エリア13のホールにいくつもの投光器が持ち込まれて、ヘルメットと作業服の人たちが鉄パイプのようなものを担いでやってきた。
明日はここでりりんのチャリティーライブが行われる。鉄パイプは照明なんかを取り付けるための支柱だ。工事の人たちはそれをあちこちに立てて、工具でしっかり固定するとすぐに出て行ってしまった。
「え? これだけかよ……」
もっと大変な作業だと思っていた俺は、何だか拍子抜けしてしまった。投光器がなくなったホールの中は、ゼラニウムのために点けられている紫外線灯の青い光で何だか薄気味が悪い。
「帰るか……」
今日はこれだけなので、もうやることはない。明日は朝から照明や音響の機材がガンガン運び込まれて、午後3時からライブの中継が始まる。
せっかく来たのだから、少しスライム狩りをやってガラスの材料を調達していくことにした。今は13でもスライムはあまり出ないので、エリア20あたりまで下りなくちゃならない。
大きな道具もないので早足で奥へ向かい、エリア23でスライムを2匹ガラスにして粉を回収していると、明かりがこっちに向かって来た。
遅い時間だけど奧に向かう探索パーティーだと思って、掃き集めの手を止めて邪魔にならないように壁際に寄った。
やって来たのは3人パーティーで、男ふたりの後ろに女性がいた。俺のライトの中に、白い脚が浮かび上がった。
「ダンジョンに入るのにスカートかよ……」
探索じゃなくて何かの取材なのかと思った。じろじろ見ないように視線を下げてやりすごそうとした。その、スニーカーをはいた白い脚が俺の前で止まった。
『え?』
俺のヘッドランプで、ストッキングの繊維がキラキラ光って見えた。
「久しぶりね、空吹……圭太君だったかしら?」
「えっ?」
この女性は俺を知っている。でも、俺はこの声に心当たりがない。スカートでダンジョンに入ってくるような人も知らない。
「あの……」
俺が顔を上げたので、ライトが女性の顔を浮かび上がらせた。
「……あっ!」
『あの女』だった。高琳寺でエリカを誘拐して、俺と一緒に調布のゴミダンジョンに捨てようとした女だ。
「工藤……明日香」
「あら、覚えていてくれたの? 嬉しいわ」
あんな目に遭わされて、忘れるはずがない。
「……何しにきた」
「こちらの仕事よ。ねえ、今はあなたをどうしようって気はないのだけど。ちょっと一緒に来てくれない?」
「断る」
「先にあなたが出て行って、誰かを呼ばれると面倒だから。こっちの用事が終わるまで一緒にいて欲しいの、それだけ。お願いだから乱暴ごとはやめにしましょう」
工藤明日香の笑顔。背中がゾクゾクするほど美しいけど、こいつは邪悪な女なのだ。一緒にいるのはお断りだが、こいつには雰囲気の良くない男二人がついている。圧倒的に俺が不利だった。
「わかった……」
「ご協力に感謝するわ」
そう言うと工藤明日香は俺の横に来て腕を組んだ。エリカのよりも強い香水に包まれて、俺は酔いそうになった。
「なにを……しに来たんだ?」
「あるモノを回収しに……それが終わったら、もうここに用はなくなるの」
男二人が先を行き、俺は工藤明日香にがっちり腕を押さえられて歩いた。距離からしてたぶんエリア25、そこで狭い脇道に入った。奧は行き止まりだった。
「あっ……」
俺は見た。行き止まりの壁一面にタガネが打ち込まれているのを。
「ここで何をするのかは、見ないでほしいの」
工藤明日香が俺の前に立ちはだかって、俺の頭を片手で押さえて顔を胸に押しつけた。
「ううっ……」
顔が柔らかな感触に包まれた。前にエリカともこんなことがあった。でもエリカはここまで香水はキツくない。
「ちょーっと時間かかるから、そのあいだに良いコトしようか?」
明日香が俺の耳に囁いた。そして、立ったままで工藤明日香の脚が俺の脚に絡みついてきた。冷たい手が俺の手を引っ張って、何かさらっと滑らかなものに押しつけた。
「うっ……」
たぶんこれは明日香の脚だ、ストッキングの感触だ。こんな非常事態なのに、俺はすぐに反応してしまった。
「ほら……もっと奧の方まで触ってもいいのよ、うふふふふ……」
耳に熱い息と言葉が吹き込まれる。
「やめ……ろ……」
「御崎エリカは、こんなことしてくれないの?」
「うるさい……」
明日香の手が、俺の手を腿の奥まで引きずり込む。ひんやりしたストッキングの感触の奧に、熱い部分があった。
「ほら、指先で……ぐーっと。そこよ」
手を引き抜きたいけど、明日香の腿に挟まれた上に手で押さえつけられているので無理だった。そして、俺の体の中では抗えない熱い圧力がこみ上げてきていた。
「あっ……」
明日香がエロいため息を俺の耳に吹き込む。そして俺の手を離すと、固くこわばっているジーンズの前をまさぐり始めた。
「ほら、こんなになってる……出しちゃいなさい」
「やめ……ろ……うっ……」
明日香は無理な姿勢のまま、片手でジーンズのファスナーを下げてしまった。そして、ガチガチになったものを直につかんで引っ張り出した。
「あっ! ああっ!」
秒で俺は爆発してしまった。
「はい、いい子いい子……」
工藤明日香に後頭部を撫でられて、俺は情けないのと悔しいので泣きそうになる感情を噛み殺し続けた。
朝の7時。特別に杉村のおっちゃんが早く来て西三丁目公園ダンジョンの入口を開けてくれた。
「それじゃ皆さん。今日一日、ご協力をよろしくお願いいたします」
りりんが、集まったボランティアのスタッフに大げさに頭を下げた。昨日は照明の設備なんかを取り付けるための支柱がエリア13のホールに立てられた。今日は照明と音響と中継の機材、それと何台ものポータブル電源。
電動のキャタピラつき台車が3台も来て、重い機材をどんどんダンジョンの中に運び入れて行く。
「すごーい! ブルドーザーみたい」
りりんが声を上げて喜んでいる。
「車で山の上まで行けないときに、あれで屋台の資材運ぶんだって」
エリカが教えてくれた、するとテキヤの親分さんが手配してくれたのだ。予定よりうんと早く機材の搬入が終わって、ホールでは設営が始まった。
俺はその間、スライムなんかが出てきたときに備えてパトロールだ。りりんとエリカと離れている方が、今は気が楽だった。工藤明日香にあんなことをされたことで、俺は口止めされたも同然の状態になってしまった。
「おはようございまーす!」
最後に降りてきた台車には、知らない女の子が乗ってきた。
「紗奈さーん! ホントに来てくれたんだ! ありがとうございますー!」
りりんが跳び上がってその女の子に駆け寄った。それで思い出した、りりんと同期で去年楡坂を卒業した大喜多紗奈さんだ。
りりんと大喜多さんは、さっそくリハーサルの声合わせを始めた。最初が楡坂の3曲だから、それをデュエットで歌うのだろう。
その横では妹の珪子と彩乃が振り付けの練習を繰り返している。二人はラストの『Sprint of Fearless』のときにりりんのバックで一緒に踊るのだ。
二人とも最初は嫌がっていたのに、りりんと一緒に振り付けの練習を繰り返しているうちにノリノリになってしまった。きっと観客がいないからだろう。
「りりんちゃんの動員力はすごいねー。動かすの、お客だけじゃないんだ」
音響機械の据え付けをやっていた人が俺に声をかけてきた。
「あ、有藤さんも?」
「ヒマだから手伝いに来た」
前に牧原雅道のマネージャーをやっていて、半グレに拉致された牧原雅道をダンジョンから助け出して一緒に高琳寺から逃げた。
「いま……仕事、なにやってるんですか?」
「前にちょっと手伝った関係で、スポットでイベント企画会社の仕事してる」
エリカが有藤さんに気がついたのか、こっちに来る。
「あら有藤さん。あなた、いつの間にもぐり込んできたの?」
「もぐり込んだんじゃなくて、最初からいたよ。りりんちゃんのアンチが紛れ込まないように、見張を兼ねてね」
「そいつら、ホントに来るの?」
エリカが不安そうに聞く。
「あいつらのひん曲がった根性は凄いからね。アンチじゃなくても、何やり出すかわからないファンも多いし」
このチャリティーライブはりりんのエックスとインスタグラムで公表されていて、どこかの取材も来るらしい。スタッフだけでホールは一杯になるので代表の一社だけになっている。それを迎えに行くのも俺の仕事だ。
お昼で一旦設営の作業は休憩になった。みんな一度外に出て食事だけど、俺は警備のためにホールに残った。一緒にいるとりりんは絶対話しかけてくる、それが今は辛かった。
「ホントに……もうここ、ダンジョンじゃねーよな……」
何個かの大型LEDライトに照らされた『13のホール』は、数日前までの嫌な感じまで薄れてしまった。もう、ただの地下空間だ。
「畜生……」
俺は地面に腰を下ろして、頭を抱えて呻いた。