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第十章 第6話「りりんの、ダンジョンライブ!」

 りりんが右手をちょっとげて合図した。ボランティアスタッフたちの会話がぴたりと止まった。1分前だ。

「みなさん……本当にライブが、開催できて。わたし、感動してます。みなさんの、おかげです……ありがとうございます」

 りりんが涙を拭いながら言う。誰かが拍手して、それが全体に広がった。

「30秒前。ガッツリ行こう、りりん!」

 有藤さんの声。

「はーい!」

 りりんがガッツポーズを見せる。もうここから先は完全にりりん任せだ。

「10秒前」

 りりんが小さくジャンプして、左右に体をひねった。インカムがずれないか確かめている。

「5秒前、4……」

 3秒前からはかけ声はなしで、指でカウントダウンを合図している。

「みなさーん! こんにちはー! 輝沢りりんでーす!」

 はり切って声を出しすぎたのか、ホール中にりりんの声が反響した。ミキサー係の人があわててパッドで何か操作をしている。

「ここは立川市にあるダンジョンの中です。いま立川では、あちこちでダンジョンが崩れちゃって、地上に被害が出ているんです。このライブはー、校庭にダンジョンの穴が開いちゃって。生徒……じゃなくて、子供たちがぁ、来れなくなっちゃった、幼稚園のために開催しました」

 ちょっと息が上がったのか、りりんが胸に手をあてて息をついた。

「このぉ。ライブのために、たくさんの人がボランティアで、お手伝い、してくれました。ありがとうございまーす!」

 カメラが、拍手するスタッフの方向を一周。誰か隠れたと思ったら有藤さんだった。

「あと、スペシャルゲストでー。楡坂で、同期だったぁ、大喜多紗奈さんが来てくれましたー!」

 また拍手、誰かがりりんに紙に書いたメモを見せている。

「応援メッセージ、ありがとうございまーす! あ! いまぁ! 20万人くらい、見てくれてます! ありがとー! それじゃ紗奈ちゃん、行こうー! 楡坂のぉー! ザ・エクスペクテーション!」

 りりんはもう、最初からテンションMAXだった。始まってしまえば俺はもうやることがない、こんな状態では虫も入ってこないだろう。俺はホールに繋がる通路の壁際にしゃがみこんで、スタッフの隙間からちらちら見えるりりんの姿を見守ることにした。

 2曲目。りりんと知り合ってからやたらに耳にすることがある『悲しいインビテーション』りりんがいた時期の楡坂で、一番のヒット曲だからか。

「何やってんの? こんなところで」

 エリカが来て、俺を見下ろしながら言った。

「いや……邪魔にならないように」

「なんか今日は、やけにテンション低いし。また何かあったの?」

 大ありなのだが、とてもエリカに言えるようなことじゃない。今でもまだ工藤明日香の香水が鼻のどこかに残っているような気がするのだ。

「なんか……りりんが、どんどん遠くになって行くみたいで……」

 思いつきで口にしたけど、本当にそんな気がしてきた。

「まあ……それは、わからないでもないけどね」

 エリカが俺の前にしゃがみ込んだ。今日はジーンズなので脚は見えない。

「でも、前にりりんが言ってたよ。どんなに有名になっても自分はそば屋の娘だって」

 そして俺は、もっと何でもないガラス職人だ。

「意味わかってんの?」

「うん……」

 半分うわの空だったから、何となくしか理解していなかった。いつの間にか『悲しいインビテーション』が終わって、りりんと大喜多さんが何か笑いながら話している。一緒に楡坂にいたときの思い出話らしい。

「どんなになっても、人には絶対に変わらないものがある。りりんはそう言ってるのよ」

 年上だってことだけじゃなく、りりんは俺よりも何倍も苦労してきている。それでそんなことが言えるのだろうか。気がつくと、向こうで彩乃が振り返って俺を見ていた。

「しっかりしろ。弟子にまで心配かけるな」

「うん……」

 このままだとエリカにあれこれ問い詰められるので、俺はしぶしぶ腰を上げた。

「あ! いま、30万人も見てくれてますー! ありがとうー! スパチャ、ありがとうございますー!」

 チャリティーは順調に行っているらしかった。並んでいるスタッフの列に戻ると、りりんがチラッと俺に視線をよこした。

 りりんが歌うところをちゃんと見ていることができなかった、そんな自分に腹が立った。でも、りりんと目を合わせるのが辛くて思わず顔をうつむけた。

「うっ!」

 その瞬間、エリカが俺の脇腹にひじ打ちを入れた。

「目、そらすんじゃないの」

 エリカに言われて顔を上げると、りりんが俺を見てニコッと笑った。

「それじゃ3曲目、これで楡坂のは最後。これもわたしが好きな、『あなたに銀のトリビュート!』」

 これは楡坂のミュージックビデオにもなったシングルで、初めてりりんがパルクールを見せて話題になった曲だ。曲のラストでりりんがバタフライツイストを決めて、ホールの中が歓声と拍手で沸いた。

「紗奈ちゃん、ありがとう! また、後で……」

 さすがにりりんも息が切れてきている。

「ここは……」

 ちょっと息を整えて、こめかみに垂れてきた汗をぬぐってりりんが続けた。

「エリア13の……西側? って呼ばれてる場所で、とっても危険な……入っちゃダメだって言われてた場所だそうです。いろいろあって、いまはもう、誰でも入って大丈夫な場所になりましたけど……」

 そこでりりんがちょっと俺に視線を向けた。

「でも、それまでに。ここで……何人も、入ってきた人が、亡くなったそうです……」

 りりんがちょっと目を閉じた。片方の目から、ぽろっと涙がこぼれた。再び目を開けたとき、りりんがはっきり俺に視線を向けた。

「わたしは。ダンジョンで特殊な能力が身につくことを聞いて、危険なことは承知でここに入りました。もう……半年くらい前のことです。それは、わたしのチャンネルで配信して、ものすごくたくさんの人から怒られました」

 『チャりーんジ!』で変なやつらに襲われた、あれのことだ。

「そのあと何回か入って。特殊な能力は、ゲットできたみたいです。いまそれやっちゃうと機械とか壊れるかもしれないけど、もう一つの……って言うのか、同じなのかも知れませんけど。そのスキルで、歌います。ここで亡くなったひとたちのために。フォーエバー・インマイハート」

 りりんが好きでよく歌っている、水希永美理の曲だ。前奏が始まったとき、またりりんが俺に視線をよこした。

 そこで気がついた。りりんは俺のために、死んだ親父のために歌ってくれるのだ。

「どーんなー、言葉がぁー、あなたーに、伝わるのかなぁー。多くーの時がすぎてーもーあなたは、そばで笑ぁーってる。forever in my heart疑うことなんてない、いつだって、少しの勇気があればー、forever in my heart」

 軽くて楽しい曲のはずなのに、ホールの中が静まりかえったような気がした。そして俺は、また胸が締めつけられるような気になった。

「ああ……」

 誰かが泣き声のようなため息をついた。気がつくと、珪子と彩乃と、エリカまでしゃがみ込んで顔を覆っている。やっぱり、りりんのスキルでみんな心をかき乱されてしまうのだ。俺も、いつの間にか頬が涙で濡れていた。

「あ、ごめんなさい。なんか……みんな、泣いちゃった」

 りりんもちょっと目を拭った。そして大きく息をつく。

「それじゃラストでーす! 珪子ちゃん、彩乃ちゃん! 出番だよ! 紗奈ちゃんもー! 行くよー! 『スプリンター、オブ、フェーアレス!』」

 りりんの出世曲、DQコミュニケーションのコマーシャルで使った歌だ。りりんの歌で麻痺していたようなスタッフのみんなも一斉に手拍子を始めた。陰鬱いんうつだった13のホールは、もうお祭り会場のような雰囲気だった。


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