牧原雅道は、不起訴になった連絡を大宮のホテルで受けた。検察庁からではなく、弁護士からの電話だった。
「正式な通知はいつ?」
「不起訴処分の通知書は、検察庁に請求しないと貰えません」
弁護士の素っ気ない返事に、雅道は嫌な顔をしながら聞き返した。
「不起訴になったって、通知ないの?」
「ありません」
「それじゃどうして俺が不起訴になったってわかるんだ?」
「私が毎日問い合わせているからです。この連絡で今回の依頼については終了です」
「おい。ちょっと……」
伯母が手配してくれた弁護士だったが、応対は冷酷なほどに事務的だった。不起訴になったから良いのだが、そうでなかったら伯母に文句を言っているところだ。
一方的に通話が切れたスマホを睨んでいると、また着信だった。表示された発信者の名を見て、雅道は顔をしかめた。
「伯母さん。いま、法律事務所から連絡ありました」
いま最も話をしたくない相手、牧原理恵子だった。
「不起訴でよかったけど、何があったのかきちんと説明しなさい。それから、サンコープロダクションがあんたと契約を打ち切りたいって言ってきたよ。いい加減、愛想が尽きたのね」
雅道は片手で頭を抱えた。サンコープロダクションは、伯母も契約している芸能事務所だった。度重なるトラブルや不品行で、もう面倒を見きれないと判断したのだろう。
「いま大宮の、さいたま新都心のホテルに隠れてるんだ。明日説明に行く」
「もう家にもいられないの? 逃げるんじゃないのよ、必ず来なさい。サンコーは伺いを立てたんじゃなくて、私に断りを入れてきたんだからね。もう社長に電話したって話しなんか聞いて貰えないよ!」
伯母からの通話が切れると、雅道はスマホを放り出して頭を抱えてベッドに転がった。
唯一レギュラーだったバラエティ番組からは出演を断られ、今度は芸能事務所の契約まで切られた。初台のマンションは伯母の名義だし、ランボルギーニを持った失業者になってしまった。
「これも……伯母さんが輝沢りりん潰そうなんて言いだしたからだ!」
様々な買い物に使った支払いと、借金の返済で月の支払いは百万単位なのだ。預金の残高を考えると、すぐにでも収入の道を見つけないと間違いなく破産する。
「もう、あそこしかない」
しかし冷静に考えてみれば、あの工藤明日香の登場はあまりにも怪しいタイミングだった。メルセデスマイバッハで豊洲のタワーマンションに連れて行かれて、シャンパンに美女の濃厚サービス。どう考えても話がうますぎだった。
あちこちのポケットを探して、ようやく工藤明日香の名刺を見つけ出した。
「もう……どうにでもなれ」
そうつぶやいて雅道は、さっき放り出したスマホを取り上げた。
折りたたみの小さなテーブルに布を敷いただけ、そこに商品を並べた。大きさ違いのスライムガラスペンダントを20個に、スライムガラスのキューブ。キューブは思いついて作ってはみただけで、何に使うのか自分でもよくわからない。
「いくらに……するの?」
彩乃ちゃんに聞いたが、彼女は売り値のことを考えていなかった。ガラスをはめこんだ枠は税混み220円だと言う。
「電車代が1320円」
珪子が言った。二人分で2640円を20で割って132円、ガラスの原価は0円だけど炉の電気代はいくらかかったのか。
「500円かな……原価は」
それに出店の手数料が千円だ。売り物は全部で30点だけど、キューブの方は売れるはずがない。
「550円の倍で、1100円かな?」
2個売れたら出店料が回収できて、それ以上は彩乃ちゃんのお小遣いだ。
フリーマーケット開始の時間になったけど、アナウンスもなにもなかった。何となく人が増えたような気はするけど、お客さんなのかそれともただの通行人なのかわからない。
「あ……値段、書いておかないと」
何しろ初めてなので勝手がわからない。
「ダンジョンガラスのペンダント、いかがですかー?」
いきなり珪子と彩乃ちゃんが呼び込みを始めた。普段引っ込み思案であまり喋ることもないのに、珪子は彩乃ちゃんがいるとテンションが10倍くらい上がる。
「ダンジョンガラス? なにこれ?」
女子高生くらいの女の子が二人、足を止めてくれた。
「ダンジョンの中で採れる砂から作るガラスです」
まさかスライムが原料だとは言えない。きっと気味悪がられる。
「ダンジョンってなに?」
そう聞かれてしまって、ちょっと説明に困った。
「えーと……立川にもあるんだけど、いきなり洞窟みたいなものができて……」
そのあとOLぐらいの年齢の女性にも、おばあさんにも同じことを聞かれた。
「ダンジョン知ってる人って、以外と少ないんだ……」
「私も、ガラス見てから……ダンジョンって知りました」
俺は歩いて行けるところにダンジョンがあって、そこにしょっちゅう出入りしている。でも同じ立川の市内でも、ちょっと離れた場所の人はダンジョンなんて知らないのだ。
結局、何も売れないでお昼になった。二人が後ろでハンバーガーを食べているあいだ、俺は暑さでぼーっとしながら通り過ぎる人の流れを眺めていた。
テーブルの前に誰かが立ち止まった。
「ちゃっすぅー!」
「あ……」
一瞬誰だかわからなかったけど、黒いジャージの上下を着たりりんだった。ときどきLINEで連絡を取り合っていて、そう言えばフリマのことも伝えてあった。
「ひさし……ぶり……」
東京MPテレビが西3丁目公園ダンジョンでロケに来たとき以来で、何だかんだでもう1ヶ月以上経っていた。
「撮影、全部終わりましたー!」
「あ……コマーシャルの?」
「うん。CMと、ミュージックビデオも」
「りりんさーん!」
珪子が飛び出してきた。
「珪子ちゃーん、ひさしぶりー! 彩乃ちゃんもー!」
彩乃ちゃんと会ったのはこれが二回目なのに、りりんはしっかり顔を覚えていたらしい。
「なんですか、これ?」
さっそくりりんがペンダントに目をとめた。珪子と彩乃ちゃんが二人がかりで説明している。
「えー? 彩乃ちゃんが作ったの? すごーい!」
りりんがペンダントを光に透かして声を上げる。
「彩乃ちゃん、もうお師匠さん超えてない?」
「まだ師匠って言えるほど教えてない」
「これ、いくらですか? 1100円?」
そこでりりんがちょっと声を小さくした。
「安すぎませんか?」
「原価が550円だから、そんなものじゃないかな?」
俺が言うとりりんが勢いよく首を振った。
「定価5千の半額って書いて、2500円にした方がいいですよ。立川でしかとれない超~レアのガラスだって」
りりんは珪子と彩乃ちゃんで、たまたま持ってきていた白い紙にマジックで宣伝文句を書いた。
『立川産の超超超レアアイテム ダンジョンガラス! 景色を透かして見たら超ビックリ!』
りりんも加わって女の子3人で呼び込みをすると、てきめんに足を止めてくれる人が増えた。何しろりりんの声はメチャクチャよく通る。
「ダンジョンでガラスなんか採れるんだ」
この暑いのに革ジャンを着た男の人が、ペンダントを透かして見ながら言った。
「立川のダンジョンって言ったら、西3?」
「そうです」
「俺、何回か入ったけど知らなかったな」
探索者だった。
「ここだけの話ですけど。俺、スライムをガラスにできるんです」
俺はちょっと秘密めかして説明してみた。
「うへぇー! それじゃこれ、スライムなんだ?」
「そうです」
「へえー! 面白い、一個買うよ。これSNSに上げていい?」
「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」
その後、1時間もしないうちにペンダントは全部売れてしまった。最後の一個はりりんが買った。
「これ。明日の記者発表で、つけていいですか? ダンジョンものだからちょうどいいです」
「いいけど……CMって、何のだっけ?」
いろいろ事情なんかは有藤さんから聞かされているけど、結局全部また聞きでしかない。
「うーん……公開前だから、ホントは言っちゃダメなんですけどー」
そう言いながらりりんは俺の耳に口を寄せた。
「ディー、キュー、モバイルです」
有藤さんから聞かされたことに間違いはなかった。牧原理恵子さんがCMを下ろされたくないのでりりんを潰そうとして、牧原雅道がダンジョンでりりんを襲わせようとした。
でも、きっとりりんはそこまでの事情なんて知らない。
「明日の発表があるまで秘密ですよぉ、いいですかぁー?」
「わかった」
次の日、午後からのワイドショーはどこを視ても『DQモバイルの新アイドル輝沢りりん』だった。
ダンジョンの中を走り抜けて、途中で魔法少女みたいなコスチュームに変身する。SNSでは早速『りりキュア』とか呼ばれている。
記者会見のシーンでは、りりんがスライムガラスのペンダントを見えるように胸から提げていた。
そして、その発表を待っていたように週刊誌の『女性エイト』が牧原理恵子のパワハラ疑惑記事をホームページで公開して、あっという間にネット上で話題になった。
『今回リニューアルされるDQモバイルのテレビCM、契約の終了となった牧原理恵子が新CMのキャラクターであるタレントAに対する妨害工作を仕掛けていた。そんな話しもパワハラを受けたマネージャーや付き人から漏れ出している』
りりんの名前を伏せる意味なんかないような気がするけど、たぶんそうする必要があるのだろう。
「りりんは、ショックだろうな……」
ある意味、牧原理恵子も雅道もダンジョンで身を滅ぼしたようなものだ。