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第七章 第4話「凶運の男」

 スマホを取り上げられてしまったので、時間は腕時計で知るしかなかった。たまたまG-SHOCKの安いモデルだったから連中も目をつけなかったのだろう。遊びに出るときにつけるロレックスエクスプローラーだったらスマホと一緒に取られていたかも知れない。

 スライムを避けて巨大な虫から必死に逃げて、およそ1時間半も歩き続けただろうか。牧原雅道は二股に分かれた道の手前で、頼りない明るさになってきたLEDライトを消して地面に座り込んだ。

「くそっ……」

 出てくる言葉はそれしかなかった。どうしてこんなことになったのか、あまりにもいろいろなことが続けて起こったので思考が追いつかなかった。収監しゅうかんされていた間も、頭の中が麻痺まひしたようで何も考えられなかったのだ。そして事態はますます訳がわからない。

「俺が捕まったのが……家に違法薬物を隠していたからで。あれを持って来たのはトシだから、トシが売り手で逮捕された」

 そこまでは理解できた。理解できないのはダンジョンの下見に行ったトシが戻ってくるなり怒り狂って殴りつけてきたこと、それと同時に麻薬取締官が家宅捜索に来たことだ。

「なんで……トシは怒ってたんだ?」

 説明も何もなしだった。いきなり『てめえ! ナメんじゃねーぞ!』と叫んで飛びかかってきて、ただ殴る蹴るだった。

 そのあと麻薬取締官がなだれこんできたので、一瞬トシが麻薬取締官を連れて来たのかと思ったほどだ。

「でも……自分が逮捕されるのに。そんなことするはずないよな……」

 あれが偶然に重なったのだとしたら、わからないのはトシが怒った理由だ。

 取り調べで薬物の使用を認めたので一度マンションに戻ることはできたのだが、帰ってきたとたんに今度はシローがやって来てこれだった。

「薬でなければ……輝沢りりんのことで、何かあったのかな」

 マネージャーの有藤も、りりんの件があったその日のうちに『辞める』とだけメールを送ってきた。これも理由がわからない。

「有藤が、何かを知っているんじゃないのか……」

 とにかく、ここから出ないことにはどうにもならない。雅道はのろのろを立ち上がって、右と左どちらに行くべきか考えた。入って来た方向もとっくにわからないが、座り込んでいても出られないのだから歩くしかなかった。

「あ……」

 雅道は思わず声を上げた。左の分かれ道から微かな風がながれて来ていた、そしてその風に薄くタバコのにおいがするのだ。

「出口だ……」

 タバコのにおいに誘われるように、雅道はふらふらと歩き出した。


 俺たちについてきたテレビの取材班は、エリア8に入る手前で引き上げると言いだした。

「天井にケーブル見えるだろ? それたどって行けば入って来たところまで行ける」

 有藤さんに教えられて、4人は不安そうに出口へと歩いて行った。

「誰でも迷わない目印があるなんて……これ、もうダンジョンって言えないですよね?」

 俺が言うと、有藤さんがちょっと笑い声を漏らした。

「そりゃそうだよな。生配信やるやつらだって、こんなケーブルが映ってたら興ざめだ」

 ユーチューブの配信で入るパーティーが減ったのは、それも理由なのだろうか。

「DQはぜんぜん利益にならないって言ってましたけど、なに考えてやってるんでしょう?」

「今は利益が出てない、でもそのうちがっぽり稼げる目算があるんだろ」

俺と有藤さんは時々出てくるスライムやオケラを叩いてガラスに変えて、ひたすら先を急ぐ。俺のリュックに提げた呼びすず耳障みみざわりな音を鳴らすけど、まだ助けを求める声は聞こえない。

 エリア10を通り過ぎた。

「何か、この間もだけど。モンスター少ないな。いつもこんなか?」

 有藤さんが言った。

「マナが枯れ気味らしいです。りりんのファンがいっぱい入ったからかも知れません」

「マナって……スキルの元だろ? 枯れるモノなのか?」

「詳しいことは知りません。ただ、だんだんモンスターが少なくなってるのは確かです」

「ふーん」

 有藤さんはライトであちこちを照らして、やがてため息混じりに言った。

「確かに……いま、12か? 前はもっとこのあたり『どよーん』としてたな」

「モンスターの数は減ったけど。一匹、でかいのが湧いたみたいです」

「マジかよ! どんな大きさ?」

 聞かれたけど、俺は首を傾げるしかなかった。

「俺が見たの、脚一本だけでしたけど。それでもここの高さ半分以上ありました」

 俺は自分の胸のあたりに手のひらをかざして見せた。

「うへぇ……」

 有藤さんが嫌な顔をした。

「そいつ……ガラスにしてやっつけられるか?」

「わかりません。モンスターだったら、だいたいはガラスにできますけど」

「どんなヤツだか知らないけど、出くわしたくはねーな」

 因縁のエリア13。念のために例のホールを覗いてみたけど、いたのはダンゴムシだけだった。

「前はここ……生きて出られないって言われてましたよね?」

「ああ……俺も2回入って、ひでー目に遭った。2回とも4人で挑戦したけど、とうとうここまでは入れなかったな」

 『危険、未帰還者多数につき通行禁止』そう警告しても危険を求めて13西に入って行く探索パーティーは後を絶たなかったのだ。

 密売組織がキノコの栽培をやめたので、ホールへのガードが緩くなりやっと奥まで入り込むことが可能になったのだ。

「りりんが配信やりながらここに入ろうとして、捕まりそうになったんです」

「あー、例の動画か。あのとき助けたのが君だろ?」

「はい。あの日、初めてりりんに会ったんです」

 エリカに会ったのも13へのショートカットだった。何もかも、この13が関係して今の状態になっている。


 タバコのにおいをたどって、牧原雅道はますます暗く頼りなくなってきたライトを持って可能な速さでダンジョンを進んだ。微かな風に乗ってくるにおいをたどることは、ここでは簡単なことだった。

「あ……いまの、なんだ?」

 暗闇の奥で、誰かがため息をついたような微かな音が聞こえたのだ。

「また……何か、いるのか?」

 そこでダンジョンはまた二股に分かれていたが、片方からはっきりとタバコのにおいが流れてくる。

「ここか……あ……」

 少し進んだところで、ダンジョンは角材やベニヤ板で塞がれていた。板の隙間から投げ込まれたのか、煙草の吸い殻がたくさん落ちている。つまり、この向こうには人がいるのだ。

「開けてくれ! 誰か!」

 拳で叩くとベニヤの壁は簡単にたわんで、蹴りつけると壁から木枠が外れた。

「あっ……」

 壁は呆気なく向こう側に倒れた。

「なんだ? ここ……」

 壁の向こう側も真っ暗だったが、消えかけのライトに浮かび上がったのは一面に並んでいる棚だった。

「倉庫……かな?」

 全ての棚には園芸用のプランターがびっしりと詰め込まれていて、独特のカビ臭いにおいが漂っている。

「キノコ……あ。これ、ダンジョンマッシュルームじゃないのか?」

 プランターの中からキノコを一本つまみ出してみた。雅道は粉末をカプセルに詰めたものしか見たことはないが、こんな場所で食用のキノコを栽培しているはずがなかった。

「こんな……ところで……」

 そう呟いたとき、この場所がものすごく『ヤバい』ことに雅道はようやく思い至った。ダンジョンマッシュルームなのだからこれは違法な栽培に決まっている。こんな場所にいるところを発見されたらどんな面倒なことになるのか。

「どう……しよう……」

 たぶんここはダンジョンの外に繋がっているはずだ。戻って危険だらけの暗闇の中を延々と歩くのはもうゴメンだ。

「いまのうちに……」

 並んだ棚の向こうに見えているシャッター、脇に狭いドアがついている。急ぎ足で近づくと、ドアの向こうでかん高い電子音が鳴っていることに気がついた。その音に気を取られて、さっき自分が出てきたダンジョンから巨大なクモのような影が出てきたことには気がつかなかった。

「警報……か?」

そのドアが、外から引き開けられた。

「うっ!」

 開いたドアの隙間から射し込む光で目がくらみ、雅道はそこで立ちすくんでしまった。警報の音が耳に突き刺さる。

「何だおい! どっから入った!」

 警報の音に交じって男の声。

「すまない。迷って……」

 雅道の声は、続いて入って来た中国語のわめき声にかき消された。棒や鉄パイプのような物を持った2人が入ってきた。

『やばい!』

 やはりここは密売組織が栽培を行っているダンジョンだった。雅道は身をひるがえして出てきた穴に走り込む。日本語と中国語の混じったわめき声が雅道を追いかけてきた。



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