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28:吸血鬼、攻める

 ファリエは吸血鬼と人間が (一応の)共存社会を築き上げた後の年代に生まれた、疑似血液ネイティブ世代である。

 よってティーゲルの血を吸う羽目になってはいるものの、彼を飲食的な目で見たことは一度もない。それに彼は食べるよりも、ちょっと離れた場所から鑑賞している方が、精神と目の保養にいい気がするのだ。近すぎると大声にビックリするので、その距離感が難しいのだが。


 吸血鬼は血液の風味から、その本体の様々な事情を察知することが出来る。

 本体もとい血の持ち主の年齢や健康状態によって味が変わって来る、という程度ならば人間の中にも知っている者はそこそこ存在する。

 だが実際は、血液からはより詳しい情報も読み取ることが出来るのだ。たとえば性別や精神状態、疾病の有無あるいは服薬状況など。


 もちろん、持ち主の食生活も味で判別可能である。


 だからファリエも初めてティーゲルを吸血した時から、ある違和感を覚えていた。甘美な味わいの後に残る、それとは相反した空虚な風味を。

 だが彼女は疑似血液ネイティブ世代のため、生き血を吸ったのはほぼ初めてだ。違和感の正体に確たる自信もなく、また本人が気弱な性分のため、ティーゲルの私生活に踏み込むことへの躊躇ちゅうちょもあった。


 その踏み込みを実行するチャンスは、案外早く訪れた。

 アルマたちに相談してから二日後の夜、秋祭りでの人員配置計画を見直すため二人で残業することになったのだ。第三部隊のメンバーから急遽欠員が出てしまったため、その穴埋め案を考える必要があった。


 なお欠員の原因は、ある男性隊員が酒に酔って階段から転げ落ち、足を骨折したためだ。目下もっか入院中の当人は、

「当日、せめて本部で迷子受付をしますので! ほんっとすみません! もう二度と、深酒しませんからぁぁー!」

と平謝りであったという。お見舞いに訪れたのが鬼畜の異名を持つシリルなので、それも当然かもしれない。


 窓の外はとっぷりと日が暮れた中、隣の大部屋も消灯し、執務室の灯りだけを残したまま、二人で隣り合った机に座っていた。以前は間に置かれていた書棚も、模様替えによって壁際に移動済みだ。

 魔道具によって室内は適温に保たれているため、窓を閉め切っていても暑苦しさなどはない。

 ファリエは平常運転で参考資料の抜粋を行い、ティーゲルは死相の出た顔でペンを走らせる。


 が、途中でとうとう、彼の集中力が切れてしまったらしい。放り投げるようにペンを手放し、両手を上げて後ろへのけぞる。そのまま大きく伸びをする様子に、ファリエもつい笑った。

「今日はそろそろ、この辺りで切り上げますか?」

 これ以上無理をしたところで、ろくに作業が進まないと思えた。そう提案すると、ティーゲルがのけぞったままこちらを向き、太い眉をへにょりと下げる。


「……そうしてくれると、非常に助かる。ファリエ嬢には長々と付き合ってもらったのに、面目ない」

「いえ、そんな、わたしも関係してることですしっ。それに全体を見直そうと思ったら、ちょっと残業しただけじゃ絶対間に合いません。明日までかかって当然です!」

 あわあわと両手を振って励ましてから、こてんと首を傾げた。

「そういえば隊長、カーシュ議員の警備を担当するんですか?」

「うむ、そうだな……出来れば避けたいんだが……」

 苦い表情で、ティーゲルも首をひねった。


 州議会の議員であるカーシュ女史が、今回の秋祭りに出席する予定となっている。

 彼女は一般住民からの人気は非常に高い反面、相手がどれだけ権力や財力を持っていようとも、不正の疑いがあれば容赦なく噛みつき徹底的に掘り返し、場合によっては再起不能になるまで叩きのめす気質の持ち主だった。

 そのため政界には味方と同じくらい敵も多いらしく、警備計画は平年以上に念の入ったものになっているという。


 そして武官の中でも特に優秀なティーゲルを彼女の身辺警護に就けたいというのが、団長ら上層部の希望であった。実際、わざわざこの執務室にまで訪れて、直接彼を勧誘することもあった。

 もちろん身辺警護を担当しようものなら、更に雑務が増えることは目に見えている。ティーゲルも現状は、断固拒否の姿勢を貫いたままである。人員配置の計画も、彼を市内警備に割り当てた場合の構成になっていた。


「最悪の場合、シリル殿辺りを生贄にしてでも、俺は身辺警護から外れたいつもりだ」

 姿勢を正して真っすぐ前――つまりシリルその人の空っぽの机を見つめたまま、ティーゲルは非常に凛々しい顔で宣言する。はぁ、とキレの悪い相槌を打ったファリエの肩が脱力した。

(なんて殺伐とした上下関係なんだろう……)

 とはいえ普段はシリルの方が、血も涙もない所業を行っているので、ファリエもティーゲルの人でなし宣言を聞き流すことにした。

 だが一つだけ、どうしても気になることがあった。


「副隊長も、どちらかというと……上に噛みついちゃうタイプですよね?」

「ああ、思い切りそうだな。俺も毎日噛みつかれているし、団長もこの前泣かされていたな。あれは不憫だった」

 束の間、ひげ面のクマのような団長の号泣する姿を想像してしまい、ファリエは申し訳ない気持ちになった。

「あらまあ……でもそれって、同じタイプのカーシュ議員とは、相性が悪いような?」

「うむ。だが似た者同士ということで、意外と意気投合する可能性もあるのではと――」


 ここで二人は沈黙し、まだ見ぬカーシュ議員と結託するシリルの図を想像した。これもあまり、いい結果にならない気がする。主に、自分たちにとって。

 ティーゲルも同じ感想だったらしく、思い切り渋い顔だ。

「……駄目だ。やっぱり今日は帰って、また明日練り直そう。今は墓穴を掘りまくる自信しかない」

「それがいいですね……お墓を埋め直すの、きっと大変ですし」


 しみじみとうなずいたファリエは、訊くなら今しかない、と即座に判断した。両手を握りしめ、柄にもなく彼へと身を乗り出す。

「あ、あの、隊長っ!」

「うん?」

「と、ところで、なのですが、今日のお夕飯は、何を食べる予定です、か!」

「夕飯……?」

 彼女の勢いに気圧けおされたティーゲルは、しばしぽかん、と彼女を見下ろす。しかしすぐに、ほんのり困った表情に変わった。


「今日は疲れたから、軽く食べてこのまま寝るつもりなんだが」

「でっ、でもっ! 今日もお昼、ちゃんと食べてないですよね!」

「うっ」

 痛いところを全力で突かれ、ティーゲルの全身が露骨に強張る。ファリエはアルマのアドバイスを思い出し、アホと罵る代わりに彼を事実で追いつめた。


「食堂にも最近は顔を出さないって、他の方からも聞いてます。以前は寮食があったけど、今は自炊しなきゃいけないとも」

 ファリエは悲しげな表情を浮かべ、ついと伏し目になる。

「それにホウレンソウとお惣菜だけなんて、やっぱりちゃんとした食事じゃないと思います……きっと隊長、今日だけでなくてお夕飯も、いつも手抜き……いえ、まともに栄養があるお料理を食べてない、ですよね?」


 ティーゲルは唇を噛んで無言のまま、どこか気まずそうにうなだれた。視線も斜め下に固定されており、どうやら図星のようである。

 ファリエは一つ息を吐いて、彼にとどめを刺すことを決める。

「わたしたち吸血鬼は、血の味で相手の色んな情報が分かるんです。年齢とか性別とか健康状態とか……もちろん、普段どんなものを食べてるのかも」

「へっ?」


 ギョッと目をむいたティーゲルが、跳ねるように顔を上げてファリエを見る。たしかにあまり、気持ちのいい話ではないだろう。血を吸わない人間なら不気味に思うかもしれないので、ファリエも極力言いたくなかった。

 だが彼には、荒療治が必要である。ファリエは心を鬼にして、彼の性根を叩きのめそうと決意していた。元々、吸血”鬼”ではあるが。


「隊長の血液は、今はまだ健康で運動もしっかりされてるので、とても美味しいんですが……後味にアルコールや、安っぽい油の香りが混ざっちゃってます。お家での普段のご飯、お酒やおつまみで済ませてませんか?」

 猫目をまん丸にしたまま、ティーゲルはしばし固まっていた。ファリエも精一杯怖い顔を作って、彼の返答を待つ。相変わらず、その目は潤んでいるけれど。


 ややあって、彼はゆるゆると諸手を上げた。

「ファリエ嬢の味覚はすごいんだな。その通り過ぎて、絶句なのだが」

 上げられた両手は、降参という意味らしい。

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