シローの前を歩く運転手役の男は、ダンジョンに入ってからずっとスマホを見ていた。ダンジョンの中なのにスマホが繋がるのだろうか、ダンジョンに無知な牧原雅道は怪訝に思いながら背中を押されて歩き続けていた。
「そこの。ヌルヌルしてるの、スライムだ。触るなよ」
先頭の男が時々注意を促す。
「触ったらどうなる?」
シローが聞いた。
「くっついて取れなくなる、悪くすると手とか溶ける」
「うわ、やっべー! 最悪!」
シローたち4人の半グレグループは、それぞれにライトでスライムを照らして避けながら先へと進んでいく。
「どこまで行くんだ?」
緊張に耐えかねて雅道は聞いてみた。
「どこまで行きたい? 好きなところに置いていってやるぜ」
シローが答えると、雅道の両脇を固めている二人がけたたましく笑った。
そのころ、立川警察署には迷惑駐車の通報が入っていた。錦町の市営西3丁目公園付近に路上駐車している乗用車が通行の邪魔になっているらしい。
最寄りの立川警察錦町交番から自転車でやってきた警官は、スマホで車のナンバーを撮影してシステムに照会した。
GPSで事案発生場所などの確認を行っている間に、車両照会の結果が返ってきた。それは三ヶ月前に千葉県内で盗難届けが出されている車だった。
どこかから借りてきた車が盗難車だと知らされていなかったシローたちは、『やべーこと』になっているのも知らずに牧原雅道をダンジョンの奧へと引き立てていた。
「あっ!」
不意に雅道が姿勢を崩して地面に両手をついた。積もっていた砂に足を取られたらしい。
「なにやってんだよ!」
「おら、立てよ!」
雅道がのろのろと立ち上がって、いきなり両手につかんだ砂をシローたちの顔面に投げつけた。
「あっ!」
「うわっ!」
「この野郎!」
雅道は一人を突き飛ばし、そいつが持っているライトを奪い取って走り出した。追いすがってきた一人を、立ち止まりざまに顔面に肘打ちを入れた。
「ほっとけ」
追いかけようとしたシローを運転手の男が止めた。
「あいつ、ケーブルがないとこに入って行きやがった」
男が笑いながら言った。
「たぶんもう出られないな。どうする? たぶんあいつから金を引き出すのは無理だぜ」
「いいんだ」
シローが地面に唾を吐きながら言った。
「俺らをナメたらどうなるか、バカタレント共に見せしめだ」
シローは追って行った二人を呼び戻し、出口へと戻って行った。入ったのはエリア10だったが、慣れていないのでそこからでも出入り口まで1時間近くかかった。
「おい! やべーぞ!」
車を置いた場所に戻ろうとしたが、そこには赤灯を回したパトロールカーがいた。
「誰か通報しやがった」
4人はパトロールカーから見られることがないように物陰を歩き、公園の反対側から逃げ出そうとした。しかしそこで応援にやってきた自転車の警官とはち合わせてしまった。
「おいっ。ちょっと待て!」
不審車両の近くにいた挙動不審な人物なので、当然職務尋問の対象だった。4人はばらばらに逃げ出したが、一人が警官の自転車にひっかかって警官と一緒に転がってしまった。
「公務執行妨害だ! 逮捕する!」
騒ぎに気付いたパトロールカーの警官も駆けつけてきて、錦町3丁目と4丁目の一帯は物々しい雰囲気に包まれた。
『おい、えらいことになったぞ。知ってるか?』
夜の10時過ぎ、有藤さんから電話があった。
「何ですか?」
『行方不明になってる牧原雅道、半グレに捕まって西3丁目のダンジョンに置き去りにされたそうだ』
「え?」
何でいきなりそうなるのか。俺は急いでゲームの画面をネットニュースに切り替えた。
『牧原雅道 拉致 ダンジョンに遺棄か?』
ニューストピックスのトップがどれも同じだった。
「あ……それで何だか騒々しかったんだ」
暗くなってから、工房の前を赤灯を回したパトカーが何度も通ったのだ。
『のん気なヤツだな、すぐ近所だろう』
拉致した犯人の一人が公園で逮捕されて、そいつが牧原雅道のスマホを持っていた。取り調べで夕方に初台のマンションから拉致してダンジョンにつれて行ったと自供したらしい。
「なんで……わざわざこっちまで連れてきたんですかね?」
『意趣返しみたいなものかな? 前に逮捕された3人がやられた現場だ』
それをやったのは有藤さんだけど、有藤さんに頼んだのは牧原理恵子さんだ。
「なんで……あいつらは直接牧原理恵子さんに復讐しないんですか?」
『伯母さんのところはお屋敷でセキュリティーが固いし、連中には直接の接点がないからだろうな。だから間接的な報復しかできない』
それで牧原雅道を拉致してダンジョンに放り出した。わかるようなわからないような仕返しだ。
『伯母さんは雅道のことを自分の子供みたいに溺愛してる、ランボルギーニとか買ってやったりな。それがダンジョンに閉じ込められたと知ったら、もう半狂乱だろう』
気の毒ではあるけど、それは牧原理恵子さんが自分で撒いたタネだ。俺がどうのこうのできる事じゃない。
『準備しておけよ。もしかすると明日にでも来るぞ』
「何がですか?」
『おい。俺がいま言ったこと、聞いてなかったのか? 理恵子伯母さんだよ!』
「あ……」
そう言われてやっとわかった。
「捜……索、ですか?」
『そうだ。ダンジョンの行方不明者は山での遭難みたいに警察や消防が来てくれるわけじゃない……まあ、君に説明するまでもないか』
ある日突然、何もなかった地面にダンジョンが口を開ける。それがただの洞窟じゃなくて、中にいる地中生物が巨大化して人を襲うような危険空間だと知られるようになった。そしてそれが世界中にボコボコできるようになってもう20年くらい経っている。
でも、誰でもダンジョンを探検することが許されているのは日本だけらしい。外国じゃダンジョンに入るのは禁止されているそうだ、それでも探検に入ってしまう人はいてユーチューブに動画がアップされている。当然行方不明になった人も多く出ている。
中で何かが起こっても、外国でも日本でも自己責任なのは同じだ。危険すぎて警察も消防も自衛隊も助けてくれない、有志で救助隊を作るかダンボ(ダンジョン管理保安協力会)に頼むしかない。
『立川西3丁目公園ダンジョンでロストの捜索となれば、名スイーパー空吹の出番だろ?』
「やめてくださいよ……」
俺が本当に『名スイーパー』なのかどうかは別として……俺以外のダンジョンスイーパーがいるかどうかも解らないけど。とにかく、西3丁目公園ダンジョンでロスト(遭難者)の捜索と救出は俺の仕事……と言うか俺に押しつけられる。
『ボディ(死体)の回収までやってるんだろ? その年でよく平気だな』
「最初は杉村のおっちゃんの手伝いでしたけど。おっちゃんが腰悪くしたんで、仕方なくやってるんです」
最初は半泣きでやってたけど、三ヶ月で慣れたと言うか感覚が麻痺した。たぶん頭の中で何かの回線が切れたのだろう、今では人間の死体ではなく大きなゴミだとまで思えてしまうようになった。
『君に依頼が行ったとして……誰か一緒に行ってくれる人はいるのか?』
誰もいないから、いつも俺が一人で行っている。みんな、ガイドはやるけどスイーパーは嫌がる。それに今回のはロストがどこにいるかもわからないのだ。きっと捜索に何時間どころか、へたをすれば何日もかかる。
「誰も行かないですよ。発見できたら手間賃出ますけど、空振りだと時間千百円しか貰えませんから」
『なんだそりゃ?』
有藤さんが電話の向こうで呆れた声を出した。
『いくらNPOだからってそれはひどいな。善意だけでやっていられる仕事じゃないのに……それなら俺が同行してやる』
「え?」
『俺がとっとと逃げ出したんでこうなったとも言えるからな。いくら何でも君一人じゃ荷が重いだろ』
「あ……そうしてくれると、助かります」
次の朝、10時前に有藤さんが工房まで来てくれた。
「南武線で来ればここは途中だからな。作戦を練る時間も取れる」
もう、牧原雅道の捜索依頼が来るって決めつけている。10時10分にダンボの本部から電話が来た。
『あー、ダンジョン協会の石田です。空吹君、今日、西3丁目公園入れるかな?』
「はい。もう準備してます」
『ああ、知ってたのか』
今日のニュースワイドはどこも朝からそればっかりだ。
『それでね。例の、牧原雅道の伯母さんで。牧原理恵子さんがね、直々にお願いしたいって。そっちに行くから』
「はあ?」
そんなことは予想もしていなかった。
『先に牧原さんに会ってから、捜索入って。よろしく』
電話が切れるとすぐに、工房の前にタクシーが停まった。
「有藤さん。あれ、牧原理恵子さんかも知れない。直接頼みに来るって言ってた」
「うへぇー! そいつはマズいな。顔合わせたくないから俺は隠れるぞ」
有藤さんは勝手にリビングの方に入ってしまった。
「どう……したら……」
タクシーから降りてきたのは黒いパンツスーツを着た女の人で。若そうだから牧原理恵子さんではないだろう。
「ごめんください、失礼いたします」
その女の人が、工房のドアを開けて声をかけてきた。俺はひとつ息をついて答えた。
「はい」
「あの。こちらに、空吹圭太さんがいらっしゃると聞いて伺ったのですが」
「僕です」
そう答えると女の人は体を90度曲げてお辞儀をした。
「私。牧原理恵子のマネージャーで織笠と申します」
「……はい」
俺は20度ぐらい腰を曲げて、あいまいな返事をした。
「牧原の甥で、俳優の牧原雅道がこの近くのダンジョンで事故に遭いまして。救助には空吹さんにお願いするしかないと、ダンジョン協会で伺いました。それで、牧原理恵子が直接にお願いしたいと伺った次第です。いま、呼んで参ります」
一気にそれだけ言うと、マネージャーさんはタクシーに戻った。タクシーから降りてきた牧原理恵子さんは暗いベージュのスーツに大きなサングラスをかけていた。
もう1台後ろにタクシーがやって来て、慌ただしく降りてきた男の人が牧原理恵子さんの写真を撮っている。きっと芸能の記者だ。
「なんか……凄いことになってるよ」
俺は早くもウンザリしながらつぶやいた。