新浦安駅に近いホテルだった。ベイエリアを眺めながら入浴できる快適な浴室もあるが、そんなものは3日で飽きた。
専属契約になってもう10日、牧原雅道はずっとこのホテルで待機させられていた。ホテルから出るなと言われてはいないが、付近には遊びに行けるような場所はない。駅の向こう側にイオンモールがあるが、飲み屋が何軒か入っているだけで女の子のサービスがあるような店などない。
『立川市錦町の陥没現場です。転落したトラックの荷台が見えています。今朝午前1時すぎに、トラックの運転手の男性が救助され命に別状はないとのことでした。トラックの下敷きになっていると見られる車に何人が乗っていたのかなどはまだわかっていません。トラックの車体を引き上げる試みが行われましたが、崩壊がひどくなるため危険と判断されて中断しています』
今日も、テレビはどの局を見ても立川のニュースばかりだった。
『今朝8時過ぎですが。消防庁のレスキュー隊が地下の空洞に繋がっていると見られる、ダンジョンと呼ばれる入口から現場の地下に向かいました』
「もう生きてるはずねーだろ……」
牧原雅道は時折缶ビールを口に運びながら、ぼんやりとその報道を見ていた。画面が切りかわって、雅道の記憶にあるお寺が映った。
「あそこ……」
雅道がさんざんな目に遭って、元マネージャーだった有藤に助けられてようやく脱出した場所だ。そしてこのホテルに監禁同然の状態になったのもこの寺が発端だ。
『現在8時45分です。立川市錦町の陥没現場に取り残されている車の救助を地下から行うため、レスキュー隊員がダンジョンに入って行きます』
「本当に、繋がってるのか?」
『スタジオには、全国のダンジョンを巡り歩いたダンジョニストことお笑いコンビ『のぶせん』の船場やすのりさんにおいで頂いています。船場さん、よろしくお願いいたします』
雅道も会ったことがあるお笑いタレントが解説者席についていた。
『船場さん、ずいぶん離れたところからレスキュー隊が入って行きましたけど。現場に到着することは可能でしょうか?』
『立川のダンジョンはもの凄く長くて入り組んでいて、西3丁目公園って入口とこの高琳寺の入口が繋がっているって噂は前からあったんですよー。西3丁目公園はら入って高琳寺に出る『コーリンチャレンジ』ってのがあって、まだ誰も成功はしていなかったんですよー』
「俺は成功したぞ」
雅道は憎々しげに言った。自分の意思でダンジョンに入ったのではなく、出られたのもただの偶然だったが。そのときスマホに着信があった。
『牧原さま、工藤です』
雅道をこのホテルに
「俺をいつまでここに閉じ込めておく気だ?」
『間もなくお仕事をご案内できると思います。先日お申し出をいただいた契約金ですが、オーナーの方から一千万でOKが出ました』
多額の負債を抱えての失業者状態。そこを拾ってもらったような状態にも関わらす、雅道は厚かましく月給以外に契約金を要求したのだ。
『
一円たりとも裏金は出さないと言うことらしい。
『早速ですが、お仕事をお願いします。テレビなどではないので給料内になるのですが』
「どんな仕事でも歓迎したい気分だね、今は」
『それでは後ほど説明に伺います』
もの凄い音、何かが崩れる音と金属がひしゃげる音が狭い空間に充満した。何か人の叫び声も聞こえたような気がする。石かコンクリートのかけらなのか、痛いほどの勢いで体中にビシビシあたる。俺は顔を覆ってホコリを吸い込まないようにしているだけで何もできなかった。
やがて、静かになった。静かになったことがわかるのだから、たぶん俺は生きているのだろう。
「異常ないか!」
斎藤隊長の声。
「寺崎、異常ありません!」
「大田、異常なし!」
「本間、異常なし!」
「空吹ぃ、異常、ありません」
俺が震えた声で答えると誰かがちょっと笑った。体を起こすと、あちこちからバラバラ砂や石のカケラが落ちた。投光器がひっくり返って俺の方を照らしているので眩しい。ホコリもたちこめて、光って何も見えない。
「落ちてきた!」
誰かの声。投光器が動かされて、やっとあたりの様子が見えるようになった。逆さまになって半分落ちかかっていた車が……プリウスだった。それが完全に下まで落ちていた。窓なんかは割れていたけど、ちゃんとタイヤを下にして着地していた。
「救助、かかれ!」
すぐにレスキュー隊員がプリウスに飛びついてドアを引き開けた。運転席と助手席から人が引っ張り出されて壁際まで運ばれる。
「聞こえますか!」
レスキュー隊が二人に呼びかけている。一人は女性だった。二人とも意識はあったようで、応急の手当てが行われている。
俺は相変わらずやることがないので、車が落ちてきた穴をもう一度見に行った。プリウスが落ちてきたのだからけっこう大きな穴で、まだバラバラ土なんかが落ちてくる。穴のずっと上の方は何かで塞がっていて、ライトで照らしてみるとどうやらトラックの正面だ。
「トラックが見えます!」
俺が声をかけるとレスキュー隊の一人が見に来た。
「あー、確かに。運転席に人は見えないから、救助できたのかな?」
「撤収する! 空吹君、案内頼む!」
「はーい!」
もう俺は、この危ないダンジョンから一刻も早く出たかった。ミチイトを巻き取っていると時間がかかるので、捨てて行くしかなかった。ダンボは経費で出してくれるだろうか。
レスキュー隊がケガ人を背負っているので、帰りも行きと同じスローペースだった。ようやく高琳寺まで戻ってきたのは午後1時過ぎ、プリウスの二人はすぐに救急車で運ばれていく。
「お疲れ、よくやったね」
「いやー、空吹君。さすがだねー!」
出口ではダンボの石田さんとエリカが待っていてくれた。
「ひさびさに、死ぬかと思いしました」
エリカが差し出したタオルで顔を拭いながら、俺はため息交じりに言った。
「何があったの?」
「ダンジョンに半分落ちそうになっている車が、俺たちが着いたときに本当に落ちてきて……天井崩れて、生き埋めになるんじゃないかって……」
まだ口の中も砂でジャリジャリする。
「そいつは、消防署に言っておかないといかんなぁ。感謝状だけで済むような仕事じゃない」
石田さんがそう言ったけど、俺としてはどうでもよかった。スイーパーの勤めを果たしたのだから。
レスキュー車が赤灯を回しながら引き上げていくのが見えた。
「あたしたちは。もうちょっとここで待機」
「なんで?」
「テレビがまだ撮影やってるからね。いま出て行ったら絶対インタビュー責めに遭う」
エリカが、コンビニの袋からスポーツドリンクを出して俺に差し出しながら言う。
「協力会が道案内したのはいいとして、空吹君は未成年だからね。後で面倒なことになるといけない」
石田さんが言った。それで俺はヒーローインタビューもなしと言うわけだ。でも俺はりりんみたいにカメラやライトに慣れているわけじゃない。マイクを突きつけられても何も言えないかも知れない。
自転車で家に帰ったのは午後3時近かった。全身土ぼこりにまみれている俺を見て、彩乃ちゃんが立ちすくんだ。
「マイスター。ダンジョン、入ってきたのですか?」
「レスキュー隊を案内して、まだ誰も入ってないところまで行ってきた」
「ええっ? もしかして、錦町の、あそこ?」
珪子が俺とテレビを交互に見ながら言った。
「ダンジョンに落ちた車があって、乗っていた人は救助した」
俺はトレーナーを脱いで土を叩き落としてから風呂に入る、とにかく全身くまなく土まみれなので早くシャワーを使いたかった。
出てきたときには『地下の空洞に転落した乗用車の二人を救助』のニュースが流れていた。レスキュー隊が二人を背負って出てくるところで、後ろの倉庫で足止めされていた俺は当然映っていない。
りりんからライン。
『もしかして、圭太さんレスキュー案内した?』
「高琳寺から入ってあそこまで行ってさっき戻った」
『ニュースに映ってなかったよ』
「未成年に案内させたってバレたらまずい」
『ひどーい!(`ヘ´) プンプン』
「ただスイーパーの仕事をしただけ」
『私のヒーロー!ヽ(^o^)丿』