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57:なぜ飴なのか

 ファリエは魔術の申し子と呼ばれる、吸血鬼だ。幼少期から魔術の研鑽けんさんに励んでおり、持って生まれた魔力量も膨大だ。

 そんな彼女でも、無理なことはある。例えば大量の氷柱つららを射出するような恐ろしい魔術が発動寸前の状態で、それを完全に防ぐ障壁を作る、など。術式を構築する時間が、どう頑張ろうとも全く足りないのだ。


 だからファリエは頭で考えるよりも早く、直感で次善策を選んだ。もっと簡単で、もっと素早く構築できる薄っぺらい障壁を、二重三重に張る手段だ。更に自分が飛び出し、カーシュ議員と――そしてティーゲルの盾になるのだ。


 彼女の次善策は、ほぼ成功だった。氷柱は女性店員めがけて飛んできたが、その前に張り巡らされた障壁とファリエの体によって食い止められた。女性店員の目の前にいる、カーシュ議員たちも無事だった。


 カーシュ議員たちの前に立ったファリエの肩と腹部、そして大腿部には太い氷が深々と刺さる。幸か不幸か、障壁のおかげで体を貫通することはなかった。ただ中途半端に刺さっているため、とんでもなく痛いし、とんでもなく体が重くなったが。

(氷って、重いのね)

 そんな馬鹿なことを考えながら、へたりと膝をついた。痛みで意識を失う寸前だが、それでも魔術だけは維持する。


「ファリエ嬢!」

 すぐ真後ろで切羽詰まった声がして、そのまま背中を支えられた。顔は見なくても、声と体温でティーゲルだと分かる。ならば、伝えなければ。

「たいちょ、術式、書きか――」

 しかし口から出た声は、自分でも驚くぐらい弱々しいものだった。しかも内臓のどこかも傷ついたらしく、途中で真っ赤な血も吐いてしまう。

 盛大な吐血に、自分の背後で誰かが息を飲む気配もした。


 だがティーゲルは、有事には恐ろしく肝が据わっている。惚れた相手の串刺しならびに吐血っぷりにも慌てず、彼女の言いたいことを瞬時に読み取ってくれた。

「術式が故意に書き換えられている! 来るぞ!」

 重傷のファリエですら思わずびくつくような大声で、戸惑う護衛班に喝を入れる。場慣れした彼らもすぐに表情を引き締め、もう一人の魔術師がファリエの代わりに障壁を構築し始める。新しい障壁を知覚し、ホッとしたファリエが自分の魔術を中断させた。


 日傘を握りしめる力すらない彼女に代わって、ティーゲルが日傘を持ちつつファリエを担ぎ上げるのと、無人の屋台や大きな木箱の中から人が飛び出して来るのは、ほぼ同時だった。飛び出して来た悪辣な表情の面々は、揃って武器を構えている。

「議員、こちらへ!」

 ティーゲルの声に、カーシュ議員と秘書がハッとする。秘書はカーシュ議員を背に庇いつつ、ティーゲルに続くよう誘導した。そして議員も、真っ青な女性店員の手を引きつつあわあわと走る。議員を狙おうと向かう乱入者たちは、残る警護班が食い止めた。


 ティーゲルと秘書は魔道具を起動させた女性店員を、何度かちらちらと振り返っている。血まみれのファリエがその気配に気付き、吐血にだけ気を付けつつか細い声で、ティーゲルにそっと言い添えた。

「あの魔術、発動者に、氷が飛び、ます」

 つまり魔道具を起動した彼女こそが、最も危険な立ち位置にいたのだ。武器を持った連中の仲間という線は薄いだろう。それよりも、屋台の準備中に魔道具をすり替えられた可能性の方が高そうだ。


 とぎれとぎれのファリエの言葉で、ティーゲルもそこまで理解してくれたらしい。

「……ふむ、分かった」

 まだ警戒の色は残したままだが、一応は小さくうなずいた。


 ティーゲルは少し離れた屋台の内部の、日の差し込まない場所にファリエを下ろした。そして顔を覗き込む。

「ファリエ嬢、大丈夫か? まだ意識はあるか?」

 ようやく拝めた彼の顔は、見たことないぐらい真っ青になっていた。さすがに平静を装う余裕も擦り切れてしまったらしく、なんだか泣きそうにも見える。彼の方がこのまま、先に死んでしまいそうだ。

 だから彼を励ましたくて、ファリエは弱々しくも微笑んだ。


「吸血鬼は、頑丈、なので。これぐらいじゃ、死にませ――」

 と言いつつ、またゲボッと吐血した。ファリエは自分の血は、さほど美味しく感じないらしいという新たな気付きを得た。一生役に立ちそうにもない気付きである。

「全く信用できないんだが! 頼むから死ぬな! 飴ちゃん買ってあげるから!」

 とうとうティーゲルの目尻にも涙がせり上がっているし、むちゃくちゃなことを言い出した。かなり切羽詰まっているらしい。


 議員の腹心である秘書も、この非日常過ぎる光景には震えっぱなしだった。しかし彼も、それなりに腹が据わっているらしい。力の入らない自分の両太ももを、思い切り平手で打ち据えた。次いで立ち上がる。

「私、治療院を呼んでまいります!」

 カタカタと歯を鳴らしていた女性店員も、青ざめたままそれに続いた。

「で、伝声器でんせいきの場所、案内しますね!」

「すまない、頼んだ!」

 この状況下で彼女を疑っている場合ではない、と判断したらしい。ティーゲルも上ずった声で、女性店員の提案を飲む。そして公衆伝声器まで走る二人を送り出した。


 自分を支える彼の胸板へ、ファリエはどうにか持ち上げた日傘の柄を押し付けた。次いで珍しく潤む、琥珀色の猫目を見つめる。ツンと尖った鼻先も赤くなっており、なんだか可愛らしい。ファリエは彼の、時折こうやって垣間見える幼さが大好きなのだ。

(やっぱりわたし、ティーゲルさんにちゃんと恋してたんだ)

 そんな場違いな自覚に、つい目を細める。


「わたし、絶対、大丈夫です」

 ファリエは彼を見つめ、ゆっくり断言した。次いでティーゲルの体に、簡易だが障壁魔術も施した。先輩魔術師も施してくれているはずだが、多いに越したことはない。

 自分を包む淡い光にくしゃり、と彼の顔が歪む。

「もし君が死んだら、俺は一生泣いて暮らすぞ。誇張じゃなくて本当だからな」

「死なないので、一生、笑って、暮らしましょ?」

「……分かった。約束だぞ」

「はい」

 ファリエは笑ってうなずいた。ティーゲルも、赤くなった鼻をスンと鳴らしつつも、うなずき返して日傘を折りたたむ。そしてそれを持ち直して、屋台の外へ飛び出した。


 ただ一人ファリエのそばに残ったカーシュ議員が、彼と入れ替わる形でファリエの体を支える。

「議員、血で、汚れちゃ――」

「何を仰います。命の恩人の貴方の血が、汚いものですか」

 あわあわとファリエが固辞しようとしたが、少し怒られてしまった。次いで不安げな議員と目が合い、お互いにお互いを励ますように同時にはにかんだ。

 二人は視線を、屋台の外へ向ける。


 絶賛混戦中の武装集団と警護班の塊へ、ティーゲルが日傘に刻まれた魔術を起動させつつ肉薄した。

 彼はすぐさま、敵の使う魔道具への対応に手一杯な様子の、同僚の男性魔術師の守りに入る。近づく連中の刃を日傘の石突で弾き飛ばしつつ、魔術で電撃を流し込む。ついでに急所を狙って殴打する。その隙を狙った者には、長い脚から繰り出す蹴りを浴びせた。

 バチリ、と何かが弾けるような音と肉の焦げる匂い、そして野太い悲鳴が何度も上がった。


 どんどん犠牲者を築き上げている内に、日傘の中棒がぐにゃりと思い切り折れ曲がった。ティーゲルは日傘を左手に持ち替え、腰に吊るした鞘から警棒を引き抜いて構えた。

 警棒と侮るなかれ。ニーマ市のベテラン職人によって身体能力を向上させる、かなりややこしい術式が施された魔道具なのだ。


 彼は魔術師を背中に庇ったまま、他のメンバーの加勢にも加わった。

 武装集団の手首や大腿部を的確に狙って殴り抜く。武器を振るう腕と、動き回る足の自由を奪われ、相手は次々に戦意喪失していく。

 それでもなお抵抗を見せる者は顎を蹴り上げて昏倒させた。

 ちなみにこの間、彼はずっと無言かつ無表情である。笑っているよりはマシだが、かなり怖い。


 容赦ない戦いっぷりに、カーシュ議員は青ざめた顔を盛大に引きつらせている。

「ホロウェイさんは、だいぶ荒っぽい戦法を取られるのですね……なんだか意外です……」

「あ、えと、普段は、もうちょっと、丁寧なんです……が」

 似たり寄ったりの表情のファリエも、つい弁明してしまった。相手が不良少年や軽犯罪者ならば、まず拘束を優先している。ショック死狙いとばかりに突いたり殴ったり、意識を飛ばすまで蹴り飛ばす光景は、ファリエも初めてお目にかかる代物なのだ。

 獰猛、という二文字が大層よく似合う。


 なお初めて目撃したのはどうも、入団二年目のファリエだけではないらしい。警護班の他の面々も、横目にティーゲルの暴れん坊班長っぷりを見ては絶句している。中には二度見している者もいた。頼むから、前の敵に集中してほしい。

 それでも警護班に選ばれるぐらいなので、皆優秀だ。絶句したり二度見したりしつつ、彼らも武装集団を鎮圧していった。数には勝っていた敵も、身内がどんどんボロ雑巾の有様で倒れていくため、武器を捨てて降伏する者も出てきた。


 ファリエが自分の意識を必死につなぎ止め、残された魔力で治癒魔術を構築している内に、武装集団の鎮圧も無事に成功した。

 同時にファリエの出血も、どうにか止めることが出来た。安堵の吐息を長々ともらすカーシュ議員に支えられつつ、ファリエも内心でほっと安堵した。

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