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第172話【ウィリアムSide3】

「いや、特別何かがあったという訳ではない」


 はっきりと俺がそう口に出せば、目の前の医者、バートンは俺から視線を逸らし。


 会議室に再び入っていくアリスの担当医の背中を追うように視線を向けたあとで、もう一度俺の方へと視線を向け直すと苦笑するような表情を浮かべてきた。


「そうでしたか。いや、私自身、別の医師と新しい病の治療法について議論していましたので、殿下とあの医師が会議室で話されているのを少し耳にしただけでしたが……。

 先ほど殿下があの医師に皇女様の体調を心配するような声を出されていたので気にかかりましてな。……もしや、皇女様の御身おんみに何かあったのではないかと」


『もしかしたら、私でも何かお役に立てることがあるかもと。こうしてお声がけをさせて貰った次第です』


 先ほどまで交わしていたアリスの担当医と俺の会話はそこまで大きな声で遣り取りしていた訳でもないので、遠くにいたバートンには当然聞こえていなかった筈だ。


 だが、会議室で俺が不用意にアリスの担当医に声をかけたことで。


 何かあったのかと、こうしてわざわざ此方までやってきて……。


 自分にも何か出来ることはないかと、心配するような声を出してきたのだろう。


 俺はバートンのその言葉に首を横に振った。


「いや……。お前が気にするようなことは何もなかった」


 どれ程、普段から親しくしているといえども。


 アリスの担当医から聞いたアリスの個人情報について、色々と話す訳にはいかない。


 だから、適当に言葉を濁して答えることにした。


 バートンは確かに皇宮でもかなり地位の高い優秀な医師であることには間違いないが。


 アリスの体調不良が精神的なことから来る物ならば、尚更、勝手に別の医師にその症状を話すことは出来ない。


 そういった症状に対しては、まだまだ、こうしたら絶対に良くなるという治療法が確立されている訳でもないし……。


 例え、同じ皇宮で働く医師でも、精神的な物に関しては慎重にならざるを得ない物ではあるし、それぞれに推進する治療法なども異なるものだ。


 アリスの担当医がしっかりとアイツのことを見ている以上は、他の医師の手助けは不要だろう。


「成る程。では、皇女様が今、古の森の砦で療養していることに関してはそこまで心配するような症状ではない、ということですかな?」


 バートンから問いかけられたその言葉に……。


「さぁな、あの医師からは患者の個人情報については教えることは出来ないと言われたから。

 詳しいことが分からない以上、俺からは適当なことは言えない話だ」


 と、答えれば、バートンが驚いたように目を大きく見開いたあとで。


「……ウィリアム殿下が尋ねてきたのに患者の個人情報について、教えることが出来ないと?」


 と、顔をしかめめながら、そう言ってくる。


 一瞬だけ浮かべられた不快そうなその顔に、バートンが幼い頃から俺たちに付いて色々と診てくれているが故に。


 俺等、家族に肩入れしていることは分かっているので、俺は肩を竦めたあとで、小さく溜息を溢した。


「お前も、俺たちの個人情報について問われたとしても直ぐには教えたりしないだろう?

 それと一緒で、俺は逆にあの医師には好感が持てた」


 はっきりとそう口にすれば、目の前でバートンが虚を衝かれたような顔をしたあとで。


「いや、確かにそうでしたな。……申し訳ありません。

 どうやら私は、殿下のお立場のことしか考えられていなかったようです。

 それでは、殿下はその言葉に深く聞くこともなさらなかった、と……?」


 と、ほんの少し口ごもったあとで、声を出してくる。


 実際の俺はアリスの事が心配で、自分の立場を使って半ば強引にアリスの担当医から話を聞き出した訳だが……。


「あぁ。

 何にせよ父上が古の森の砦でアリスが療養することに関して認めているのは事実だし。

 例えアリスの体調がどんなものであろうと、父上がアリスの症状に対して明確に何か発表している訳でもない以上、深く突っ込んで聞くことはしないことに決めた。

 お前も含めて他の医師も気にはなっているのだろうが、これ以上、今ある噂だけで憶測をしたり、詮索をするのは止めておくよう伝えておいてくれ」


 俺はしれっと自分の事を棚に上げて、バートンのその言葉に表情を変えることもなく、淡々と釘を刺しておくことにした。


 宮中のみならず、教会で働く医師に関しても知り合いが多く顔も広いこの男のことだ。


 バートンに伝えてさえいれば、直ぐに他の医師にも俺の意向としてきちんと伝わるだろうし。


 今後、アリスのことについてあれやこれやと詮索して噂されることは多少なりとも減るだろう。


【これから先、必要以上にこの噂に、尾ひれが付いて広がってしまうことは防げる筈だ】


「どうせ、俺が会議室でアリスの担当医に話を聞こうとしなくても、既にお前達の耳には入っていたことなのだろう?」


 はっきりと口に出せば、バートンは少しだけ言いよどんだあとで、こくりと頷いた。


「……えぇ、今、皇宮中がその話題で持ちきりですからね。

 最近は特に何かと話題に上ることも多い皇女様ですから。

 その一挙一動がみなから注目されてしまうのも至極当然のこと。……であるならば、必然、人の口に戸は立てられぬものです」


 父上もアリス自身も、アリスが古の森の砦に行く事自体を隠していた訳でもない。


 それは俺も分かっている。


 だからこそ、噂として広がっているのは分かっていたが……。


 それで、根拠など欠片も無い、いい加減な話が広まってしまうのは問題だ。


 俺の視線の意味を正しく汲み取って、バートンが……。


「お任せ下され。

 ……殿下の意向に関しては、私の方から他の医師にもそれとなく釘を刺しておきましょう」


 と、声をかけてくれるのが見えた。


「あぁ。

 ……俺の意向というよりも、これは父上の意向でもあると思ってくれていい」


 恐らく、父上が宮中でこの噂を耳にすれば、俺と全く同じ事をするだろう。


 ならば、俺の意向だというよりも、父上の意向だと伝えておいた方が、より効果的だ。


 俺の言葉にバートンは少しだけ驚きに目を見開いたあとで、仰々しくお辞儀する。


「承知しました。

 しかし、最近の陛下が皇女様のことを寵愛しておられるのは感じておりましたが……。

 本来ならば、古の森の砦は殿下が陛下より貰い受ける予定だった筈のもの。

 それら全てを気にされることもなく、純粋に皇女様のお身体を心配されている殿下のそのお姿には本当に頭が下がります」


「……バートン、言葉には気をつけろよ。

 古の森の砦については、父上が確実に俺に渡すと約束していた訳でもない。

 何より、アリスに砦を渡すということは、他の誰でも無い父上が決めたことだ。

 その発言は不敬とも取られかねないぞ?」


「……申し訳ありません。

 テレーゼ様のご心労を思うとつい。年老いたジジイの戯言と思い聞き流してくだされ」


 普段よりも低い声を出して、バートンを牽制すれば、直ぐに謝罪の言葉が降ってくる。


 その言葉に小さく溜息を吐き出した俺は、母上のことを思うと頭が痛くなりそうだった。


 母上が幼い頃から俺に対してあれやこれやと、いっそ過保護なくらいに世話を焼いてきているのを俺自身が誰よりも感じ取っている。


【だが、いつまでも大事に籠の中に入れられて、庇護を受けなければいけないほど俺は幼い子供ではない】


 身体のどこかに“赤”を持っている人間が、身体が弱い可能性が高いと言われているのは魔女が能力を使った時に血を吐いたり倒れたり……。


 能力を使用することによってそれに耐えることが出来ず身体が徐々に弱ってしまうことから転じて、今もなお根強く信じられている世間一般の常識でもある。


 俺もまた、赤目を持って生まれてきてしまったが故に。


 まだ、その瞳をバートンに取り除かれる前……。


 俺自身はその時のことを覚えていないが、自分の瞳が目も開けられない程に強烈な痛みに襲われ。


 そこから頭痛などを発症し、それが高熱にまで発展してしまって、生死を彷徨ったことから。


 母上は、俺の取り除かれた片目は自分の子供の命を奪うような“”であったと強く認識してしまっている。


【小さい頃に命を失いかけたといえど、こうして何事も無く大人になっているのが、何より元気な証拠だと思うんだが……】


 いつまでもべったりと此方を心配してくるその姿に、“早く子離れしてくれ”と、どれ程願ったことか。


 この間、アリスがいる手前……。


 俺たちの詳しい事情は聞かれない方がいいんじゃないかと配慮したルーカスに俺が言葉にする前にたしなめられたが。


【母上はいつまでも俺が子供のままだと思っているのかもしれないが……。

 その感情をほんの少しでも、“”】


 と、俺はいつも思う。


 ギゼルは昔から、母上の言葉を当たり前の物だと捉えていて、俺に対しても何も言わないが。


 母上が過剰に俺に対して向けるその感情とギゼルに向けるものでは、どうしても差が生じてしまうのは誰の目にも明らかで、隠しようもない周知の事実だ。


 そのことから、歪な家族関係になってしまっていることは俺自身理解しているし、どうしてもアイツのことを思うと心配してしまう部分はある。


 俺が家族関係のことに思いを巡らせていると……。


「……そういえば、殿下。

 話が変わって申し訳ありませんが、先ほど、マルティスを呼ばれていませんでしたか?」


 と、バートンから問いかけられて、俺は自分の思考を中断し、目の前の男へと視線を向け直した。


「あぁ、そうだな。

 ……少し気になることがあったから話を聞いただけだ」


「気になること、ですか?

 ふむ、マルティスは、普段から少し素行が悪くて私も手を焼いている部分があるのですが、アレでも一応私の弟子のような物ですからな。

 放っておく訳にもいきませんし、何か問題でもあったのなら、私からマルティスに注意しておきますが?」


「あぁ、いや。

 以前あの医師が担当した宮中のことに関して詳しい事情が聞きたかっただけで、別に今の段階であのマルティスという医者に対してお前が何かを注意などする必要は無い」


 バートンの言葉に、そう返したあとで。


「……それにしても、お前が自分の弟子に対してそんな風に言うのは珍しいな?

 マルティスは、普段から素行が悪い部分があるのか?」


 と、問いかける。


 普段、バートンは自分の弟子に対して、そのような発言をすることは滅多にない。


 バートンがそう言うのなら、余程のことでもあるのか、と眉をひそめれば。


「……えぇ。それがっ、以前、私の弟子であるアイツの同僚の書き記した論文を、そっくりそのまま盗作したことがありましてな。

 普段から、金遣いなども荒いし、夜の街に繰り出しては、皇宮で働く医者であるということを立場を利用して、夜遊びの代金をツケにしたりと、度々問題行動を起こすような奴でして。

 私自身、その尻拭いは何度かしていますので、アイツがまた何かやらかしたのではないかと思ったのです」


 と、言葉が返ってきた。


 ……それは、また随分と普段から色々とやらかしている人物なのだな、と思いながらも。


「いや、例え普段の素行がどんなものであろうと、今、お前に何かを言わなければいけない程の問題は起きていない」


 と、バートンに向かって俺は口にする。


 例え、マルティスの普段からの素行がどんなものであろうと、俺の今、調べている件には直接関係なく。


 それとこれとは別問題だ。


 あの男が医師免許を剥奪されることになる可能性はあっても……、それは父上に詳しく事情を話したあとで、この先父上が決めることであって、その進退が今の段階ではどうなるかも分からない以上は……。


 たとえ、バートンがあのマルティスという医者の師という立場であろうとも、俺からバートンに直接話をする訳にもいかない。


【もしかしたら、マルティスの方から師であるバートンに助力を求めるような発言をする可能性は大いにあるが、その時はその時、だ】


「また何かあればお前に話がいくかもしれないが、今の段階では俺からは何も話せないと思ってくれ」


 はっきりとそう言えば、バートンもそれで納得したのだろう。


 それ以上、詳しく俺に聞こうとはせず『承知しました』と言葉に出して此方に向かってうやうやしくお辞儀してくるのが見えた。


 そこで、囚人の事件に関して詳しいことは言わないながらも。


 バートンに、夕食時に毒を混ぜて、翌朝の朝食を食べる時まで症状が出ないような、長い時間をかけて身体に回る毒の種類について何か心当たりがあるか、聞こうかと思って、俺は口を開きかけたが……。


 寸前で、思いとどまることにした。


【人を殺すようなことに、多分、バートンが関わっていることはあり得ない、だろうが……】


 念には念を入れた方がいい。


 今の段階であのマルティスという医師が怪しいことには変わりなく。


 誰が、どう関わっているのか分からない以上は、迂闊なことは喋らない方がいいだろう。


 特に皇宮で働く医師に関しては、毒などに詳しい人間も多いだろうし。


 どこかで、あの事件と繋がっている可能性が無いとはいいきれない。


 どんなに昔から親しくしている人物であろうとも、全ての人間が平等であると、常にフラットな目線で物事を見ることが出来なければ、何かを見落としてしまった時、取り返しのつかないことに発展しかねない。


 それに、絶対に、と断言出来て、毒や薬草などに詳しそうな人間を俺は一人、知っている。


【アリスの傍にいつもいる、アルフレッドというあの子供ならば……】


 この事件に使われた毒についても詳しく尋ねれば、幾つか候補を絞ることが出来るかもしれない。


 もしも、あの子供が分からなかったなら、その時またバートンに聞くかどうかなどを考えればいいだけの話だし……。


 一先ずは、バートンにも何も伝えない方がいいだろう。

 俺は心の中でそう結論付けてから、バートンに別れを告げると、その場を後にした。




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