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32:二人で晩ご飯を

 吸血鬼にとって人間は、前時代であれば食料兼敵対種族、現時代においては奇妙な隣人という感覚が一般的である。

 人間たちのコミュニティは観光目的で訪れる場所であり、住処に最適ではないと考えられているし、実際ファリエの家族も彼女が人間社会に出たいと言い出した際には「こいつ正気か?」と言いたげな顔で驚愕していた。いや、実際に「何か嫌なことでもあったの?」と訊かれていた。

 ともあれ保守的・排他的というよりも享楽的なノリで生きている種族のため、反対されたわけでないのは救いだった。


 故郷では変わり者扱いだった、というファリエの言葉で、吸血鬼コミュニティで浮きまくる彼女の姿を想像したらしい。ティーゲルも咀嚼中のレタスを飲み込んでから、くつくつと笑った。

「そうだったのか。俺としては、君がここに移住してくれたことに感謝しかないよ」

 言葉と共に細められた琥珀色の目も優しげなので、ファリエは頬を赤らめてぱくり、と自分のパスタを口に運んだ。うん、よく出来ている。


 ティーゲルは、照れ隠しでパスタを凝視するファリエをしばらく眺めていたが、不意にフォークを置いて身を乗り出す。

「ちなみに、なのだが」

「はっ、はい」

「吸血鬼にとって害になる、人間の食事はあるのだろうか? 無知ですまないが、君に何かあっても困るので、もしあれば教えてくれ」


 慌てて顔を跳ね上げれば、ティーゲルは真剣そのものの表情だ。ファリエもあわあわとフォークを皿の縁に引っかけて、姿勢を正す。

「そうですね……ニンニクは、あまり得意でないかもです。人間の皆さんが知ってる昔話のように、ニンニクで死んじゃったりはしませんが、一片食べれば間違いなくお腹を壊しちゃいますね。あ、もちろん、少量なら大丈夫です」


 とはいえ吸血鬼の本能としてか、ファリエもニンニクの香りにはあまり魅力を感じない。あってもなくても同じ、程度のスパイスである。

 ティーゲルはあごに手を当てて、眉間を寄せた。

「ふむ。昔話も案外馬鹿に出来ないのだな……それじゃあ次から、隊内でバーベキューをする時はニンニク抜きのソースも用意するようにしよう」


 先月第三部隊の面々でバーベキューを行った際、ファリエは自前のハーブソルトを使っていた。

 浮かれたパーティーピープル要素のない、ただひたすら河原で肉を焼いて食べるだけの、ある意味ストイックな行事だった。おかげで内気なファリエでも満喫出来たものの、ソース味の肉も楽しめるならなお嬉しい。手を合わせ、彼女もはしゃぐ。

「ありがとうございますっ」

「いや、こちらこそ気が回らなくてすまなかった。他に何か、苦手なものはあるか? 例えば食事以外に、甘い菓子などは」

「あ、そっちは全然問題ないです」


 ファリエはフルフルと、小さく首を振った。

 アルマや他の女性隊員と連れだって、休日にカフェ巡りをすることもある。紅茶とケーキは、好物の部類に入るだろう。


「わたしたち吸血鬼にとって、バーベキューのお肉もお菓子も全て嗜好品になるんです。なので体に合わないニンニク以外は、どれも好きですね」

「肉もケーキ扱いなのか。なんとも豪快だな!」

 人間にとっては大雑把過ぎる仕分けであったらしい。ティーゲルが弾けるように笑った。住宅街にある安普請やすぶしんのアパート内なので、本部にいる時より控えめな笑い方だ。

 おかげでファリエもびっくりすることなく、ふにゃりと笑い返せた。


「そうですね。この前隊長からいただいたコロッケと、本部の裏手にあるケーキ屋さんのケーキが、わたしたちにとっては同じぐらいご褒美なんです」

 裏手にあるケーキ屋とは、ギデオンが魔道具の隠ぺい工作に使っていた、あのクッキー缶の出所である。もちろんケーキ屋には何の落ち度もないし、クッキーもとびきり美味しい。


 ここのケーキや焼き菓子は、団員のみならず団全体でも贔屓にしている。本部を訪れる来客者へ振舞うためや、どこかを訪問する際の手土産として購入することも多いのだ。

 そのため本部でも余ったクッキー缶が備品入れに使われることは多々あり、そんな貧乏性が巡り巡ってギデオンの小悪事にも使われたのだろう。


 こういった背景があるので、ティーゲルもケーキ屋については詳しいらしい。店が話題に上がると、頬杖をついて口角を持ち上げた。

「あの店か。あそこのケーキは、たしかにうまいな」

「ですよね! わたし、ブドウのタルトが一番好きで。なので今から、秋が楽しみなんです」


 ブドウのタルトは季節限定の商品である。毎年、秋祭りの開催時期に合わせて期間限定で販売される、と以前聞いたことがあった。

 昨年初めて食べた時に味わった、ブドウの瑞々しさとカスタードクリームの控えめな甘さを思い出し、ついファリエの顔がだらしなくニヤける。


 己が美少女だという自覚を一切持たないニヤけっぷりに、ティーゲルも吹き出しそうになって空咳でごまかした。

「んんっ――あのタルトは、うん、うまいな。甘さも程々だから、俺も好きだよ」

「ほんとですかっ。それじゃあ秋祭りが終わったら、みんなでお茶会したいですね」

 ふと思いついたアイデアを口にすると、ティーゲルの目と口が丸く開かれた。


「お茶会? 第三部隊で?」

「はい。好きなお茶やお菓子を持ち寄って。楽しいと思います」

 ファリエは何度もうなずく。このせせこましい自宅内でも、女友達とお茶会をすることはままあった。他の同僚たちと開いても、きっと楽しいだろう。何よりバーベキューよりも安上がりで、室内なら日光の心配も少ない。


 しかしティーゲルは腕を組み、小難しい表情を浮かべる。

「俺たちはむさ苦しいから……一緒に食べたら、お茶やケーキがまずくならないか? いや、食欲が湧かないんじゃないか?」

「そんなこと、きっと、ないです。お菓子は可愛いですから、お菓子を食べる人も可愛くなりますよ」

 どちらかというとティーゲルは目の保養になる、という事実を本人に伝えるのは恥ずかしいので、別の主張を行った。


 瞬間、ティーゲルが再度声を上げて笑う。

「俺にもまだ、可愛くなれるチャンスが残っていたか!」

「はいっ。隊長も、副隊長もタルトを持てばみんな可愛いです」

 自分で言っておいて、シリルが可愛くなる可能性は見いだせなかったものの。


「可愛いシリル殿は――怖いもの見たさで、非常に気になるな……見ると呪われそうな気もするが」

「副隊長もさすがに、呪いは守備範囲外だと思い、ます……たぶん」

 両手の指をこねつつの尻すぼみな語尾に、ティーゲルも小さく噴き出した。

「たしかにシリル殿は、呪うより実力行使に出そうだ――室内なら雨の心配もないし、お茶会もいいかもしれないな」

 案外ティーゲルは前向きであった。このノリの良さは、吸血鬼のコミュニティでも如才じょさいなく生きていけそうなレベルである。


 その後は食事を再開しつつ、お茶会を前向きに検討中のティーゲルにお勧めのカフェや焼き菓子の店を紹介しながら、夜は更けていった。

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