俺とエリカは白い使い捨てツナギを着たまま歌舞伎町を横切って、伊勢丹の駐車場でエリカのインプレッサに乗り込んだ。エリカは上着を切り裂かれているのでツナギを脱ぐことができないのだ。仕方なく俺も付き合いで、奇異の視線に耐えながら街中を歩いた。
「どこかで食事ってわけにも行かなくなったわね……」
駐車場から出るとエリカが言った。
「さっきの……ばら撒きとか、何のこと?」
俺が聞くと、エリカはちょっと眉をしかめてこっちを見た。
「当然だけど、口外するなよ……本当は言っちゃいけないけど、パートナーだから話す」
大きな通りに出てからエリカは言った。
「このあいだ、牧原雅道が逮捕されたでしょ? あいつの関係から出てきた話し」
牧原雅道は違法薬物を使っていたことを認めて、保釈金を納めて自宅に戻ったとネットのニュースで見た。
「それが、あそこで?」
「それを確かめに来たら、当たりだった」
新宿の超高層ビル。まだ都庁の展望台も行ったことがなかった。
「ガサ入れ?」
エリカは小さく首を振った。
「どうせ今日中にもぬけのカラよ。無駄足になる」
すると、成果は密造の場所をひとつ潰しただけだ。
「まあ、報告できることはあるからいいんだけどね」
新宿駅の横を通り過ぎて首都高速道路に乗るまで、俺もエリカも口をきかなかった。
「あの……ごめん」
俺はおずおず言いだした。
「何よ?」
「あそこで、目……潰してみろって言った」
「別に謝ることじゃないでしょ。あれはカマし合いだもの」
少ししてエリカはうっすら笑顔を俺に向けた。
「けっこう
あいかわらず、あんな状態でもエリカは余裕だったらしい。
「でも……」
少し意地悪そうな笑みを浮かべてエリカが言う。
「あれがりりんでも、同じこと言えた?」
俺は息が詰まった。きっと、言えない。ハッタリとわかっていても、たぶん言えないだろう。
「ごめん。今の意地悪かった」
エリカが謝ったけど、俺は胸の中が重苦しくて仕方なかった。
「ねえ、エリカ……西3のダンジョン……3人、尾行して。ホントは、中、入ってない?」
俺は、うっすら疑問に感じていたことを口にしてしまった。3人の一人がナイフを出して有藤さんを襲おうとした、でもそいつは立ち上がろうとした瞬間にぶっ倒れたのだ。あれはエリカの「ツブテ」じゃないかと疑っていた。
「ごめん、入った。有藤さんの後ろに隠れていた」
やっぱりそうだった。するとエリカは、俺がりりんに
「気にすることはないと思うよ」
エリカは前を向いたまま言った。
「あのときあんたは自分にできることをやった。だからりりんも自分にできることをやったのよ」
そう言われても、慰められているだけに聞こえた。俺とりりんでは、存在の重さが違いすぎる。俺は高校休学中のフリーターみたいな男なのに、りりんはこれからどんどん人気が出て行かも知れないタレントだ。稼ぐお金だって比較にならない。
そして、どうしてエリカはあのときダンジョンに入っていないと嘘を言ったのか。俺の惨めなザマを、見なかったことにしたいのだろうか。考えれば考えるほど、自分がみじめに思えてきた。
スマホに電話、森元さんからだ。
「はい。空吹です」
『あ……もしもし。森元、彩乃です』
「あ……はい」
『あの……あ、いま。大丈夫ですか?』
「うん」
『お話ししたいので。今日、そちら、伺いたいんですけど。いいですか?』
森元彩乃ちゃんは一週間スライムガラス製作の体験をして、凄くやる気を起こしていた。正式に俺の弟子になりたいと言い出すのかも知れない。
「いいけど……」
俺はカーナビと腕時計を見て、エリカに聞いた。
「立川……何時に着くかな?」
エリカはナビの『到着予定時刻』を指した。
「あ……3時、半には帰る」
『すみません。父と一緒に、お邪魔します』
これはきっと弟子入りの志願だろう。
「わかった。気をつけて」
弟子を志願されても、俺自身がまだ見習いみたいな有様なのだ。それに彩乃ちゃんは不登校の中学生だ、どうしたらいいのか。
「いまの……中学2年、珪子と同じ年の子で。俺の弟子になりたいって言ってるんだ」
「中2? まだ早いって」
「だよね……でも、その子、いま不登校なんだ」
エリカは少し考えてから言った。
「不登校になるのは、学校に行くことに目標や理由が見つけられないからってこともあるの。たぶん、ほとんどの子供が一度は感じる疑問」
そこでエリカが俺をちらっと見た。
「俺も……高校に行く必要あるのかって、思ってた」
「だからと言って、ほとんどの子供はどうしたらいいのかわからない。そしてそのまま学校に通い続けて卒業してしまう。でも一部の子供は『目的がわからないから学校に行かない』選択をする。いじめとか、特に理由もないのにね」
俺は、ただ彩乃ちゃんの外見と話し方でイジメに遭っていると勝手に思っていた。でもそうではない可能性もあるのだ。
「だから。その子供たちにとって、不登校は前向きな選択をしたことになるの」
「目的がないから、か……」
「だから『中学を卒業したら弟子にしてやる』って言えば、その子は学校へ行く目的ができるんじゃない?」
「うん……そうだね」
それはいま、一番良い方法に思えた。あと一年の時間があれば、俺も少しは職人らしくなれるかも知れない。
俺はスマホのスケジールに、彩乃ちゃんが来ることを書き込もうとした。管理しなくちゃならないほど予定はないけど、いつ誰とどこへ行ったかぐらいは記録しておきたい。メールが来ていた。
「桐島……さん?」
思い出すのにちょっとかかった。文部科学省の、肩書きがやたらに長い人だ。
「桐島?」
エリカが聞いた。
「前に来て、ダンジョンのこと聞いていった」
「もしかして、文部科学省の人じゃないの?」
「そう」
メールの内容は、一度会って話しをしてほしい人物がいるという内容だった。
「エリカも、一緒に来てほしいって」
「はあ?」
「そっちもメール送ってるって」
「誰に会えって?」
「そこまで書いてない」
「あんたも人気者になったわね」
俺は、自由になる時間だけはある。エリカの都合に合わせればいいだけだ。もう一度スケジュールアプリに戻ろうとして、俺はニュースの見出しに引っかかった。
「エリカ、大変だ」
「今度は何よ?」
「牧原雅道が行方不明だって」