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第八章 第7話「巫女とテキヤと観音様と」

 夏休みなので、彩乃ちゃんはほとんど毎日のように工房へやって来てペンダント用のガラス作りを手伝ってくれる。俺の作業を手伝うと言うよりは、俺が彩乃ちゃんの作業を手伝っているような状態なのだが。

 りりんがあっちこっちでダンジョンガラスのペンダントを見せびらかすので、メルカリの商品入荷リクエストは百を超してだんだん2百に近づいている。一日中朝から晩までかけても、できるのは30から40個だからリクエストの数はなかなか減らない。

「マイスター。ガラスの元、残りひと袋になりました」

 なぜか彩乃ちゃんは俺を「マイスター」と呼ぶようになった。喫茶店の店主みたいで何だか落ち着かないけど、「親方」のことらしい。

「あと……120枚分ってところか」

「はい」

 建材用のスライムガラス1枚分の砂で、ペンダント用ガラスは20枚ぐらい作ることができる。それで粗利は4千円だからどうしても作るのはこっちが優先だ。量産体制になってから彩乃ちゃんに支払うバイト料は1枚あたり千円、当然俺も彼女も一生懸命になる。

 エリカから電話。

『手あいてたら、今日の午後ちょっとつきあってくれない?』

「どこ?」

『近くよ。高琳寺、たぶんダンジョンにも入る』

 俺はちょっと考えた。西三丁目公園から入ってスライム取りをすると時間ばっかりかかる上にスライムは少ない。でも高琳寺から入れば時間が節約できるし、たぶんスライムなんかも多い。

「エリカは何しに入るんだ?」

『檀家さんを中心にして、高琳寺の再建って運動があってね。あそこいま東京都の管理なんでいろいろ面倒な状態だったんだけど、桐島さんが文科省動かして何かやってくれたみたいでね、ようやく許可が下りたの』

 午後に視察をするので、案内とモンスター除けをやってほしいと言うことだった。

『それで、桐島さんがね。あそこのダンジョン見てみたいって言ってるのよ、なんか危なっかしくて心配なんだけどねー』

「まあ、いいけど……」

 俺はペンダントガラスを磨いている彩乃ちゃんを見て、ちょっと考えてから言ってみた。

「弟子、連れて行っていい?」

『弟子? そんなの、いたんだ』

「学校が休みの間だけ手伝いに来てるんだけど、まだダンジョン入ったことがないんだ」

『まあ……別にいいと思うけど。2時少し前に高琳寺の前に来て』

 俺は小さいハンマーと砂を入れる袋をリュックに入れて、彩乃ちゃんを連れて電車で立川へ向かった。自転車でも行ける距離だけど、二人乗りを見つかると警察がうるさい。立川駅から諏訪神社までは、歩いて10分ちょっとだ。

「向こうで待ってるのはもの凄い派手な女の人だけど、俺の仕事パートナーなんだ」

「ガラス屋さん……ですか?」

「ガラスじゃなくて、ダンジョンを調べる仕事をしてるんだ。俺がスライムとかをガラスにしてやっつけるから、何て言うか……護衛みたいな?」

「あ、あの……ガラスの、材料の。砂、ですか?」

「そう。もしかするとスライムをガラスにするところ、見せてあげられると思う」

 諏訪の森公園をショートカット、前に槇原敬之を連れて逃げた逆のコースだ。工事用の柵で塞がれている高琳寺の前にはエリカと桐島さんと、東京都の腕章をつけた人がいる。

「それがあんたの弟子?」

 今日のエリカはスカートじゃなくてジーンズだけど、Ⅴネックの黒いTシャツで胸元が思い切り見えている。腕にかけているブルゾンを着ていれば問題はないのだろうけど、歩いたらたぶん上乳が揺れるところが見えてしまうだろう。

「研修で来てる、森元彩乃さん」

 ほんの一瞬、エリカが動揺したのがわかった。たぶん彩乃ちゃんを男だと思ったのだろう。細身で背は高いし髪はショートだし、だぼっとした半袖トレーナーだから胸もほとんどわからない。

「御崎エリカよ。お師匠さんはあたしのこと何て説明した?」

「あ……の……派手な、仕事の、パートナー……って」

「まあ……間違っていませんね」

 桐島さんが笑いながら言った。今日着ているものは、どう見ても作業服だ。

「文部科学省研究開発局参事官補の桐島と申します」

 桐島さんが例の「普通の笑顔」で彩乃ちゃんに挨拶すると、一瞬で彩乃ちゃんの顔が真っ赤になった。やっぱり凄い威力だ。

 お年寄りたちが何人かやって来て都庁の人と話をしている。聞こえてくる話からして、どうやらこれが高琳寺の檀家の人たちらしい。高琳寺の再建とエリカがどう関係したのかがわからない、もしかすると桐島さんがエリカを巻き込んだのかも知れない。

「もう一人来ますから、ちょっと待っ……あ、来ました」

 エリカの視線をたどると、黒っぽいパンツスーツの女性が道路を渡ってこちらへ来るところだった。

「あたしと大学の同期で片瀬麗奈、西松乃会の現代表」

 エリカが紹介してくれた。着ているものは地味だけど、何となくりりん並みの強いオーラを感じた。眼力が物凄く強い。エリカの後から出会うのは、どこか普通じゃない女の人ばかりだ。

「あの……西松乃会って。もしかして、テキヤさんですか?」

 桐島さんの口から「テキヤ」なんて言葉が出たのにはちょっと驚いた。

「あ……はい。よく、ご存じですね」

「あたし、本職は愛宕稲荷神社の巫女ですから、西川一葉会にはお世話になっています」

「あ……そうなんですか、こちらこそお世話になりまして……」

 急に片瀬さんがへりくだった雰囲気になった。

「テキヤの親分さんに来てもらったのはね、中止になっていた観音堂のお祭りを再開するためなの」

 エリカが俺に説明してくれた。高琳寺観音堂の縁日は毎月18日で、8月の縁日は諏訪神社の例大祭と重なってものすごい参拝の人が来ていたのだ。

「住職さんは脱税があって起訴されちゃってるからお寺そのものを再開するのは難しいけど、観音堂の縁日だけでも再開したいって檀家さんたちが言ってるの」

 東京都の職員に柵の鍵を開けてもらって、俺たちは高琳寺だった場所に足を踏み入れた。あちこちにまだ立ち入り禁止のテープが張られたままで、建物には入れないらしい。扉が閉まったままの観音堂をみんなで拝んで、片瀬さんが檀家の人と話を始めた。

 その間に俺とエリカは墓地の裏手にある倉庫のシャッターを開けてもらって、マッシュルーム栽培をやっていたダンジョンに入ってみた。桐島さんも後からついて入ってきたけど、何だか腰が引けている。

「これが、ダンジョン……ですか?」

 彩乃ちゃんがちょっと怯えたような声で言う。

「まだ、ここはダンジョンの外に作った倉庫。あそこの、土が見えているところからがダンジョンだ」

 倉庫の中もダンジョンの中も、見えるところの物は全部警察が押収して行ったのだろう。何もない。ダンジョンに入ると地面がゆるい傾斜になった、独特のにおいと独特の気配。

(また……あの足長野郎、出ないよな……)

 俺は思い出してすごく不安になった。4本脚のクモみたいな化け物だが。たぶんあいつはダンジョンマッシュルームを食うために出てきたらしい、いまここにマッシュルームはないので出てこない……と思いたい。

「あ……だめ……だめ、やっぱり。だめ……」

 桐島さんが泣きそうな声を出して立ちすくんでしまった。

「どうしたの?」

 エリカが聞くと、桐島さんはひきつった顔で首を振る。

「狭いとこ、あたし、ダメなんです」

 閉所恐怖症なのだろうか。それでよく中に入るなんて言い出したものだ。

「すみません。中……写真、撮ってきてもらえます?」

 仕方ないので俺とエリカと彩乃ちゃんで奥まで行くことになった。

「桐島さん、何で閉所恐怖症なのに入ろうなんて思ったのかな?」

 俺が聞くと、エリカがかすかに笑った。

「お祖父さんに命令されたんじゃない? 会長さんに」

 桐島さんのお祖父さんはアズサホールディングスの会長で、ダンジョンに通信ケーブルとWi-FiサービスをやっているDQコミュニケーションの親会社だ。

「……ってことは。DQの、関係?」

「じゃなかったら閉所恐怖症なのに入ろうとはしないわね」

「あ。ちょっと……そこ、スライムいる」

 ちょうど良い具合に、スライムが壁をヌルヌル這い降りてくる。彩乃ちゃんによく見えるようにして、叩いてガラス化させた。

「すごい……です……」

 やっぱりこっちはモンスターが多い。数メートルごとにスライムとワームと、ナメクジモンスターをガラス化退治しながら進んだ。

「……これ、どっち?」

 左右の分岐に出た。

「右行くと西三丁目公園、左はわからない。まだ行ったことがない」

 ライトで照らすと、ダンジョンはさらに深くへと下っている。方向からすると、諏訪の森公園からJRの線路に向かっているような気がする。

「今度は、あそこからケーブル入れるつもりなのかしら」

 エリカがぼそっと言った。

「ああ……西3からだと距離が長くなってドローンの出し入れが大変だって言ってた」

 こっちからもケーブルを引いて言った方が、確かに工事がはかどる。

「もうちょっと奥行ってみようか。森元さんは外で待ってて」

「いえ……」

 彩乃ちゃんが硬い声で答えた。

「マイスターが、行くなら。ご一緒、します」

「マイスター?」

「師匠って意味らしいよ」

「まあ……モテてるわねぇ……」

 笑いながらそう言って、エリカは下って行く左のルートに入って行こうとする。

「エリカ」

「ん?」

「まだ……何かあると思ってるの?」

 エリカが振り返ってちょっと笑った。

「さあ、どうかしら?」

 エリカの『勘』ってやつだろうか。絶対、何かあると嗅ぎつけているに違いなかった。

「あの……ねえ……ここ、でかいモンスターいるかもよ」

「そのためにダンジョンマイスターがいるんでしょ?」

 エリカは平気でどんどん進んで行くけど、できたら俺はあんな気持ち悪いやつと出会いたくはない。もう退治されてしまったならいいのだけど、警察の捜索で化け物の死体が発見されたとは聞いていない。

「あ……」

 しばらくしてエリカが声を上げた。エリカのライトが照らす先に、見覚えのある物がなった。プランターだ。

 エリア13とか、この間高琳寺の倉庫でも見たやつ。

「なんで……」

 こんな奥で、あの濱田がキノコ栽培をやっていたのだろうか。でも、それにしてはずいぶん狭いしプランターの置き方が乱雑だ。

「こんなところで……」

 エリカがしゃがみこんでプランターに生えているキノコを確かめていた。間違いなくダンジョンマッシュルームだ。

「エリカ、なんかヤバい。戻ろう」

 俺を見上げたエリカの背後で、何か大きな影が動いた。

「ひっ……」

 彩乃ちゃんの押し殺した悲鳴。そのライトに、気持ち悪く長い脚が映りこんだ。


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