ライブの片付けを始めたところで、りりんが悲鳴のような声を上げた。
「どうしたの!」
「なに? なに?」
何か出たのか、俺はハンマーをひっつかんでりりんのところに走った。
「りりん!」
りりんはスマホを持って、涙を浮かべて固まっている。
「いま……」
目に浮かんでいる涙を手でぬぐいながらりりんが言った。
「途中経過ですけど。スパチャ、一千万、越えました!」
ホールの中が拍手と歓声でわき返った。
「わっ! わっ!」
いきなりりりんが俺に抱きついてきて、俺はちょっとパニック。みんなが笑ってはやし立てるので、さらに恥ずかしくていたたまれない気持ちになった。かと言ってりりんを押し離すことはできなくて、
「有藤さん……」
やっとりりんの腕から解放されると、俺は台車を押す有藤さんを手伝ってホールから出た。
「きのう、この奥……20のあたりで。工藤明日香に、会ったんです」
「ああ? あいつ、またこんなところで何してやがった?」
俺は、明日香にされたことを工藤さんに話した。話せるような相手はほかにいなかった。
「あのヤロー……」
有藤さんは台車のハンドルを殴って明日香を罵った。
「本当にロクでもないヤツだな。まあ……命取られるよりはマシだが……それで今日は様子がおかしかったのか」
有藤さんにまで気づかれていた。
「忘れろ……と言いたいけど、そうも行かないってか?」
俺は、うなだれたまま頷いた。
「だからと言って、お返しに明日香にぶち込むわけにも行かないしな……」
俺と有藤さんは、しばらく黙って歩いた。電動キャタピラ台車のモーター音だけがダンジョンの中で聞こえていた。
「待ってろ」
やがて有藤さんが言った。
「俺が工藤明日香に思い知らせてやる」
「何をやるんですか?」
「あいつにはアキレス腱がある、牧原雅道ってヤバいアキレス腱がな……」
「あのひと……いま何やってるんです?」
「小さい芸能事務所にいる。どうもそこにも工藤明日香が関係しているらしい。執念ぶかいやつだから、またりりんに何かやるかも知れないからな。目を離さないようにしてた」
有藤さんは、牧原正道を使って工藤明日香に何かをしかけるつもりらしい。
「あいつ今、ダンジョンバトルフィールドの立川でテストプレイやってるぞ。エンタメ業界のニュースに映ってた」
「ああ……あそこ、12月にオープンですね」
そう言ってから思い出した。りりんと一緒に新宿バトルフィールドに行くことになっていたのだ。
「工藤明日香に会って、何か言ってやりたいか?」
「……いえ」
仕返ししてやりたい気持ちはあるけど、どうやっていいのか考えもつかない。女をぶん殴ることもできない。
「まあ、それが無難だな。やりあったところで
翌日から有藤は行動を開始した。スマホの番号やメールアドレスは変っていなかったので、牧原雅道に連絡を取るのは何でもなかった。
「牧原さん。こないだエンタメの業界ニュースで見たよ。いまどこの事務所で仕事してるの?」
『いきなり、何なの? 有藤さん』
「またご
『どこで?』
「ダンジョンで知ってる人が
『どんな?』
雅道が食いついてきたので、有藤は口の端で笑った。
「せっかくだからさ、会ってちょっと飲みながら話そうよ。いま忙しいの?」
『まあね』
思わせぶりな雅道の返事を聞いて有藤は苦笑した。雅道に仕事なんかほとんど来ていないことは知っているのだ。
2日後に、有藤と牧原は
「雅道さん、初台のマンション引き払ったんだって? いまどこに?」
「事務所が用意してくれて、ホテル住まいだよ」
「どこの?」
「言えない」
「いい待遇じゃないの。俳優復帰も近いんじゃない?」
「そう願いたいよ」
雅道は自分でグラスにワインをドボドボ注いだ。
「例の、ベンツの、工藤さんがマネージャーなんだろ? 相当なやり手だと思うけどね」
「どうだか……今のところそこまで良い話しは持ってきてないね」
「実はね、雅道さん。こないだ電話で、その彼女にダンジョンで会ったって話したじゃない」
「ああ……」
「あれ、まだその後があるんだ」
「何なの?」
そこで有藤はちょっと声をひそめた。
「彼女……マトリに見張られてるぞ」
「えっ?」
牧原雅道の顔がわずかに引きつった。
「あのすぐあと……マトリの女性捜査員と会ってね。その人、前にダンジョンマッシュルームの調査で中を案内したことがあったんだ。あれは、明らかに工藤明日香をつけてた」
「どー、ゆうこと?」
雅道は明らかに
「俺が知りたいよ。ただ、俺とあんたが工藤明日香に会ったのは。
「ああ……」
雅道が固い表情で頷いた。
「いま考えたら、あれは偶然なんかじゃない。工藤明日香はあそこを監視してたに違いない」
「……どうして?」
有藤はちょっと首を振って、グラスのワインを飲み干した。
「ワインもうないよ。ハイボールでも頼むかい?」
「ああ……それより、それで……なんで彼女が?」
有藤はバルの女主人に2杯のハイボールを頼んでから、難しい表情で言った。
「解らないのかい? 工藤明日香もその
ワインの酔いで赤くなり始めていた雅道の顔から血の気が失せた。
「やばいよ……それ、やばいよ……」
「雅道さん。なんか心当たりあるの?」
雅道はカウンターに置かれたシーバスリーガルのハイボールを、一気に半分ほど飲んだ。
「釘……でっかい釘、ダンジョンの中で壁に打ち込むのって……犯罪なのか?」
「ああ? 何だそれ?」
タガネ打ちのことは知っていたが、有藤はすっとぼけた。
「ダンジョンの奧に入って、こう……壁とか天井におっきな鉄の釘みたいなものどんどん打ち込むんだ」
「やったの?」
雅道は小さく頷いて、残りのハイボールを飲み干した。
「それでダンジョンが崩れた」
「はあ?」
有藤は大げさに驚いて見せた。
「もしかして、立川で穴開いたアレか?」
雅道は頷きながら女主人にハイボールのグラスをつき出した。
「あの……高琳寺? あそこで助けてもらった、あんたと一緒にいた彼だ。彼にまた助けてもらって……出たら、そこに、マトリの女もいたんだ」
「おいおい……」
有藤もハイボールを飲み干して、女主人にお代わりを頼んだ。
「工藤明日香だけでなく、あんたも相当ヤバいことになってるじゃないか」
「いま……わかったよ」
「おせーよ」
「なあ……俺、どうしたらいい?」
弱々しい雅道の言葉に、工藤は苦笑を隠すために手で顔を覆った。
「参ったね……こんなことなら声かけるんじゃなかった」
「頼むよ。助けてくれ」
「わかったわかった……ちょっと、マトリの人に相談してみる」
「俺の名前出すなよ!」
「当たり前だ! あんたもう、一回ガサ入れ喰らってるじゃないか。もう一発アレ絡みのスキャンダル出たら終わりだぞ」
『ホントに、肝っ玉ちっさい愚か者だ』有藤は腹の底で