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第十章 第4話「ダンジョン不穏」

 使い込まれたハンマーで、彩乃が遠慮がちにスライムを叩いた。スライムがちょっと震えてハンマーから逃れようと動く。

「ダメです。マイスター」

 彩乃が悲痛な声で言う。

「まだ4回目だから、焦ることはないんだ」

 りりんがダンジョンの中でやると決めてしまったチャリティーライブ、しかも場所はいろいろな因縁がこもったエリア13のホールだ。

 その下準備のために、俺は週に何度か西3丁目公園からダンジョンに入っている。今日は荷物が多いのとスライム粉の補充で彩乃を連れて来ている。

「りりんだって、声のスキルがわかるまで5回か6回入ってる」

 それに彩乃がゲットするスキルだってガラス化とは限らないのだ。

「彩乃は、ガラス細工以外に得意なことは?」

 正式に弟子と認めたので、「ちゃん」を付けずに呼ぶことにした。良いことなのはどうかわからないけど。妹以外でエリカとりりんと、呼び捨てにする女性はこれで3人目だ。

「あと……得意なの。クッキー、焼くくらい……」

 冗談ではなく、彩乃は本気で言っている。彩乃が『天然ボケ』だったことに最近ようやっと気がついた。

「スライムのクッキーは嫌だな……」

しかし身長が170あって空手をやる彩乃がクッキーを焼くのが得意とは、やはりいろいろ謎が多い子だ。

「私も、嫌です」

 今日はスライム粉集めのついでに、13のホールに虫よけを置いてくることが目的だった。

 持って行くのは薬ではなく鉢植えのゼラニウム。この花から出る成分を虫は嫌がって、ヤブ蚊なんかは寄り付かないそうだ。でもダンジョンの巨大虫に効くかどうかは知らない。

「あの、マイスターは……」

 彩乃が遠慮がちに聞いてきた。

「りりんさんと。お付き合い、しているんですか?」

 いきなりすごい質問をぶつけてきた。

「お付き合い……って、言うか……」

 俺は動揺どうようしたのを悟られないように、一度息をついて続けた。

「ダンジョンがらみの頼まれ事のお礼で、一度だけデートしたくらいだ」

 一緒に山盛りのガッツリラーメンを食べたことは言わずにおいた。デートらしさがぶち壊しになる。

「御崎さんは……どんな、関係なんですか?」

 俺の周りにいるのは現役アイドルタレントと派手でエロい美女なのだ。彩乃が気にするのも当然なのか。何しろ中学生ではあるけど、彩乃だって女性だ。

「あのひとは、仕事でダンジョンのことを調べていて……俺はその助手みたいなことをやらされている」

 彩乃がちょっと変な顔をした。『やらされている』にひっかかったのだろう。

「……とある事情でね」

「事情……ですか?」

 事情の詳しいことを説明してほしいと言われたら俺は困るのだが、幸い彩乃はそれ以上突っ込んではこなかった。エリカの、ガラスのパンツをいたなんてとても言えない。

 ゼラニウムの鉢が8個も乗ってただでさえ重いカートが、集めたスライム粉でさらに重くなってきた。

「スライム狩り、帰りにやればよかったな……」

 たどり着いたエリア13のホールには、また巨大ダンゴムシが入っていた。意外と言うべきか、彩乃は巨大な虫を見ても怖がるそぶりを見せない。俺でも大嫌いなゴキブリも平気で叩き潰すらしい。

「鉢、入り口のあたりに並べて」

 鉢植えのゼラニウムをホールの入り口に並べると、独特の香りがホールの中に広がっていくのがわかる。ホールの奥には地上に通じる縦穴があって、そこが通気口になっているのだ。だからライブでまとまった人数が入っても酸欠になる心配がない。

「あ、逃げます」

 幸い巨大ダンゴムシもゼラニウムが苦手らしい。これでりりんのライブは虫に邪魔される心配がなくなった。いつの間にか、ホールの中までDQの通信ケーブルが入ってきている。これを知っていて、りりんはここでライブをやると決めたのだろうか。

「ここ……何ですか?」

 彩乃がホールの中を見回して俺に聞く。そう言えば、彩乃をここに連れてくるのは初めてだった。

いわく付きの場所。だいぶ前に、ここでヤクザがダンジョンマッシュルームを作ってたんだ」

「ダンジョン、マッシュルームって。何ですか?」

「違法薬物の原料」

「それで、何だか嫌な感じするんですね……」

 俺はちょっとため息をついてホールの中を見回した。いくら明かりで照らしても、このホールの中は嫌な雰囲気で満ちている。俺の親父を含めて、どれだけの人がここで命を落としたのだろうか。

「戻ろう」

 明後日には、もうライブのための機材が運び込まれる。


 圭太と彩乃がエリア13のホールを出た頃、同じ市内の錦町にある『ザ・ダンジョンBattle Field立川』ではオープンに向けての調整が進んでいた。

「こんな格好じゃ、動きにくいじゃないか」

 テストプレイに駆り出されたのは牧原雅道だった。革の服とマントを着けて剣を持った冒険者コスプレをさせられていた。

「コマーシャルに使う映像材料も撮りますから」

 後ろにはカメラとマイクを持った撮影チームがついている。

「後ろからじゃ、顔が映らないだろ」

「それはまた別獲りです」

「つまんない仕事ばっかりやらせやがって……」

 雅道は小さく毒づいた。まだテレビの仕事など一本もなく、こんな雑用みたいな仕事ばかりやらされているのだ。

「それじゃ、エントランスからゲートのところまで歩いてください。できるだけ大げさに」

「どんなだよ。大げさに歩くってのは?」

 その、ザ・ダンジョンBattle Field立川が入っているビルの地下三階ではダンジョンマッシュルームの生育が順調に進んでいた。だが厄介やっかいな問題も発生していた。

拡張杭タガネがないだと?」

 濱田が不機嫌そうな声で言った。

「この間の、二つめの陥没事故で全部埋まっちまいました。新品のはどこも在庫がなくて、いま外国から取り寄せています。残りは、今日引き上げてくる50本ぐらいで終わりです」

 先日、牧原雅道をダンジョンに連れて行った男が答えた。

 ダンジョンの壁に打ち込んでマナエネルギーを吸収させたタガネは、別の場所で打ち込まれたコンクリートにマナエネルギーを放出してダンジョン化を起こす。ビルの地下でダンジョンマッシュルーム栽培を可能にする重要なアイテムだ。

 だがマナエネルギーの放出が終わるとただのタガネに戻るので、定期的にダンジョンへ持って行って『チャージ』しなくてはならない。

「あそこで300本くらい埋まっちまったんで、入れ替えがぜんぜんできませんや」

 これまでは全部で一千本くらいを順次入れ替えていたのだが、陥没によって大きく減ってしまった。時には栽培場所にタガネがなくなる、かなり危険な状態が起こるほど足りなくなってしまった。

「ここと新宿だけでも足りねーな……まったく、あいつは厄病神だぜ」

 階段を降りてくるハイヒールの音を聞きつけて、険しかった濱田の表情がさらに険しくなった。厄病神である牧原雅道を連れてきた元凶のお出ましだった。

「タガネがないの?」

 工藤明日香が不機嫌そうな声で言った。

「いまそれを聞かされたところですよ、300本ばかり埋まって回収不能だって。今度伊勢原に持って行く分なんかありませんよ」

「代用の、何か使えるものは?」

「先っちょの形が違うのはありますけど、それだって100本ぐらいしか集まりません。いまネットに出ているのまでかき集めてるところですよ」

 濱田が言った。その、タガネの大量買い付けが関東厚生局マトリの監視対象になっていることは知らなかった。


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