ティーゲルに情けはあるが容赦ゼロな血の味キスをかまされた挙句、履きやすさだけで愛用している二軍パンツまで見られてしまったファリエは思い切り泣いた。
号泣する彼女に警護班の面々がおろおろしている内に、治療院の車が到着した。そのままファリエは、一旦治療院まで運ばれることになった。
同性ということで、カーシュ議員が付き添いを買って出てくれた。
しかし生まれ持った回復力に加えて、治癒魔術もしっかり仕事をしてくれていたため、治療院へ着く頃にはファリエの傷はほぼ塞がっていた。
氷柱の刺さった部分はまだ皮膚が薄く、赤く引きつっているものの、治療院でこれ以上出来ることはほぼなかった。あったとしても、顔や手足に残る血痕を拭い取る程度である。
「吸血鬼って、便利ですねぇ」
「きょ、恐縮です……」
ベテランらしい女性魔術師にそう感嘆され、ファリエは背中を丸めてうなだれる。わざわざ運んでもらったのに、違う意味で「打つ手なし」な現状が申し訳なかったのだ。表情も暗い。
女性魔術師は罪悪感を覚える彼女を慰めるように、そっと笑いかける。
「傷跡も残らなさそうですし、よかったです。でも大きな怪我をしたから、感染症にかかっているかもしれません。何か異変を感じた時は、すぐにご連絡くださいね」
そう言って、念のためにと解熱剤を処方してくれた。ファリエは優しい気遣いに、姿勢を正して深々と頭を下げる。
診察室を出ると、待合スペースの長椅子にちょこん、とカーシュ議員が座っていた。上等なスーツのあちこちに血痕を付けたままの姿に、ファリエの罪悪感がまたうずく。
あのう、とファリエは弱々しく声をかけた。
「お待たせして、すみません……それと、お洋服も、ごめんなさい……」
ファリエの方を見たカーシュ議員は、からりと笑って首を振った。
「服のことは、本当に気にしないで下さい。それよりシュタイアさんが元気になって下さって良かったです」
「あ、ありがとう、ございます……あの、わたしはほんとにもう、大丈夫ですから、議員はその、どうか視察を続けて下さい」
カーシュ議員は、仕事のために来島したのだ。ファリエ一人のために、足止めするわけにもいかない。
へどもどとお願いするが、議員はもう一度ゆっくり首を振る。
「まだどこに、私を狙う襲撃者がいるかも分かりません。このまま視察を続けるのは、何よりニーマ市にとって不利益です」
「そう、ですね……それは……たしか、に」
「しかも、娘と同世代の女の子が私の身代わりで怪我をされたのですよ? 少しぐらい、心配させて下さい」
凛とした笑顔に母性を載せられると、それ以上反論出来なかった。ファリエも諦めて、ふにゃりと微笑む。
「ありがとうございます。実は……こんな大怪我をするのは初めてなので、少しだけ心細かったんです」
日傘の柄をギュッと握りしめて打ち明けると、カーシュ議員も訳知り顔でうなずく。
「そうでしょうとも。私だってあんな大怪我を見たの、生まれて初めてですもの――あら」
カーシュ議員の視線が、ファリエの手元に落ちた。彼女が後生大事に抱えている、軸の折れ曲がった日傘を見つめて眉を寄せる。
「貴方の上司は、随分と馬鹿力でいらっしゃいますね……こんな、飴みたいにぐにゃぐにゃになった傘も初めて見ました」
「えっと……隊長もたぶん、あの、必死だったんだと、思います……」
ファリエの中にはまだ、ティーゲルに対するわだかまりが燻っている。よって表情も声も苦い。
冷静さが戻って来た今なら、彼もかなり慌てふためいていたことも、しばしば女性への配慮がずれてしまっている性格も、分かってはいるのだ。
分かっているが、それがすんなり納得できるかはまた、別問題である。事実ファリエも、まだ怒っていた。
むくれる顔から、彼女の心境を察したらしい。ファリエの後ろに回り込んだカーシュ議員が、彼女の背中をゆっくり撫でる。
「ホロウェイさんも、きっと必死だったのだと思いますよ。貴方に駆け寄った時なんて倒れそうなぐらいに真っ青でしたし、悪気はなかったかと」
「そう、ですよね……はい」
ファリエは口ではそう言っているが、顔は不満たらたらである。議員も笑って肩をすくめた。
「とはいえ、配慮に欠けた行動だったことも事実ですので。お仕置きも兼ねて、何かプレゼントでもおねだりしてみてはいかがかしら?」
何かをねだるという発想はなかった。ファリエはきょとんと目を丸くして、首をかしげた。
「そんなことしちゃったら、怒られませんか?」
「ホロウェイさんもとても、申し訳なさそうにされていましたよ。ファリエさんがプレゼントを条件に譲歩されるなら、喜んで買って下さるのではないかしら」
つまりプレゼントのやり取りを介して、それぞれの落としどころを見つける儀式であるらしい。
「なるほど……大人の駆け引き、なんですね」
恋愛初心者のファリエは険しい顔で、うめくように言った。深刻そのものな様子に、つい議員も噴き出す。
自分たちの関係性が周囲に筒抜けだという事実に、まだ気付けていないうっかりさも、初々しさに拍車をかけていた。おかげで議員もニコニコしっぱなしである。
その時二人の元へ、軽快だがどこか慌てた様子の複数の足音が近づいてきた。
二人は先ほどまでの修羅場を思い出し、ギクリと表情を強張らせて、足音の方を振り返った。
しかし駆け足でこちらに近づいてくるのは、アルマとカーシュ議員の秘書だった。どちらも紙袋を手にしている。アルマは紙袋に加え、ファリエの鞄も肩に引っかけていた。
また彼女の持った袋の口からは、ファリエの私服であるカーディガンがちらりと見えている。どうやら二人とも、着替えを持って来てくれたらしい。
「先生! ご無事ですか!」
運転中は物静かで品のよさそうだった秘書が、汗だくでカーシュ議員の元へ走り寄った。議員も労うように、彼へ笑いかける。
「心配をかけて、ごめんなさいね。あの後も皆さんのおかげで、何事もなくやり過ごせました」
「ああ、よかった……」
それだけ呟いてへたり込んだ彼の背中を、議員は何度もさすりながら
「ごめんなさいね、ありがとう」
と繰り返す。
アルマは全力でファリエの元まで走った末、息も上げずにそのまま彼女に抱き着いた。
「心配したんよ! 偉かったな、ファリエ!」
初めて聞く彼女の震えた声に、ついファリエの涙腺も緩む。
「ありがとうございます……わたし、ちゃんと護衛出来ました?」
「当たり前やん、大金星やで!」
ファリエがえへへ、と照れ笑いを返すと、更にぎゅうぎゅうと抱きしめられた。少し苦しいが、嬉しさの方が勝った。