目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第八章 第2話「マナと不起訴とエリカの本音」

 金持ちだけが行ける32階、そこから降りるエレベーターに乗っているのは俺とエリカだけだった。見下ろしている風景がどの辺なのか俺にはぜんぜんわからない。

 浅田さんが帰りもハイヤーで送ってくれると言っていたけどエリカが断った。せっかく日本橋まで来たので買い物をして行くらしい、そしてなぜか俺も付き合わされることになった。

「ああ……やっぱ。浅田さん、凄い人だわ……」

スマホを見ていたエリカが、そう言って俺に画面を向けて見せた。

「あ……」

 それは何かの対談記事で『アズサホールディングス会長浅田功徳氏』と書かれていた。そこに写っているのは、まさにさっき話しをしていた『浅田さん』だった。

「お金持ちのはずよねー」

「5億円の昼メシか……」

「あのランチメニューが5億円じゃないのよ、あそこのサロンを使う権利が5億円なの。たぶん帝国ホテルに行けば、同じ料理を食べられるわよ」

 エリカが笑って言ったけど、どっちにしろ大金持ちじゃないとあそこでメシは食えないのだ。それにたぶん、帝国ホテルだって俺は一生縁がない。

 高島屋の中をエリカについて歩いた。姉の買い物に付き合わされる弟みたいな気持ちだ。

『ダンジョンは肺結核はいけっかくのように地殻を蝕んでいる』

 エリカの後ろ姿をぼんやり眺めながら、俺はさっき浅田さんから聞かされた話しを思い出していた。

『ダンジョンの中に存在している謎エネルギー「マナ」は有限であるが、ダンジョンの中に溜まり続ける。そしてマナはダンジョン自身を成長させ、虫のモンスター化や人間のスキルなどを発現させる』

 そして浅田さんはこうも言った

『マナエネルギーを枯渇させればダンジョンの膨張は止まる。そのためにはダンジョンの中でマナを帯びたものを持ち出すしかない。それはどんな物でもかまわない』

「つまり……」

「ん?」

 俺は考えているうちに言葉に出してしまい、エリカに聞き返された。

「あ。いや……浅田さんが、言ってたこと……」

「ああ……あれね……」

 エリカは結局何も買わないで高島屋を出た。東京駅に向かって歩きながら、浅田さんに言われたことを思い出して話し合った。

「ダンジョンを放置しておくと、そのうちアメリカみたいな陥没事故が起こる……もしかして一番危ないの、立川じゃないの?」

 よそのダンジョンがどんな大きさなのか俺は知らない。この間連れ込まれた調布のダンジョンはすごく狭かったし、歌舞伎町はダンジョンとは言えないサイズだった。

「そうかも知れない……どうして、ダンジョンができるかって。結局、わからないわけ?」

 地上にダンジョンの入口ができて、誰かに発見されるまではその存在もわからないのだ。

「それがわかれば、ダンジョンが発生する前に何とかできるかも知れないわね……それより、マナを消費させる方法って。スライムをガラスにして持って行く……それしかない?」

 つまり、今でも俺がやっていることだ。

「あと……配信で、パーティでどんどん入ること。西3丁目で、配信パーティとかが減ったらスライムが増えた」

 りりんのファンが押しかけていた間は、エリア13まではスライムもいなくなった。

「うーん……あ、地下行こう」

 八重洲やえすの地下街は地上よりも人通りが多かった。

「浅田さんの、アズサホールディングス。傘下にDQコミュニケーションがあるんだわ」

「えっ? そうなの?」

 DQコミュニケーションは西3丁目公園ダンジョンに公衆無線LANを入れて、今度はダンジョンの3Dマップをサービスしようとしている。

「それじゃ……DQはどんどん人を入れるために、利益無視でやってるの?」

「そうかも知れないわね」

 エリカはユニクロに入って、レディースじゃなくメンズのコーナーに向かう。

「ちょっとそこ立って……でかいから黒じゃ圧迫感あるけど……」

 ラックからジャケットを取り出して、なぜか俺の体にあてる。

「何なの?」

「紺じゃ就活生だし、やっぱ黒の方がいいか。ウエストいくつ?」

「確か……30」

「30インチ……76か?」

 エリカは棚からパンツを出して俺の手に押しつける。

「はい、あそこで試着して」

「え? なんで?」

「いいから!」

 なんだかわからないけど、仕方なく俺は試着ブースに入ってそれに着替えた。

「これで、いいのか?」

「あら、裾上げいらないわね。鏡見て、どう?」

 回れ右して鏡に映る自分を見た。高校の制服よりいくらか見栄えがするような気がする。

「それでいい?」

「え?」

「スーツぐらい持ってた方がいいでしょ? メシおごるかわりに買ってあげるから」

「え、あの……いや……」

「いいから、それはやく脱げ」

 俺はユニクロの大きな紙袋を提げて帰ることになった。帰りの中央線はまだそんなに混んでいなくて、エリカと並んで座ることができた。

「どんな物でもかまわないって、言ってたよね?」

 ひさしぶりに嗅ぐエリカのコロンに気を取られていた俺は、一瞬返事が遅れた。

「え? あっ、あ……浅田、さん? うん……」

 エリカが『じろっ』と俺を横目で見た。

「またあたしを意識してオタついてるな。この間あたしが言ったこと、そんなに効いたか?」

 いきなり言われて俺は息ができなくなった。

「エ、リカだって……今朝……」

 声が上ずってしまった。

「こないだのは……マジでヤバいって思ったから。あんたに、助けてもらって……気が緩んで。つい、本音出た」

 何も言えなくなって、俺は顔が熱くなってしまった。エリカが俺の耳に顔を寄せて、小さな声で言った。

「前に言ったでしょ? あんたのスキルを強化するなら体も差し出すって」

「やめ……」

「あと一年はお預け……でもあんたが18になっても彼女がいなかったら、その日に襲う」

 エリカが俺の耳に息を吹き込みながら言った。

「その前に……俺が、襲ったら?」

「ウエルカム。でもあたしは嫁にもカノジョにもならないよ」

 笑いながらそう言って、エリカは急に真面目な顔になった。

「きっと……浅田さんはキノコのことも知ってるんだろうな」

「え?」

「あそこで栽培したキノコなら、マナを持ち出したことになる……今度の日曜、空いてない?」

「なに?」

「西3丁目から入って、お寺に出るルート見たいの」

「あ……ごめん。日曜は、フリーマーケットに出るんだ」

「フリマ? 何売るの?」

「研修に来てる女の子が、スライムガラスでペンダントとか作ったんだ。売ってみたいけど、フリマぐらいしか思いつかなくて」

「ふーん。ならネットのショッピングモールとかも開いたら?」

「ああ……そんなのもあるか」

「どこでやるの? フリマ」

「モノレールの、立川北駅のガード下」

「ダンジョン産の物……あと売り物なるのって、何があるかな?」

 エリカがスマホで調べて、少しして俺の肩をつついた。

「これ……」

 それは山梨県にあるワイナリーの広告で『ダンジョン熟成ワイン』と書いてあった。

「マジで?」

 ダンジョンの中で寝かせておくだけのことだろうけど、出し入れするときに危険はないのだろうか。

「日本酒なんかも……あ、ウイスキーの樽もありかもね。あ……」

 エリカが面白がっている口調で言いながら、ちょっと手を止めた。

「なによ。牧原雅道、不起訴なの?」

 悔しそうな声だった。

「不起訴って、どうなるの?」

「簡単に言うと。逮捕はされたけど裁判に持ち込むほどの犯罪じゃなかったってところ。金はあるから何人も弁護士つけたんだろうね」

「それじゃ、これで終わり?」

 りりんに手を出そうとしたやつだ、俺としてもこれで終わりはすごく不満だ。

「まあ……新しい証拠が出てきたり、また何かやらかさなければね」

「ふーん」

 牧原雅道は高琳寺のダンジョンから逃げ出して、すぐにヤバイ美脚美人のヤバイ車に乗せられてどこかへ連れて行かれた。工藤明日香は家に送ると言ってたけど、そのまんま帰すなんてことは絶対しないと思う。

 有藤さんは『コトの起こりは伯母の牧原理恵子だからな。甥っ子のやったことから飛び火ってこともある』と言っていた。これからまだ何か起こるかも知れないってことだ。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?