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第九章 第6話「またも繁盛西三丁目ダンジョン」

 朝の6時、新浦安の駅に迎えに来たのはハイヤーでもタクシーでもなく配送に使われるようなワンボックスカーだった。

「牧原さんだね?」

 運転席の男が無愛想に声をかけてきた。牧原雅道は不機嫌そうに頷いて答えた。

「後ろに乗って、中に作業服があるから着替えて」

「作業服?」

「いま着ているのが汚れてもいいなら、着替えなくてもいいけどね」

 シートに置いてあるのは、ホームセンターの袋に入った作業服一式と安全靴に軍手。この前、工藤明日香が体のサイズをしつこく聞いてきたのはこのためだったのだ。狭いシートの中で、雅道は苦労して新品の作業服に着替えた。

「どこで、何するの?」

 雅道は不機嫌さを隠そうともしないで運転手に聞いた。これはどう考えてもテレビなんかの仕事ではない。

「聞いてないの?」

「新浦安に迎えが来るってことだけだ」

「簡単な作業をやってもらう。細かいことは現場で教えてくれる」

「違法な仕事じゃないだろうな?」

「そんなヤバイ作業じゃない」

 ワンボックスは地下鉄東西線の葛西駅に立ち寄り、そこでも二人の男をピックアップした。日本人ではなく、雅道には解らない言葉で会話していた。

「日雇い仕事じゃねーかよ……」

 雅道は運転している男には聞こえないように悪態をついた。依然として休業中のような状態だが、自分は現役の俳優なのだ。

 どうやってこの状態から逃げられるかを考えた。だがこれは所属事務所が回してきた仕事なのだ、勝手にキャンセルすれば契約違反に問われるかも知れない。だいたいこんな仕事を任されるなんて、雅道は考えてもいなかった。

 そうしている間に車は高速に入って、どうやら八王子方面に向かうらしい。1時間ほどしてコインパーキングに止まったのだが、どこなのかまったくわからない。そこでは知らない男が待っていた。

「一人ずつ、これを背負ってついてこい」

 ヘッドランプがついたヘルメットと、リュックをわたされた。なぜかリュックはズシリと重い、中では何か金属が擦れる音がする。

 言葉が通じない二人の後について、一列に並んでマンションや家が並んでいる細い通りを歩いて行く。右側に公園が現れた。

「あ……」

 雅道は思わず声を上げた。ここは以前に自分が連れて来られた立川のダンジョンだった。

「ダンジョンじゃんか」

「そうだ。知ってるのか?」

 一行を率いている男が雅道に言った。

「ユーチューブで、見ただけ……」

 無理やり中に連れ込まれて、迷ったあげく袋叩きにされたところを救出されたのだ。しかしわざわざそんなことを教えてやる必要もなかった。

『それにしても……』

 今日会った誰一人として、自分が俳優の牧原雅道だと知らないことが不満だった。

「錦町の陥没したところへは行けないよ」

 ダンジョンの入口脇にあるテントで、引率していた男と老人が話していた。

「絶対行けないって訳じゃないけど。ダンジョンスターにルートが入ってないからね、偶然じゃないとまず行き着けない」

「地盤の調査ですからそんな深くまでは行きません」

 受付をやっているらしい老人から金属のプレートを受け取って首にかけ、一行はぞろぞろとダンジョンに入って行った。


 またエリカに誘惑されたので、俺は何度もおかしな夢を見て寝不足だった。

「今度こそ……エリカのアレ、砕いて材料にしてやる」

 初めて会ったとき、エリカはスライムでダンジョンの壁にはりつけになっていたのだ。服を食べて溶かすスライムだったらしくて、ガラス化させてエリカの体から引き剥がした。

 そしたら。エリカの服から下着から、全部スライムと一緒に剥がれてしまった。悪いことにスライムはエリカの危険で微妙なところまで入り込んでいて、パンティーを剥がしたらエリカの……その部分の型取りな状態で取れてしまったのだ。

 エリカにはガラスの材料で使ってしまったと言ってあるけど、実はそうするのが惜しくて隠してある。バレたらきっとエリカに殴られる。

「あれ、使ってないし……最近は……」

 俺は自転車をこいで西3丁目公園に向かいながらつぶやいた。この間エリカが誘拐されそうになったとき、俺はベンツの前でわざと転んで止めた。そのとき曲がったハンドルを力業で直したのだが、まだちょっと歪んでいる。

 前は、週に3日はエリカのガラス型を『使って』いたのだけど。最近はあえて手にしないようにしている。輝沢りりんを思い浮かべながらエリカのガラス型を使おうとして、激しい自己嫌悪に陥ったから。

「はあ……」

 赤信号で自転車を止めて、俺は小さくため息をついた。交通量は少ないので無視したっていいのだが、そんな時に限ってお巡りさんに見つかる。

「嫁にも彼女にもならないけど……って、何がしたいんだ?」

 ついグチが出てしまう。エリカはしょっちゅう俺を誘惑してくるけど、『嫁にも彼女にもならないよ』と断言している。つまり俺の体を狙っていることになるのだ。

「思い切って……誘いに乗っちゃおうかな……」

 エリカが割り切って誘っているのだから、こっちだって割り切りで……。

「できる……かな……」

 何しろまともに女の子と付き合ったこともないのだ。それらしいのはりりんとデートみたいにして、一緒にラーメン食ったことぐらいだ。

 だから割り切ることなんかできないで、エリカにべったりになってウザがられそうな気がする。そう言えば、りりんとはもうひと月ぐらい会っていない。

「でも、俺がいくら想ったって……」

 アイドルから人気シンガーにレベルアップ真っ最中のりりんは、俺の手が届くような存在じゃなくなってしまった。それでも俺の気持ちはエリカとりりんの間でいつもグラグラ揺れている。

「あ……」

 いろいろ考えていたら、自転車を止めたままで青信号をスルーしていた。何だか、彩乃ちゃんが帰ってから俺はずっと悩んでばかりだ。

 エリカはもう西三丁目公園に来ていて。今日はダンジョンに入るのだから当たり前だけど、脚は見えない格好だった。上はTシャツだけど、黒っぽいブルゾンを腕にかけている。あれを着てくれれば、俺はエリカの巨乳に気を取られずに済む。

「できるだけマナが濃いところで試したいから、20くらいまで入れる?」

 エリカが俺にドックタグを渡しながら言った。

「13のショートカット使えば、まあ3時間もかからないで出られる」

 俺はいつもの習慣で、杉村のおっちゃんの前にある入場名簿に目をやった。

「4組も?」

午前中だけで3パーティーが入場している。

「朝イチの。研究所だか何だかの4人以外は、みんな曙町のあそこ狙ってるな。例の、曙町あけぼのちょうのあれから毎日こんなだよ」

高琳寺からレスキュー隊が入って曙町一丁目交差点の陥没現場までたどり着いたことは、あちこちのニュースで広まっていた。西三丁目公園と高琳寺の入口は繋がっていることはずっと前から噂になっていたので、確かめようとするパーティーが来ているのだろう。

「研究所?」

 俺が聞き返すと、杉村のおっちゃんが首を傾げた。

「地層だか地盤だか調べたいって言ったけど、何か外国人労働者みたいの連れてきてた。どこの何だか怪しいもンだ」

 それを聞いてエリカがちょっと表情を曇らせた。西三丁目ダンジョンはしばらく静かだったのに、またダンジョン探索じゃないおかしな連中がやって来るようになったのだろうか。


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