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第八章 第8話「ラスボス……じゃないよな?」

 その日。いつもの平日通りに、杉村のおっちゃんは西3丁目公園ダンジョン前のテントで折りたたみパイプ椅子に腰を下ろしてダンボの業務に就いていた。

「暑いなぁ……」

 水筒に入れてきた麦社を飲みながら、杉村のおっちゃんは何度もつぶやいた。こう暑いとダンジョンに涼みに来るようなユルい探索パーティーも来ない。

 午後になってようやく現れたパーティーは見覚えのない二人組で、その姿を見たときからおっちゃんは何か違和感を覚えていた。

「どこまで入りますか? 出場の予定時刻は?」

 一応一通りの安全説明を行って、入場表に氏名と緊急連絡先を記入させた。

「13あたりまでで、4時には出る予定です」

 レジャーとしてダンジョン探検をやる人間はほとんどが20代だ。30を過ぎても頻繁ひんぱんにダンジョンに入るのは、配信などで収益を上げる人間に限られる。

 数は少ないが研究や調査で入る人間もいるが、その場合は入場表に『地層の調査』などど入場の目的を記入していく。だがこの二人組はそのどれにもあてはまらなかった。

「ダンジョンマスターはダウンロードしていますか? 入っていたら必ず起動させて。はい、ご安全に……」

 ダンジョンの入口に歩いて行く二人、なぜかそのリュックはかなり重そうに見えた。

「何を持って入るんだか……」

 杉村のおっちゃんを不審がらせた二人は言葉を交わすこともなくダンジョンを進み、スライムや虫をアルコールのスプレーで追い払ってひたすら奧を目指した。

 ショートカット道を使ってエリア13に入り、手描きのメモとダンジョンマスターを見比べながらある横道へ入った。

濱田はまだの指示だと、ここだな」

「変なモノいねーか?」

 数匹いたダニとダンゴムシをハーブを焚いて追い払い、二人は重いリュックを下ろして中から道具を取り出す。こぼれ落ちた鉄の棒が耳障りな音を響かせた。ダンジョンの壁に打ち込む『拡張杭かくちょうくい』だった。

「誰か入って来ないうちに、どんどん打ち込め」

 二人はウレタンの耳栓を押し込んで、行き止まりの壁にどんどん拡張杭を打ち込んでいく。打ち込まれた杭の周囲からダンジョンの壁は溶けるように広がって、そこから抜け出たマナは炭素鋼のタガネ『拡張杭』に取り込まれる。

 そうして拡張杭に移ったマナは、次に打ち込まれた場所で放出されてその場所をダンジョン環境に変えていくのだ。

「いつまでこんな、穴掘りさせられるんだ?」

 拡張杭を打ち込み終わって、一人が汗を拭いながら文句を言った。

「これが立川用で、あと大宮の分を作ったら終わりだ。それまでに新しいダンジョンを開拓するそうだ」

「ああ? なんだ。またできあいのダンジョン栽培に戻るのかよ!」

 文句を言っていた一人が怒りの声を上げると、もう一人が道具を片付けながら顔を拭って唾を吐いた。

「新宿が、キノコの上がりが予定より少ないんだってよ。実験で、狭いところでやったときほど上手くはいってねえそうだ」

「濱田の野郎、調子良いことばっかり言いやがって……」

 ぶつぶつと文句を言いながら、二人は出口に向かってとぼとぼと歩き始めた。


 エリカの背後で何か大きな物が動いた瞬間、鼻をつくような嫌なニオイが押し寄せてきて俺は咽せそうになった。エリカが咳きこんでいる。

 LED懐中電灯の中に映り込んできたのは、気味が悪いほど細長い脚。灰色なのか青白いのかよくわからないけど、まばらに毛みたいなものが生えている。もう一本気味悪く細長い脚が伸びてきて、それがエリカの腕をつかんだ。

「ひいいっ!」

 エリカが声にならない悲鳴を上げて振り払ったけど、すぐにTシャツの袖をつかまれた。布が裂ける音。

「このぉ!」

 俺は化け物の脚をハンマーでガラスにしてやろうと飛びかかった。

「ぐはあ!」

 でも今日持って来たのはの短い小さい方のハンマーで、化け物には届かなかった。逆に俺の方が化け物からカウンターキックをくらって吹っ飛ばされた。

「圭太ぁ!」

 エリカが体をよじって叫ぶ、また布が裂ける音。エリカの動きでTシャツとブラがむしり取られた。

「マイスター! 大丈夫ですか!」

 俺は彩乃ちゃんに抱き起こされた。

「彩乃ちゃん。危ないから、逃げて!」

「いえ……あの……」

 上半身裸にされてしまったエリカが這って逃げようとして、化け物に脚をつかまれた。

「エリカぁ!」

 エリカを取り戻そうと突っ込んで行ったが、化け物がもう片脚で蹴りつけてくる。近づけない。

 さっき吹っ飛ばされたときにハンマーを落としてしまったので、こぶしで化け物の脚を殴ってみたけどガラスにはならない。素手だとスライムが限度らしい。

「彩乃ちゃん! ハンマー取って!」

 そうは言ってみたけど壁にも天井にも影が躍りまくっている状態で、ハンマーがどこに落ちているかなんてわかったものじゃない。

「はいっ!」

 でも、彩乃ちゃんはやたらに勢いの良い返事をして走り出した。

「ちょっ!」

 化け物の脚と押し合いをしている俺の横をすり抜けて、彩乃ちゃんは何と化け物の前へ「すいっ」と出て行った。

「だめ! あぶない!」

 悲鳴のようなエリカの声。

「どけえー!」

 気合いの入った声。彩乃ちゃんの口から出たのだと思えなかった。そして彩乃ちゃんは長い脚を思い切り振り上げて、毛で覆われた化け物の頭に蹴りを入れた。

「ゴ、バァ!」

 吠えたのか悲鳴なのか、化け物の変な声。毛の中に一瞬だけ、変に人間っぽい顔が見えた。

『バコン!』

 もう一発、彩乃ちゃんが化け物の顔面に蹴りを入れた。エリカの脚を放して化け物が後じさる。俺を押さえつけていた前足も離れた。

「マイスター!」

 彩乃ちゃんが叫んで、ハンマーを拾い上げて俺に手渡した。

「おらあ!」

 俺は走って化け物に追いつき、脚をハンマーでぶっ叩く。

「うがあ!」

 まるで人間のような呻き声。もう一度、思い切りハンマーを振り上げて叩きつけた。何かがくだけた感触。でも、化け物はガラスにならない。

「あれ?」

「があぁぁ!」

 折れた脚を引きずるようにして、化け物はわめきながらダンジョンの暗闇に消えて行った。

「やっつけた?」

 エリカの声。

「いや……あいつ、ガラスにならなかった」

「え?」

 エリカが呻き声を上げて立ち上がり、片腕で胸を隠しながらジーンズについた土を払い落とした。

「あの……エリカ、さん」

 彩乃ちゃんが、着ていた半袖トレーナーを脱いでエリカに渡した。あまりにも自然に脱いだので、俺もエリカも呆気にとられて何も言えなかった。

 彩乃ちゃんは、トレーナーの下に短いタンクトップみたいなものを着けている。たぶんスポーツブラだ。

「ちょっ……それ、森元さん、いいの?」

「エリカさんの。あれ、ダメ、ですよ」

 エリカは無惨な状態になってしまったTシャツとブラを見下ろして、ちょっと怒ったたような表情で首を振った。

「あのTシャツ、昨日おろしたばっかりなのに」

 『そんなもの着てダンジョンに入るからだ』と言いたかったけど、言ったらエリカに蹴られる。俺は二人に背を向けた。

「ごめん、借りる……圭太、あの化け物、何か着ていたように見えたんだけど」

「そうなの?」

 俺は後ろを向いたまま答えた。気がつかなかったのだ。

「下から見たらね、何かロゴ入ったTシャツが見えた」

 俺はハンマーをベルトに挿しこんでいた手が止まってしまった。

「それじゃ、あれ……人間だったんだ」

 姿はひどく変わったけれど、あれは人間だったのだ。だからガラスにならなかったのかも知れない。

「そう言えば……あそこ。エリア13で、エリカと……りりんも一緒に入って。あのとき中にいた4人のうち、一人がおかしくなって奧に行った。そいつかな?」

「かも知れないわね」

 トレーナーを着て、エリカは彩乃ちゃんに顔を向けた。トレーナーの胸がパッツンパッツンに盛り上がっている。

「あんなのに蹴り入れるなんて、すごいじゃない」

 彩乃ちゃんは何かモゴモゴ言って頭を下げた。

「何か、格闘技やってるの?」

「空手……」

 消え入りそうな声で彩乃ちゃんが答えた。この子はいろいろギャップがありすぎる。


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