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第七章 第3話「スイーパーの矜持」

 牧原理恵子さんは何歳なのだろう。調べておけば良かったと、俺はどうでもいいことを考えていた。リビングには有藤さんがいるし、工房で理恵子さんの話しを聞くしかなかった。

「突然押しかけてしまって、誠に申し訳ありません。牧原理恵子と申します」

 もしかすると母と同じか、年上かも知れない牧原さんはサングラスを取って丁寧に頭を下げた。

「すいません、こんな場所で……」

 この人が、DQのテレビコマーシャルを降りたくないがためにりりんを襲わせようとしたのか。俺がちょっとたじろぐほどの美人なんだけど、中身は醜悪ってことなのだろうか。

「あの……」

 牧原さんがなにかを言い出す前に俺の方から言いだした。

「事情は……聞いてます」

「たいへん、ご迷惑をおかけしておりまして。申し訳ございません」

 これはたぶん、一般的なお詫びの文句なのだろう。牧原さんは俺がりりんと面識があることも、間接的な被害者であることも知らないはずだ。

「えーと……牧原、雅道さんの、救助。ですね?」

「はい……」

 牧原さんは、また深く頭を下げた。

「どこまで入ったか。とか……わかりますか?」

「いいえ……無理に、連れて行かれたそうなので」

 ダンボの受付も通っていないらしいから、知りようがない。

「どこまで行く予定だったとかがわからないと、すごく時間がかかります」

「どれだけかかっても構いません、お金なら払います」

 何の罪もないりりんには容赦なかったのに、ほとんど犯罪者みたいな自分の甥はお金がいくらかかってもいいらしい。俺は一度息を吸って吐いて、不用意なことを口にしないように気持ちを鎮めた。

「ロストの……ダンジョンで行方不明になった人の捜索には、お金はかかりません。ただしそれは……正規の手続きをして、どこまで入ったのかが解っているときです。雅道さんがそれに当てはまるかどうかは、ダンジョン管理保安協力会に聞いてください」

 感情をこめないで、何とか言うことができた。

「何か……手続きは」

「ありません。さっき救助を頼みたいとおっしゃいました、必要なのはそれだけです。ダ……協会と牧原さんにお願いされたので、僕は捜索に入ります」

 気持ちとしては断りたかった。この人のせいで俺はろっ骨を2発蹴られた上に、エリカの前で恥をかかされたのだ。『あんたの甥なんかスライムに喰われちまえ!』と、のど元まで出かかっていた。

「ありがとうございます。よろしく、お願いいたします」

「雅道さんは……連れて行かれたそうですけど、探検の装備は持っていないのですね?」

「はい……恐らく、なにも」

 俺はちょっと目を閉じた。

「どこまで入ったかによりますけど、奥のエリアまで連れて行かれたのでしたら生きている可能性はかなり低いです。それは覚悟しておいてください」

 俺が言うと、理恵子さんは手で顔の半分を覆って静かにゆっくりと頷いた。俺はまるで、ドラマを見ているような気がした。

「これからダンジョンに入る準備にかかりますので、これでお帰りください。連絡はダンボからしますので、電話番号を事務局に伝えておいてください」

 牧原理恵子さんを乗せたタクシーが行くと、リビングのドアから有藤さんが顔をのぞかせた。

「立派な応対じゃないか……皮肉じゃないぞ」

 俺は胸の中に溜まっていた嫌な空気を吐き出した。

「本当に、あの人が……りりんを? どうにかしようって言ったんですか?」

「あの人のマネージャーがそう指示された。それで俺には、牧原雅道がりりんちゃんに手を出さないように気をつけろと指示してきた」

 また俺の胸の中に、黒い空気が溜まった。

「とりあえず。依頼を受けましたから、俺は行きます。同行、よろしくお願いします」

 ダンジョンに入ってからの行動時間が読めないときは持って行く装備が増える。水の500ccペットボトルが4本、2人だから8本。非常食料のシリアルバー、携帯用のトイレ。スマホの予備バッテリー、ライトの予備電池、予備のLEDライト。

 キャンプカートを曳いて西3丁目公園に向かうと、ダンジョンの入口にはどこかのテレビ取材班が待っていた。俺が入場の手続きをしていると、『報道』の腕章をした男がなれなれしく話しかけてきた。

「これから牧原雅道の捜索に入るんですか?」

 たぶん一緒に入らせろと言うのだろう。有藤さんが俺と目を合わせてちょっと頷いた、任せろと言うことだろう。俺は杉村のおっちゃんが黙って差し出すボディバッグ(死体収納袋)を受け取った。

「依頼を受けたので、牧原雅道さんの救出に向かいます」

 有藤さんが答えると、テレビ取材班は予想通りのことを言いだした。

「同行させて頂けませんか?」

「付いてくる分には構いませんが、俺たちとは別に入場の手続きをしてください」

 有藤さんは無愛想に言った。

「そしてダンジョンの中では自己責任で行動していただくことになります。俺たちは遭難者の救助に向かうので、あなたたちに構っている余裕はない。つまりあんたらに何かあっても助けることができない」

「それは……どう言うことです?」

「あんたらが事故に遭って、それで俺たちが時間を取られたらどうなる。本来救助しなくてはならん遭難者が命を落としたらどうする? あんたらは取材のために、現場に向かう救急車を止めて同乗させろって頼むのか?」

 テレビ取材班の人たちが不安そうに顔を見合わせていた。

「後から付いてきて撮影する分には構わない。だが邪魔はするな、質問もするな。いいか?何かトラブルに遭ったら自力で脱出しろ、無理ならダンジョンスターで救助を要請しろ」

「それは……えーと。ダンジョン管理保安協力会では助けてくれない、と言うことですか?」

「ダンジョンでは自力救助が基本だ。逆に言えば、非常事態に対応できる装備も能力も持ってない人間がダンジョンに入るのは自殺行為だ」

 そう言うと、有藤さんは俺に合図してダンジョンの入口に向かった。

「時間的なことで考えると。奴らが牧原雅道を連れてダンジョンに入ったのはたぶん5時過ぎ、杉村さんが帰った後だ。昨日は4時半に最後のパーティが出てきてるから5時で閉めたはずだ、あの人そーゆうところはきっちりやる」

 エリア1を進みながら有藤さんと話した。

「牧原雅道を置きざった奴らが出てきて逮捕されたのが午後7時20分。入って出るまで2時間として……どう見る?」

 有藤さんに質問されて、俺はちょっと考えた。

「途中何もなかったらエリア13まで行って帰ってこられます。でも初心者だと10がいいところ、ショートカットを使ったら別ですけど」

「そんなところだろうな……エリア10は平坦だから、方向を間違えやすいな」

「奧……行っちゃいますか?」

「うん……」

 有藤さんは呻るような声を出した。

「牧原雅道はただ置いて行かれたんじゃなくて、あいつらを振り切って逃げたって話しだ。そうすると、入ってきた方には奴らがいるから逃げられない。当然、逃げるのは奧に向かってだな」

 当然だけど、奥へ進めば進むほど製造の可能性は低くなる。

「スズ、出しとけ」

 足を止めると、何かあったのかと勘違いしたテレビが照明を点けた。俺は布の袋から『呼びスズ』を出して左手首にかけた。クマよけの鈴と同じ物で、揺するとかん高い金属音が鳴る。遭難者がおかしなところに迷い込んでいても、救助隊の接近を知ることができる。

 枯れかけた西3丁目公園ダンジョンは、相変わらずスライム程度しかモンスターは出ない。俺は後ろのテレビチームが充分離れているのを確かめて、有藤さんに声をかけた。

「有藤さん……」

「あ? なんだ?」

 自分から話しかけておきながら、その先がなかなか言えなかった。

「あの……りりんと一緒に、助けて頂いたとき……」

「ああ……」

「あのとき。御崎、エリカって女の人と……」

「会ったよ」

 エリカはどこか有藤さんお後ろにいて、ツブテを打ってナイフ野郎を倒した。

「俺……エリカさんと。ダンジョンの仕事で、パートナー組んでるんです」

 エリカに口止めされていることではない。

「パートナーって、何をするんだ?」

「あの人がダンジョンの中で仕事するとき。助手って言うか、一緒に行ってモンスターを退治するんです」

「へー。未成年者に死体回収させるダンボも大概だが、彼女もずいぶんヤバいことさせるな」

「知ってるんですか? エリカの仕事」

「ある役所に関係する仕事をやってるってことはね」

 スライムがいたので、念のために叩いてガラスにしておいた。

「ほおー、そいつがガラス化スキルか。直接見たの、初めてだ」

「そう言えば、有藤さんのスキルって何ですか?」

「俺の能力はビューってやつだ。真っ暗なダンジョンの中でも様子が見える」

 それであのとき、ライト無しで3人について来れたのだ。

「エリカも……あのとき、全部見ていたはずなんですけど。最初は、中に入っていないって言ってたんです」

「あ? 何でだ?」

「わかりません。でも、俺がりりんに……助けられたの。見てるはずなんです」

「なんだ? りりんちゃんにかばわれたことか?」

 俺は何も言えなくなってうつむいた。思い出すと今でも情けなくて涙が出そうになる。りりんを守るはずだったのに、逆にりりんに助けられたのだ。

「ええ……」

「それがどうした」

「だって……」

「君が踏みとどまって3人を相手にしようとしたんだ。りりんちゃんだって君の危機を黙って見ていられなかった。そうだろ?」

「いや、でも……りりんと俺じゃ、違いすぎますよ」

「何がだ?」

「いや……」

「もしかして、りりんちゃんに庇われたところを御崎さんに見られたって。それ気にしてるのか?」

 俺は返事ができなかった。

「そりゃ確かに恰好は付かないけど、君があんな連中を相手にするのは無理って物だ。ピストルでも持っていない限り勝てるはずがない」

 そう言うけど、有藤さんはそんな連中をあっさりやっつけた。

「りりんちゃんは自分を捨ててでも君を助けたいって思ったんだし、御崎さんがそれを見たところで、君を情けないヤツだと思うはずがないだろ」

 そう言ってくれるのはありがたかったけど、俺のモヤモヤはちょっと別のところにある。

 俺はこうやって、なし崩しにりりんと交際みたいな関係になっていいのだろうか。


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