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第七章 第1話「拉致」

 在宅起訴ざいたくきその場合には留置所りゅうちじょ拘置所こうちしょに入ることはないが、裁判所や警察に呼び出されたら指定された日に必ず出頭しなくてはならない。だがそれ以外は普通に生活することができる。

 別に監視がつくわけでもないので、家を出て買い物に行くのも遊びに行くのも自由だった。

 牧原雅道はその日の夕方、いつものように夕食の買い物をしに家を出た。家の中は家宅捜索されたままのぐちゃぐちゃ、お手伝いさんは事件の後で伯母が断ってしまった。だから雅道は何もかも自分でやらなくてはならない。

 歩いて数分のコンビニに入ろうとしたところで、雅道の肩に「ぽん」と手が置かれた。

「よお」

 背後に現れた男。『トシ』の仲間で、確か『シロー』と呼んでいた。

「ヤベーことになってるじゃねーか」

「ちょっとな」

 肩に置かれた手から逃れようと足を速める。だが置かれた手に力がこもって、左右にも人が出てきて挟まれた。

「ちょっと話がある、そのまま歩きな。こっちだ」

 コンビニの手前で向きを変えられ、少し離れた場所に路駐していた車に乗せられた。

「トシがパクられたぞ」

 助手席に座ったシローが、感情のない声で言った。

「知ってる」

 雅道は後部座席で、落ち着きなく左右を見ながら答えた。両側を挟まれているので逃げることはできない。

「あいつらが戻ってきて、訳のわからないことを言って俺を殴った」

「なんで殴ったのか、言ったか?」

「だから……」

 答えようとして、思わず雅道は声が上ずった。

「俺があいつら……トシたちをハメたとか。意味が、わからないこと……」

「アカマがな。あいつミセーネンで、トシに付いていっただけで何もやってないから。すぐ(警察所から)出されたんだ」

 シローはそこで、パーカーのポケットからガムを取り出して口に入れた。

「立川の、ダンジョン? 行かされて、そしたらそこに輝沢りりんがいて? お前に言われた通りにどっか連れて行って、何かやろうと思ったら変なヤツが出てきて……」

 シローはそこで思わせぶりに音を立ててガムを噛んだ。

「おめーのオバサンがよ、トシを片付けろって頼んだんだとよ」

「嘘だ」

 雅道が顔色をなくして、弱々しく声を出した。

「ああ? 嘘なら嘘って証明しろよ。現にトシはそいつにそう言われて殴られてるんだぜ。そのうえパクられて拘置所だ、前があるからしばらく出られねーぞ。おい、出せ」

 雅道を乗せたまま車が走り出した。

「おめー。これどう落とし前つけるんだ?」

 シローに訊かれても、雅道は答えられなかった。こんなことになった以上、もう伯母にも見捨てられるに違いない。

「自慢の、あのランボルギーニでも差し出すか?」

「出しても、いい……」

 思わず雅道が言い出すと、シローは鼻で笑った。

「それプラス一本だな」

「一千(万円)か?」

「バーカ。こんだけやらかしてそんなハシタ金で済ませる気か?」

 雅道の顔色がさらにひどくなった。一億なんて現金はどうやっても工面できない。半グレに渡す金を伯母に無心するなんて無理だ。

「少し……待ってくれ……」

 言えるのはそれだけだった。

「それじゃ。トシがひでー目に遭ったあそこ、行ってみるか」


 俺は森元彩乃ちゃんとお父さんを見送って、ほっとため息をついた。彩乃ちゃんは今からでも弟子入りしたいと言っていたけど、俺は中学を卒業してからじゃないとダメだと条件を出した。

 お父さんも賛成してくれて、しぶしぶではあったけど彩乃ちゃんは学校に戻ることを約束してくれた。休みの時に工房の手伝いに来ることを認めたので、それが大きかったのかも知れない。

 スマホに着信、知らない番号だった。

「空吹硝子ガラス工芸です」

 知らない番号にはそう答える。営業だったり太陽光発電の売り込みだったら、社長がいま外出していると答えて切ってしまう。

「圭太君。有藤だよ」

 一瞬考えて、西3で助けてくれた人だと思い出した。

「どうも。あの時は、ありがとうございました」

「お礼なんか言わなくていいよ、俺が自分の都合でやったことだ。ちょっといま、話してもいいかな?」

「はい」

 俺は何か不吉な予感がした。この人は前に牧原雅道のマネージャーをやっていて、牧原理恵子さんに頼まれて半グレをぶちのめした。俺もりりんも、この人に助けられたのだ。

「牧原雅道が行方不明になった」

「あ……ネットのニュースで見ました」

 急に連絡が取れなくなったのでプロダクションの人がマンションへ様子を見に行き、所在が解らない上に電話も繋がらないので騒ぎになっていた。

「ああ、それなんだが。君と俺が関わった、ダンジョンの『例のこと』に関係している。たぶん、だが」

 俺はちょっと考えたけど、よくわからない。

「どう……関係するんですか?」

「これはできれば聞かせたくないことだけど、もう君も輝沢りりんも巻き込まれているから知っておいた方がいい」

 とてつもなく不吉なことを聞かされて、俺は腹の中が重たくなった。

「まず。輝沢りりんがあるテレビCMに出ることになった……これは知ってる?」

「はい。詳しいことは教えてもらってませんが」

「それでいい。そのCM、いま流れてるやつだが。それに出演している大物タレントがいる」

「はあ……」

「その人物はプライドが高すぎる上に独占欲が強い。そのタレントがCMの契約を解消されて、その後に採用されたのが何とほとんど無名の若いタレントだ」

 俺はちょっと考えた、今度は何となくわかった。

「それが……りりん?」

「そうだとしよう。当然大物さんとしては面白くないよな? ギャラはともかくプライドが許さない。それで無名さんの所属プロダクションに圧力をかけようとしてみたのだが、どこにも所属していないからどうやっても手が届かない。でもなんとかしないと新企画はどんどん進行して行く、どうする?」

 俺の頭の中で、ごちゃごちゃしていたものが一本に繋がった。ような気がした。

「牧原雅道は……それで?」

「言い出しっぺは大物さんだが、牧原雅道が横から手を出そうとした……これが大筋だと思う」

 つまり……DQのCMに出ている姉妹の、お姉さん役の牧原理恵子さんがりりんを取り除こうとした。そんなことがあるのだろうか。

「なんで……それを、俺に?」

「言っただろ。君は輝沢りりんと一緒にいたことで、もう巻き込まれたも同然だ。そして事態はまだ終わっちゃいない、大物さんがこれでおとなしく身を引くかどうかわからない。そして牧原雅道のことで輝沢りりんに火の粉が飛ぶ恐れがある」

「りりんは、何もしてない」

「そうさ。立場の上で彼女は100パーセント被害者だ。だが世の中には逆恨みってものがある、彼女のアンチ連中がいい例だ」

 りりんが楡坂の選抜チームに選ばれたとき、選抜に漏れたメンバーのファンがりりんを激しく叩いた。バッシングは選抜メンバーの全員にまで及んで、そのストレスで一時全員が体調をおかしくしたらしい。

「俺は……」

 俺は緊張で声が出なくなった。

「どう……したら……」

「彼女を支えて、守ってやってくれ。これは俺からの頼みでもある」

 そう言われても、何からどうやって守ったいいのか。

「彼女と連絡を絶やすな。できたらその日どこにいるか、それとなく教えてもらえ」

「いや……俺。彼女と、そんな関係じゃ……」

「ああ?」

 有藤さんが変な声を出した。

「しらばっくれるな。お前、りりんちゃんが体を投げ出して守ろうとした男だろ?」

「う……」

 それを言われると言葉がなかった。

「あれはもうガイドとお客の関係じゃないだろ! どこまで関係が進んだらああなるんだ?」

「だって……まだ」

 デート一回だけの関係とは言いたくなかった。

「まあそんなことはいい、まだこれからどうなるか解らないから注意していてくれ。また連絡する」


 空吹圭太と有藤肇の電話が終わった午後5時過ぎ。西3丁目公園のダンジョン入口では、『杉村のおっちゃん』が受付の店じまいをしていた。今日の入場者は2組だけで、平日はずっとこんな状態だった。

 ダンジョンの入口にチェーンをかけて『夜間は立ち入り禁止』の札を提げておく。安全管理はこれだけで、協会の中でもセキュリティを厳重にするべきだとの意見が出ていた。

 これまでは資金面の問題から手つかずだったのだが、DQコミュニケーションがスポンサーになったのでようやく現実化に向けて検討が始まったところだった。

 いつものように『本日の受付は終了しました。入場受付は明日の9時から再開します』の札を机に固定して、杉村のおっちゃんは西3丁目公園を出る。帰りに西国立駅近くにある居酒屋に寄って夕食をかねて一杯やるのが日課だった。

 公園から駅に向かう途中、杉村は少し離れた立川合同庁舎の近くで路駐している車に気がついた。一車線の一方通行なので少々邪魔であることと、どうやら中には人が乗っているようだ。

「いまの……受付のジジイだ」

 運転席の男が言った。

「よし。行くか」

 シローたちと牧原雅道を乗せた車は西3丁目公園まで移動して、雅道を囲むようにして公園に入った。

「ダンジョン……」

 雅道が怯えた声を出した。

「そうだよ。トシに行けって、お前命令しただろ?」

「いや……」

「いいから、一緒に入ってやるから。ビビんじゃねーよ」

「ここで……何を……」

 立ち入り禁止の鎖をまたいで、5人の姿はダンジョンの暗闇に消えていった。


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