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第八章 第6話「新宿魔窟と台湾メシ」

 立川駅から徒歩で10分もかからない錦町、廃業したホテルの跡地では『ザ・ダンジョンBattle Field立川』が今年12月のオープンを目指して工事の真っ最中だった。

 建物は各フロアの内装工事も終わり、消防署の検査が行われていた。スプリンクラーや消火器の設置、避難路や窓面積の確認。

「地下2階と3階は駐車場になっていますが、設備はまだ何もないのですか?」

 立川消防署の検査官が質問すると、サブコンの設備担当者が答えた。

「消火設備は取り付けたのですが、コインパーキングとの契約が遅れていまして……」

「それでは、地下はそちらの工事が完了してから再検査ですね」

 検査の一行が出て行くと地下入口のシャッターが下ろされ、しばらくして作業服を着た人間がぞろぞろと地下3階へ降りて行く。

「いいか、壁にチョークで印がつけてある。そこにこのタガネを打ち込むんだ」

 鋼鉄製のばかでかい釘のような物を作業員に見せているのは、何度もエリカを危ない目に遭わせたことがある濱田はまだという男だった。このタガネは、ダンジョンの壁を拡げるための『拡張杭かくちょうくい』と呼んでいるものだ。

「根元まで打ち込まなくてもいい。5センチぐらい、抜けないように打ち込め。それで今日の作業は終わりだ」

 作業員たちが濱田の指示で作業を始めると、地下はハンマーでタガネを叩く金属音で充満した。濱田と付き添いの部下は耳をおさえながら地下3階から逃げ出す。

「拡張杭はあれで終わりです。大宮の分はどうします?」

「また作るしかないな。また公園のあそこから、延々歩いて行くしかないか」

 エリア13に直接入ることができた稲荷山の倉庫は露見してしまった。警察の捜索を受けていて、恐らく監視されているので使えない。やはり西3丁目公園から入るしかない。

「また資材屋行って、あの釘買い込んでおけ」

 コンクリート壁に拡張杭が打ち込まれてから24時間後、杭の周囲でコンクリートの変化が始まっていた。

 灰色だったコンクリートの表面が、水に濡れたように黒っぽく変色していく。ここに打ち込まれた拡張杭は、西3丁目公園ダンジョンのエリア22で使用されてから回収されたものだった。

 ダンジョンのマナパワーを吸収した特殊炭素鋼のタガネは、打ち込まれたコンクリートにマナパワーを放出する。そしてコンクリートでできた空間をダンジョンの環境に変えていくのだ。


 俺はエリカに呼び出されて、並んで新宿の歌舞伎町を歩いていた。りりんが感じたダンジョンのにおい、エリカはそれを確かめに来たのだ。でもエリカはダンジョンのにおいがわからないので、俺を引っ張り出した。

「基本、予約なしじゃ入れないことになってる」

「知ってるよ。バトルしに来たわけじゃないから、外から見るだけ」

 ゴジラの映画館のすぐ近く、ビルには大きな3Dビジョンがあって盛んにダンジョン体験の宣伝をやっている。

『3つのステージを戦い抜いて、目指せ幻のファイナルステージ!』

 いまはオープニング記念イベントで、ソーシャルゲームのキャラクターが最終ボスらしい。

「前はここ、ゲーセンとか飲み屋とかいろいろ入ってたんだけど……そうか。ボウリング場とゲーセンが営業やめて、ビルオーナーが代わったんだ」

 ビルの前は広場になっていて、『バトルフィールドパーティーメンバー求む!』と書いた段ボールを持って立っているやつがいる。予約は「〇人」で申し込むはずだから、来れなくなったメンバーがいるのだろうか。エリカはまずビルの回りを一周するらしい。

「えー? 交番の真ん前じゃないのよ。本当にダンジョン作ってヤバいことやってるならいい度胸だわ」

 交番がある通りに面したビルの裏側を歩いていて、エリカがふと足を止めた。地下駐車場の入口だけど、ゴミのパッカー車が入っている。ビルから出るゴミの積み出しをやっているのだろう。

「どうかした?」

「いや……何か、気になった」

 車を乗せるリフトが上がってきた。車じゃなくて大きな台車が乗っていて、黒いゴミの袋が積み上がっている。係の人がそれをどんどんパッカー車に投げ入れていく。

「一般車両……入れないんだ」

「え?」

「あそこ、書いてあるよ」

 『契約車のみ時間駐車できません』と入口のテントに書いてあった。

「行こう」

 俺がそれをぼーっと見ていると、エリカに背中を押された。

「地下は……ビルの中から入るしかないのか」

 ビルの1階は、5階から上のテナントへ行くエレベーターホール。それにダンジョンカフェとダンジョンのグッズショップ。地階へ降りる階段は防火扉が閉まっている。

「地下は、ダンジョンEXエクストラステージと……駐車場」

 エリカがさりげなく中を歩いて、ほかに地下へ降りる階段を探した。受付ゲートを通った先に非常階段が見えるけど、「ダンジョン脱出口」になっていてこっちからは開けられない。

「地下からいっぱいゴミが上がってくるのって、変じゃない?」

 エリカが言った。上の階にある飲み屋だったらたくさんゴミも出るだろうけど、どう考えても地下にゴミが出るようなテナントはない。

「集めて……地下に置いておくのかな?」

 俺が自信なさそうに言うと、エリカはちょっと首を傾げた。

「ゴミじゃないって……こともあるかもよ。これ以上は中に入らないと無理ね」

 ダンジョンバトルフィールドがあるビルから離れて、何だか中華っぽいレストランでエリカが昼メシをおごってくれた。

「ここは容赦なく台湾味だからね」

「台湾の味って、どんな?」

八角ハッカクとか、独特のスパイス効いてるの。辛くはないけどね」

 ランチメニューは角切りの煮込み肉が乗った丼、「ルーロー飯」ってヤツだ。確かに独特のにおいがする。サラダと漬物とスープと、薄黄色でプルプルしたもの。

「これなに?」

「オーギョーチー。木の実から作ったゼリー。そんなで足りるか? タンツー麺も食べる?」

「どんなの?」

「小鉢のラーメン。すぐ来るよ」

 エリカが頼んだら、本当にすぐ出てきた。お椀くらいの丼に透明なスープ、肉味噌みたいなものとモヤシが乗っている。

「あ……これ、好きかも」

 あっさりしたスープに、やっぱり肉味噌に使われているハッカクの香りがする。

「パクチー平気なんだ?」

「あ、これパクチーか。うん……」

 ルーローハンの定食に、結局タンツー麺も2杯食べた。

「そう言えば……」

 オーギョーチーって、レモンか何かの香りがするゼリーを食べながら。俺は思い出したことを口にした。

「りりんが、あそこリベンジしたいから一緒に入ってって言ってた」

「ん? あのダンジョン? リベンジってことはもう入ったんだ」

「うん……」

 お茶は何だか焦げくさい。

「招待で、あれは宣伝だと思うけどユーチューブで見た。2フロア目でゲームオーバーしたから、もう一度挑戦したいんだって」

「ふーん……」

 エリカが焦げくさいお茶を飲みながら考えていた。

「りりんが一緒なら、あたしたちが目立たなくて良いかもね。でもりりん、いま忙しいんじゃないの?」

「さあ?」

 ミュージックビデオが一昨日リリースされて、今週の歌番組に念願のソロで出演して。今度はアルバムが製作されることは聞いていた。CMに出る前からいろいろテレビの仕事はしていたから、確かに忙しくなっているかも知れない。

「来月の18日、りりん二十歳の誕生日だから、酒飲みに連れて行ってやる約束してるの」

「あ……そうなんだ」

 りりんの誕生日のことは俺も知っているけど、どうしたらいいのか困っていた。何かプレゼントを贈りたいけど、芸能人にふさわしいような何万もする物なんか買えない。せめてりりんのためにガラスで何かつくろうかと考えていた。

「二十歳になる前に辞めたいって言ってたのに、もう辞められなくなっちゃったよね」

 エリカがしみじみしたような口調で言う。りりんと初めて会って3ヶ月と少しなのに、もの凄くいろいろなことがあった。

「ああ……そうだね……」

 りりんは蟹沢かにざわの家に、お母さんの連れ子で入った。そして下のお兄さんにいろいろ虐待されて、勝手に楡坂にれざか46のオーディションにエントリーされた。りりん本人はアイドルになる気がなかったのになぜか合格して、お兄さんから離れたい一心で楡坂の第二期に加わったのだ。

「売れっ子になっても芸能プロダクションに入ってないんだから、どっかのプロデューサーにへいこらすることなんかないと思うんだけどね……」

「うん……」

 成人したらパーティーのお誘いとかを断れなくなるから、その前にタレントは辞めたいと言っていたのだ。

「あんたあの後、りりんに告られてないの?」

 いきなりエリカに言われて、俺は湯呑みを落っことしそうになった。

「なんで……」

「なんでも何も。あのとき、ヤバいことになるってわかってるのにりりんはあんた助けに戻って来たんでしょ?」

 西3丁目公園ダンジョンにりりんと一緒に入って、ヤンキー三人にからまれた。あのときのことだ。

「好きな相手じゃなかったら、普通あんなことやらないよ」

 牧原雅道のマネージャーだった有藤さんにも言われた。りりんちゃんが体を投げ出して守ろうとした男だと。

「いや。まだ……って言うか、何も……」

「あんたのことだから、告られてるのに気がついてないのかもね」

 俺は息ができなくなって、顔が熱くなった。

「でも……エリカ。それ、承知で。俺、襲うって……」

 エリカがニヤッと邪悪な笑みを浮かべた。

「あんたが誰と付き合おうが勝手だけど、あんたのおはつの相手ってことはあきらめてないよ」


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