。

 キーホルダーサイズのマグライトをさらに指で半分覆って光を弱めて、エリカは慎重に狭い通路を進んだ。

「コーティングしてる……」

 通路の壁はただ掘っただけではなく、何かの樹脂じゅしを吹き付けて崩れないように工作されていた。地面は土のむき出しではなくブルーシートが敷き詰められている。やはり、つい最近に作られたものなのだ。

 通路は行き止まりになって、金属のハシゴが見えていた。ハシゴに手をかけて見上げた瞬間、エリカの背後から手が延びてきて口を塞いだ。

「はうっ……」

 男の腕でがっしりと体を締めつけられ、エリカは呼吸ができなくなった。

「またお前か。ほんとに、ダニみたいにしつこいヤツだな。どこから入ってきた」

 聞き覚えのある声が耳元で囁いた。

「濱田さん、何かありましたか?」

 頭の上から声がした。

「おう。ネズミが一匹入り込んできたぞ、ちょっと降りてこい。良いモノ見せてやる」

 ハシゴを降りてきた若い男は、エリカを見て小さく口笛を吹いた。

「珍しいネズミですねえ」

「おいちょっと、そこのガムテープでコイツの口塞げ。両手、ハシゴにくくりつけろ」

 若い男にそう命じて、濱田はエリカのヘルメットを外し使い捨てツナギのファスナーを下ろした。

「やうぇ……」

 叫びかけたエリカの口を、異臭がするテープがべったりと塞いだ。死に物狂いでもがくエリカの脚がハシゴを蹴った。

「服を全部剥いちまえ! あとはお前の好きなようにしていい。だが死なせるなよ」

「へへっ……それじゃ、ご馳走になります」


「いま、何か音がした」

 俺は暗い穴の奥で金属音がしたのに気がついた。エリカが何かやったのだろうか。

「エリカ?」

 俺は遠慮がちに穴の奥に声をかけてみた。返事はない、ずっと奧で何かごそごそするような音がする。

「エリカ。大丈夫?」

 嫌な予感がして、俺は下水道局の人をそこに待たせて横穴に一歩入ってみた。真っ暗で何も見えない、エリカのライトも見えなかった。

 だ。思い切ってヘッドランプを点けた。変にてらてら光る壁、その奧でうごめく人影のようなもの。

「エリカ!」

 人影が振り返った、男。その向こうに金髪が見えた。

「おいっ!」

 俺はハンマーを両手で構えて男の人影に向かった。

「何だてめえ!」

 男が叫んだ。見たことがない顔。その向こう、エリカが上半身下着だけにされている。

「そこ、どけ!」

「小僧! またお前か!」

 もう一人エリカの横にいた、こいつは何度か見た顔だ。

「悪かったな、また俺だ」

「失せやがれ!」

 最初の男が俺に向かって来る。その手に何か持ってる、何なのか確かめる余裕なんかなかった。俺は一度ハンマーのヘッドを地面につけて、タイミングを計って下から上に衝き上げた。『どん』と手応え。男は自分からハンマーに突っ込んだ。

「ぐはあっ!」

 仰向けにひっくり返った男の腹を踏みつけて踏み越えた。

「ぐふううっ……」

 男の苦しそうな呻き声、俺はちょっと正気に戻って後悔した。ここまでやる必要はなかったかも知れない。そんなことを考えていたら、俺はエリカともう一人の前に立っていた。思い出した、こいつは濱田って名前だった。

「二人揃って、本当に厄介な奴らだな」

 濱田が本気でうんざりした様子で言う。

「でもお前、ここにスライムはねーぞ」

「要らないかもしれないな、今は」

 濱田の顔面までは1メートルと少し、俺が踏み出してハンマーを突き出したら届く。

「あの技がないお前にやられるほどヤワじゃねーぞ。素手で充分だ」

「かも知れないな」

 俺は濱田から目をそらさなかった。こうなったら後へは引けない。エリカの眼が動いた、背中の気配。俺は濱田に向けた視線を動かさないでハンマーの柄を思い切り後ろに引いた。また重い手応え。

「ぐうっ!」

 俺の後ろから何かをやろうとしていた男は、ドタドタ下がって尻餅をついた。俺は振り返りざまにハンマーでそいつを突き倒して、腕を踏みつけて右手の上にハンマーを置いた。

「こいつの手を叩きつぶす。片方ずつ」

「俺はこの女の眼を潰す。片方ずつ」

「やれよ」

 ハッタリの突っ張り合いだ。こんなときはもう、相手から目をそらさない。

「こいつの頭を叩き割って、次はあんただ。逃がさない」

 ほとんどヤケクソだった。勢いでたぶんやるだろうと、俺は自分に暗示をかけた。

「チッ……」

 濱田が舌打ちした。

「わかった、この女を放す。女がそっちへ行ったら、そいつを置いて出て行ってくれ。それでいいか?」

「よし」

 濱田は、ガムテープでハシゴにぐるぐる巻きにしていたエリカの腕を引き剥がした。口のテープを自分で剥がして、エリカは濱田を睨みつけながらツナギのファスナーを引き上げる。

「眼を潰す、ですって?」

「まあ、それも若頭は許さねーけどな」

 エリカが忌々しそうに口の周りを手で拭った。

「その、若頭に言っておいて。いつか会ってお礼を言いたいって」

 憤然とした様子でエリカが俺のところへ来た。

「草食男子があんまり乱暴なことしないで」

「はいはい……」

 俺は男の手を取って立たせてやった。

「余計なことしないの!」

 エリカに怒られた。

「なあ、あんた……御崎さん、だったか?」

 濱田に呼びかけられて、エリカが足を止めて振り返った。

「ひとつ、教えちゃくれねーか? どうしてここがわかった」

 エリカは怒った表情のまま濱田を睨みつけて、やがて言った。

「バラ撒きは、相手を選んで慎重にやることね」 

 それだけ言うと、エリカは俺の腕を引っ張って歩き出した。


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