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第十章 第7話「凶運の男、折れる」

 ライブの片付けを始めたところで、りりんが悲鳴のような声を上げた。

「どうしたの!」

「なに? なに?」

 何か出たのか、俺はハンマーをひっつかんでりりんのところに走った。

「りりん!」

 りりんはスマホを持って、涙を浮かべて固まっている。

「いま……」

 目に浮かんでいる涙を手でぬぐいながらりりんが言った。

「途中経過ですけど。スパチャ、一千万、越えました!」

 ホールの中が拍手と歓声でわき返った。

「わっ! わっ!」

 いきなりりりんが俺に抱きついてきて、俺はちょっとパニック。みんなが笑ってはやし立てるので、さらに恥ずかしくていたたまれない気持ちになった。かと言ってりりんを押し離すことはできなくて、中途半端ちゅうとはんぱに手を浮かせたまま俺は固まっていた。

「有藤さん……」

 やっとりりんの腕から解放されると、俺は台車を押す有藤さんを手伝ってホールから出た。

「きのう、この奥……20のあたりで。工藤明日香に、会ったんです」

「ああ? あいつ、またこんなところで何してやがった?」

 俺は、明日香にされたことを工藤さんに話した。話せるような相手はほかにいなかった。

「あのヤロー……」

 有藤さんは台車のハンドルを殴って明日香を罵った。

「本当にロクでもないヤツだな。まあ……命取られるよりはマシだが……それで今日は様子がおかしかったのか」

 有藤さんにまで気づかれていた。

「忘れろ……と言いたいけど、そうも行かないってか?」

 俺は、うなだれたまま頷いた。

「だからと言って、お返しに明日香にぶち込むわけにも行かないしな……」

 俺と有藤さんは、しばらく黙って歩いた。電動キャタピラ台車のモーター音だけがダンジョンの中で聞こえていた。

「待ってろ」

 やがて有藤さんが言った。

「俺が工藤明日香に思い知らせてやる」

「何をやるんですか?」

「あいつにはアキレス腱がある、牧原雅道ってヤバいアキレス腱がな……」

「あのひと……いま何やってるんです?」

「小さい芸能事務所にいる。どうもそこにも工藤明日香が関係しているらしい。執念ぶかいやつだから、またりりんに何かやるかも知れないからな。目を離さないようにしてた」

 有藤さんは、牧原正道を使って工藤明日香に何かをしかけるつもりらしい。

「あいつ今、ダンジョンバトルフィールドの立川でテストプレイやってるぞ。エンタメ業界のニュースに映ってた」

「ああ……あそこ、12月にオープンですね」

 そう言ってから思い出した。りりんと一緒に新宿バトルフィールドに行くことになっていたのだ。陥没騒かんぼつさわぎでそれどころじゃなくなっていた。

「工藤明日香に会って、何か言ってやりたいか?」

「……いえ」

 仕返ししてやりたい気持ちはあるけど、どうやっていいのか考えもつかない。女をぶん殴ることもできない。

「まあ、それが無難だな。やりあったところで異種格闘技いしゅかくとうぎな上に、向こうはルール無用の悪党だ。俺がちょっと仕掛けてやるから、おとなしくしてろ」


 翌日から有藤は行動を開始した。スマホの番号やメールアドレスは変っていなかったので、牧原雅道に連絡を取るのは何でもなかった。

「牧原さん。こないだエンタメの業界ニュースで見たよ。いまどこの事務所で仕事してるの?」

『いきなり、何なの? 有藤さん』

「またご挨拶あいさつだなー。美女付きベンツで連れて行かれて、そのあとどうしたのか気になってたところだったからさー。あの美人さん……工藤さんだっけ? あっちこっちで見かけるし」

『どこで?』

「ダンジョンで知ってる人が遭難そうなんしかけて、仕方ないから助けに行ったんあけどね。そこで見かけたんだ。なーんか危なそうな連中と一緒だったんで声かけなかったけど」

『どんな?』

 雅道が食いついてきたので、有藤は口の端で笑った。

「せっかくだからさ、会ってちょっと飲みながら話そうよ。いま忙しいの?」

『まあね』

 思わせぶりな雅道の返事を聞いて有藤は苦笑した。雅道に仕事なんかほとんど来ていないことは知っているのだ。

2日後に、有藤と牧原は四谷荒木町よつやあらきちょうの小さなバルでワインを酌み交わしていた。

「雅道さん、初台のマンション引き払ったんだって? いまどこに?」

「事務所が用意してくれて、ホテル住まいだよ」

「どこの?」

「言えない」

「いい待遇じゃないの。俳優復帰も近いんじゃない?」

「そう願いたいよ」

 雅道は自分でグラスにワインをドボドボ注いだ。

「例の、ベンツの、工藤さんがマネージャーなんだろ? 相当なやり手だと思うけどね」

「どうだか……今のところそこまで良い話しは持ってきてないね」

「実はね、雅道さん。こないだ電話で、その彼女にダンジョンで会ったって話したじゃない」

「ああ……」

「あれ、まだその後があるんだ」

「何なの?」

 そこで有藤はちょっと声をひそめた。

「彼女……マトリに見張られてるぞ」

「えっ?」

 牧原雅道の顔がわずかに引きつった。

「あのすぐあと……マトリの女性捜査員と会ってね。その人、前にダンジョンマッシュルームの調査で中を案内したことがあったんだ。あれは、明らかに工藤明日香をつけてた」

「どー、ゆうこと?」

 雅道は明らかに動揺どうようしていた。

「俺が知りたいよ。ただ、俺とあんたが工藤明日香に会ったのは。高琳寺こうりんじの、例の一件のときだ。俺たちがヤバい奴らに追いかけられていたとき、彼女が都合良く現れた。だろ?」

「ああ……」

 雅道が固い表情で頷いた。

「いま考えたら、あれは偶然なんかじゃない。工藤明日香はあそこを監視してたに違いない」

「……どうして?」

 有藤はちょっと首を振って、グラスのワインを飲み干した。

「ワインもうないよ。ハイボールでも頼むかい?」

「ああ……それより、それで……なんで彼女が?」

 有藤はバルの女主人に2杯のハイボールを頼んでから、難しい表情で言った。

「解らないのかい? 工藤明日香もそのすじの人間だからさ、高琳寺には日本人いなかっただろ? 外国マフィアがあそこで栽培をやっていたから、彼女はずっと監視していた。そこへ都合良く、俺たちが大騒ぎやらかして逃げ出してきたんだ」

 ワインの酔いで赤くなり始めていた雅道の顔から血の気が失せた。

「やばいよ……それ、やばいよ……」

「雅道さん。なんか心当たりあるの?」

 雅道はカウンターに置かれたシーバスリーガルのハイボールを、一気に半分ほど飲んだ。

「釘……でっかい釘、ダンジョンの中で壁に打ち込むのって……犯罪なのか?」

「ああ? 何だそれ?」

 タガネ打ちのことは知っていたが、有藤はすっとぼけた。

「ダンジョンの奧に入って、こう……壁とか天井におっきな鉄の釘みたいなものどんどん打ち込むんだ」

「やったの?」

 雅道は小さく頷いて、残りのハイボールを飲み干した。

「それでダンジョンが崩れた」

「はあ?」

 有藤は大げさに驚いて見せた。

「もしかして、立川で穴開いたアレか?」

 雅道は頷きながら女主人にハイボールのグラスをつき出した。

「あの……高琳寺? あそこで助けてもらった、あんたと一緒にいた彼だ。彼にまた助けてもらって……出たら、そこに、マトリの女もいたんだ」

「おいおい……」

 有藤もハイボールを飲み干して、女主人にお代わりを頼んだ。

「工藤明日香だけでなく、あんたも相当ヤバいことになってるじゃないか」

「いま……わかったよ」

「おせーよ」

「なあ……俺、どうしたらいい?」

 弱々しい雅道の言葉に、工藤は苦笑を隠すために手で顔を覆った。

「参ったね……こんなことなら声かけるんじゃなかった」

「頼むよ。助けてくれ」

「わかったわかった……ちょっと、マトリの人に相談してみる」

「俺の名前出すなよ!」

「当たり前だ! あんたもう、一回ガサ入れ喰らってるじゃないか。もう一発アレ絡みのスキャンダル出たら終わりだぞ」

『ホントに、肝っ玉ちっさい愚か者だ』有藤は腹の底でわらいながらハイボールをあおった。


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