ダンジョンバトルフィールド立川が呼んでくれたタクシーで、俺とりりんは控え室にしていたホテルを離れた。りりんはずっとアイアンディアスXのことを怒っている。
アイアンディアスXの牧原雅道は、りりんが出てくる前にさっさと着替えて立ち去ってしまったのだ。どうやらそのことを施設のスタッフがSNSに投稿したらしくて、牧原雅道に対する非難が凄いことになっている。
「信じらんない、普通あれで帰っちゃう?」
確かにりりんは「ディアスさんは行って!」と言ったが、普通はエントランスとかで待っているだろう。さっきまで一緒にいた女の子がまだ危険な状態なのだから。
そんなことを考えているうちに、タクシーは空吹硝子工芸についた。
「ありがとうございました。ここでいいです」
りりんはボールペンで何かの紙に書き込んで、それを運転手さんに渡した。
「え?」
ウチの前でりりんも降りて、タクシーは行ってしまった。
「さっきの、なに?」
「タクシーチケット。ダンジョンバトルフィールドに請求が行くの」
タクシーなんか縁がない俺は知らないことだけど、りりんにとっては普通のことなのだろう。
「これで……りりんは、どうするの?」
「適当に帰ります」
そう言うと、りりんは俺の手を引いて工房に入っていく。
「あ! りりんさん!」
日曜なので、工房では彩乃が仕事をしていた。
「彩乃ちゃん、ひさしぶりー!」
佳子も出てきて、一気に工房の中が賑やかになる。
「あ……何か、佳子ちゃんに抜かれたくさい」
急にりりんが深刻そうな声で言う。
「なにが?」
「ほら」
佳子と並んで、りりんが頭の上に手をかざした。手のひらの厚みくらい、佳子の方が背が高くなっている。そして佳子はこれからまだ背が伸びるけどりりんはもう伸びない。
「あたしもう、中学生以下」
「まあ、背だけじゃないけど……いてっ!」
うっかり口にして、りりんに足を踏まれた。りりんはアスリートみたいな体だから、胸もお尻もぜんぜんないのだ。それに今日はグレーのスウエット上下だから色気も全然ない。
「あ、お母様。圭太さんにはお世話になってます。輝沢りりんと申します」
おたおたしている母に挨拶すると、りりんは突然恐ろしいことを言い出した。
「ね……圭太さんのお部屋、見たい」
「え? いや……ちょっ、そんな……」
俺はもの凄く焦った、部屋の隅に積んである段ボールにはエリカの『あれ』が入っているのだ。何だかんだでまだ材料にしそびれて、エリカの胸と危険な部分の型取りのままだった。
『今度こそ。絶対、処分しないと……』
優柔不断だったのを激しく後悔した。
「お茶とか、持って来なくていいから」
母と佳子にそう言って、自分でペットボトルを2本持ってりりんを2階に案内した。
「メチャクチャ散らかってるぞ」
でも、高校生のそれなりに普通の部屋だと思う。たぶん。
「圭太さん、キモオタじゃないから平気」
「まあ、フィギュアなんかはないけどさ……りりんは、キモオタ嫌いなの?」
りりんのファンにも絶対ヲタがいるはずだ、ユーチューブのダンジョンライブじゃ同時接続が22万人いたくらいだ。ダンジョンバトルフィールド立川の前に集まった連中も、ほとんどがりりん目当てで来たのだと思う。
「ファンのひと……嫌いたくないけど」
俺に対してはぜんぜん普通なので時々忘れるけど、キモオタ以前にりりんは男性がダメなのだ。
「何か……これバレたら俺、りりんのファンに殺されるんじゃないか?」
「圭太さんがどっかに書かなかったらバレないよ」
かなり渋々だったけど、部屋のドアを開けてりりんを招き入れた。
「ぜーんぜん、キレイじゃないですかぁー!」
りりんが大げさに声を上げる。まるで何かの実況みたいだ。ドアを閉めると、部屋の真ん中でりりんが両腕を拡げて俺を見つめてきた。
抱き合って、キスして。りりんの体がミシミシ音を立てそうなほど強く抱きしめた。りりんは俺の肩くらいまでしか背がないから、キスの時はつま先立ちになる。それがもう、たまらなく可愛い。
「圭太さんの声聞いたら……もう、大丈夫だって、思った……」
俺の胸に顔を埋めながらりりんが言う。
「もう……りりんが心配で心配で。止めようとした人、何人か蹴飛ばして入ったんだ」
「嬉しいけど。あたしのためでも、乱暴なことしちゃダメ」
ダンジョンでもっと乱暴なことをしたのはりりんだけど。りりんの頭に顔を埋めて、りりんの髪の匂いをたっぷり吸い込んだ。もう、俺の心臓は限界までバクバクしている。
「圭太さん、クリスマスの予定は?」
そんなもの、あるはずがない。
「別に……ないよ」
「それじゃ、あたしが予約していい?」
「うん……」
そう返事をしたけど、すぐに『プレゼントをどうしよう』と考えてしまった。スライムガラスペンダントが売れまくったおかげで、ちょっとは自由になるお金がある。
でも3歳年上で、しかも現在人気出まくり中のタレントに何をプレゼントしたらいいのだろうか。俺はぜんぜんわからない。
「プレゼント、リクエストしてもいい?」
俺の考えを見透かしたみたいにりりんが言った。
「うん……」
何をリクエストされるのか、俺はかなりビビりながら答えた。
「あたしのためだけに、スライムガラスで何か作って」
お安い御用だけど、何を作ったらいいのだろう。しばらくそのまま抱き合っていると、部屋のドアが遠慮がちにノックされた。
「お兄ちゃん……」
佳子のささやくような声。ドアを細く開けて、隙間から顔だけ覗かせた。
「なに?」
「御崎さん、来てるよ」
佳子がささやき声で言って、俺は胸の中でうめき声を上げた。今のはりりんには聞こえなかったはずだ。
「すぐ行くから。待っててもらって」
何となく気が引けて、りりんには『ちょっと待ってて』とだけ言って下に降りた。
「エリカが……りりん来てるの、知ってるはずないよな……」
それに知ってたとしてもエリカは気にしないような気がする。
もう外は10℃以下の寒さなのに、エリカは相変わらずミニスカだった。黒いタイツにショートブーツ、普段着なのにりりんよりエロい。
「地下で見たこと、詳しく話して」
エリカは挨拶もなしで、工房の椅子に腰を下ろしてそう言った。
「詳しいことは知らないよ」
「あんたが見たことだけでいい」
「あの、大クモみたいなのがB2の駐車場まで上がってきてた。棚とプランターを置いていたのはB4なんだけど。そこ、B3のマンホール開けてじゃないと入れない」
「なんで大クモは駐車場まで上がってきたの?」
「理由はわからないけど、下からプランターを運び出したからじゃないかな? 非常階段にもB2にも、プランターいっぱい落ちてた」
「あわてて運びだそうとしたのかな?」
俺はちょっと肩をすくめた。
「ドアにも挟まってたし、そんな感じするね」
「りりんは大丈夫なの?」
不意に話題を変えられて、俺は一瞬動揺した。
「大クモ見て恐がってたけど、最後とび蹴り入れてた」
エリカが表情を変えないでちょっと笑い声を出した。
「牧原雅道は?」
「わからない。駐車場から出て行って、俺とりりんが出てくる前に帰ったらしい」
エリカが鼻でため息をついた。
「キノコが出ちゃったから逃げたんだね。爽快なまでのクズね」
「やっぱり……証拠、運び出したのかな?」
「そうとしか考えられないわね。来週にも捜査入るはずだったけど、ムダ足になるわ」
エリカはため息をついて手で髪をかき上げた。そしてチラッと俺を見上げた。
「歌舞伎町、こんど客で入って地下まで探る。手伝ってくれる?」
ダンジョンバトルフィールド新宿の地下、りりんは『ダンジョンのニオイがする』と言っていた。俺とエリカは外から見ただけだけど、やっぱり何か怪しい感じがした。
「いつ?」
エリカはスマホをちょっと操作した。
「今月は予約で一杯だわ……りりんに頼めない?」
「え?」
マトリの操作にりりんを巻き込むのは気が進まなかった。りりんは一緒に行くと言うに決まっている。
エリカにダメだということもできないので、2階にいるりりんにラインで聞いてみた。
『いま、下にエリカが来てて。バトルシールド新宿の中調べたいって。今月は予約いっぱいだけど頼んでもらえないかな?』
すぐに返事がきた。
『来週の木曜でよければ頼んでみます』
曜日を指定してきたと言うことは、その日りりんはオフなのだろう。
「来週の木曜で頼んでみるって」
「木曜か……とりあえず一日空けておくか……そこ、お願いね」
「……わかった」
エリカはスマホをショルダーに入れて立ち上がった。
「ダンジョンにタガネを打ってマナを抜く実験、今度役所の主導でやるそうよ。ダンボに協力の要請が行くだろうから、あんたの仕事が増えるかもね」
マナエネルギーを吸い込んだタガネをダンジョンから持ち出せば、ダンジョンのマナ濃度が下がって広がりが止まる。確かそんな話しだった。
「そう言えばりりん、幼稚園の名誉園長になったんだっけ?」
「うん」
幼稚園のグラウンドがダンジョンで陥没して、修理をする工事の資金をりりんがライブで集めた。その贈呈式で確かにりりんは『名誉園長』の賞状みたいなものを貰っていた。
「年明けの、
「うん。なんか……そんな感じ」
りりんの芸能活動が順調なのは良いことなのだけど、りりんが有名になればなるほど俺が感じるプレッシャーは激しくなる。
エリカを見送って、俺はりりんがいる2階の部屋に戻った。
「りりん、入るよ」
「はーい」
ドアを開けて俺は硬直した。りりんが、ベッドの上で、俺の制服用ワイシャツを着てちょこんと座っている。慌てて後ろ手にドアを閉めた。
「なに……やってる……」
「ごめんね。彼シャツって、やってみたかったの」
りりんがシャツの胸元を引っ張り上げながら言った。胸元の、鎖骨の下まで見えているからりりんはその下にはブラしかつけていないらしい。
そして俺とりりんは体格差がありすぎるから、もの凄い萌え袖になっている。胸元を引っ張ったはずみでシャツの裾が割れて、その奧に銀色の危険な物が見えてしまった。
「でもホントは。彼シャツって、した後でやることだって」
りりんが無邪気そうな笑顔を浮かべた。
「だいじょうぶ。お母様と妹ちゃんがいるところで、『しよう』なんて言わないから」