目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第十章 第8話「りりん、俺を拉致る!」

 関東厚生局からエリカにメールがあった。

『海外からタガネを大量に取り寄せた会社あり』

 各地の税関に「犯罪に使用される可能性があるため、まとまった数のタガネが輸入された場合には知らせてほしい」と、厚労省から通知が出ていたのだ。そこへ横浜税関でタガネ千本の通関手続きがあったのだ。

 土山商事という、ほとんど活動の実績がない幽霊会社だった。それがいきなり外国から大量のタガネを取り寄せていた。明らかにあやしい。

 ダンジョンがらみの案件なので、ここはエリカの出番だった。エリカは男性の捜査官と二人組で大黒ふ頭だいこくふとう保税ほぜい地域に車を乗り入れ、問題のコンテナを監視する退屈な仕事に就くことになった。

「タガネが不足しているはずだから、できるだけ早く取りに来るはずです」

「どうしてわかるの?」

「ダンジョンで埋まって、かなりの数タガネが回収不能になったんです」

 幼稚園で園庭えんてい陥没かんぼつした事故は、ダンジョンの中で牧原雅道が乱暴にタガネを打ち込んだために起こった。そして、そのためにかなりのタガネが埋まってしまったのだ。

 エリカはその情報を有藤肇から知らされていた。エリカが予想した通り、もともと足していたタガネは市場にはほとんどなくなっていたのだ。

 車の中から監視を続けて二日目、関東厚生局経由でタガネの引き取り手続きがあったとエリカのスマホにメールが来た。神経をとがらせて待つことしばし、例のコンテナのそばにワゴン車が停まった。

 エリカは少し車を移動させて、男性捜査官が400ミリの望遠レンズをつけたカメラで引き取りに来た人物を狙った。

「この、茶色い上着の男。濱田って、密造組織のリーダーです」

 パソコンに転送された写真を見て、エリカはすぐにわかった。何度も顔を合わせて、そのたびに危険な目に遭わされた男だ。

「タガネは一度ダンジョンに持ち込んで、マナエネルギーを吸収させてからどこかに持ち出すはずです」

 動き出した濱田のワンボックスを追って、エリカはゆっくりと車を出した。


「なんで……こんなことになったの?」

 ホールの控え室で、俺はりりんに聞いてみた。

「知らない」

 りりんが首を振って答える。寄付金の目録を『子供ランドわかば幼稚園』に贈るのに、りりんは幼稚園に行って園長先生に手渡すだけだと思っていたらしい。

 それなのに、テレビや新聞や週刊誌の取材申し込みが次から次に来てしまったのだ。

 集まったスパチャは1千7百万ほど、ユーチューブと集計を委託したところへの手数料を引いても1千2百万円以上になった。

 考えてみたら、りりんはそんなことを自分のチャンネルで逐一報告していたのだ。芸能関係のマスコミには絶対にチェックされていたはずだ。

 それはそれとして、幼稚園には何社も記者やカメラが入れる広い部屋はないし建物はまだ安全確認の検査も済んでいない。考えてもいなかった贈呈式をどこでやったらいいのか、りりんは頭を抱えていた。

 それを見かねて俺がエリカに相談すると、エリカがテキヤの片勢さんに頼んでくれた。片勢さんが立川市役所に交渉して、立川市女性総合センターのホールを使わせてくれることになった。

 ダンジョンライブから2週間後、何とか無事に贈呈式を行うことができた。どこにも告知はしていなかったのに見に来た人はものすごい数で、ホールの中は通路までびっしり人で埋まっていた。

「つかれた……」

 中央線の中で、りりんがぼそっと言った。馬鹿でかいのし袋みたいな目録の包みを園長先生と一緒に持って、撮影が終わるまで何分も笑顔を浮かべて立っていたのだ。

 それから合同のインタビュー。それが終わると今度は幼稚園の職員さんたち一人一人と握手して記念撮影。

 前に聞いたけど、握手はりりんが一番苦手にしていたことだった。握手会が嫌でアイドルを辞めたいと思ったくらい嫌いらしい。

「ところで……何で東京行きなの?」

 手伝ってほしいことがあると言われてりりんについて来たのだが、りりんの実家は高尾だったはずだ。

「西荻に、あたしの隠れ家があるんです」

 キャップかぶってメガネにマスクをしてパーカーのフードをかぶって、暑苦しそうなりりんがもそもそした声で言う。

「隠れ家って、なんで?」

「朝早くて高尾からだと間に合わないときとか、家にいたくないときとか……」

 西荻窪の駅から歩いて10分くらいの、どこにでもありそうなワンルームマンションだった。

「入って。はやく」

 りりんが鍵でドアを開けて俺を手招く。女の子の家に一人で入るなんて、これが初めての経験だった。

「おじゃま……します」

 せまい廊下の左がキッチンで、反対側はお風呂とトイレなのだろう。部屋は俺の6畳より狭い。ベッドがあるだけ、他には引越センターの段ボールが4個。

「荷物……これだけ?」

「シャワー使って寝るだけだから、ここには着替えぐらいしかないの」

 りりんがマスクとメガネとキャップをベッドに放り投げながら言った。

「どこに引越するの?」

 りりんは冷蔵庫を開けて、困ったような顔で俺を見た。

「ごめんなさい、水しかなかった」

「別に、いいよ」

「こんどね……」

 りりんはペットボトルを出してきて床に置いた。テーブルもないのだ。

「朝のニュースワイドで、コメンテーターになって。週に2回、朝6時に汐留のスタジオに入らないといけないの」

 ペットボトルのキャップを開けて、一緒に持ってきたマグカップに注いで俺の前に置いた。マグカップは1個しかないらしい。

「コメンテーターって……ニュースの解説とか?」

「わかんない」

 りりんはペットボトルから直に水を飲んだ。

「話振られたら、二十歳ハタチの女性として言いたいこと言えばいいんだって。半年契約なんだけど、バカなこと喋ったらクビにしてくれるかな?」

「イヤなの?」

 りりんはちょっと肩をすくめた。

「なんだか、まだ……アイドルタレントって扱いだし……」

 りりんは楡坂にれざか46にいた時がアイドル、独立してバラエティータレント。そして今ようやく念願だったソロ歌手にランクアップしたところだ。それを認めてもらえないのがくやしいのだろう。

「ここ……もう契約切れるし、朝の4時に高尾まで迎えに来られるのも嫌だし……そしたら、白鳳堂はくほうどうで社員寮みたいににしてるマンスリーが空いてるから、そこ使っていいって言われて」

「なんで……白鳳堂が?」

 聞くとりりんも首を傾げた。

「DQの契約続いてるあいだは、何でも白鳳堂に話し通さないとダメみたいなの」

「マンスリーって、どこにあるの?」

赤羽橋あかばねばしだって」

「池袋の、先?」

「違うと思う」

 なんだか、やけにりりんのテンションが低い。いつもの眩しいりりんオーラも感じられない。マジで疲れてるのだろうか。

「もしかして……調子悪い?」

 りりんはちょっと首を振った。

「あたしは……蟹沢りりんは、もともとこんな暗い女なの」

 だとしたら、死んだ下のお兄さんに無理やり仕立て上げられた『輝沢りりん』は……。

「輝沢りりんは……もしかして、作ってるの?」

「そう」

 あの、元気いっぱいでものすごいテンションのりりんは全部演技なのか。りりんが「ぱたん」と、倒れるようにラグの上に横たわった。

「テレビでも。もう、家でもずっと輝沢りりんやってなくちゃいけないんです……」

 寝転がったまま、りりんが俺を見上げて言う。

「もう、やめたい……でも、やめたくない……」

 りりんが素の自分でいられるのは、このワンルームの中だけと言うことなのか。

「せっかく……歌手で人気出てきたところだしね」

 ちょっと部屋を見回しながら俺は言った。ここはとても人気アイドルタレントの部屋とは思えない、ほとんど何もないのだ。クローゼットの中も、もうぜんぶ箱詰めされたのだろう。空っぽだ。

いったい俺は何のために呼ばれたのだろう。

「俺……何したらいいの?」

「すること、なんにもありません。ただ……二人だけで、話したかったの」

 りりんに見つめられながらそう言われて、俺は心臓がバクバク鳴った。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?