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第196話【テレーゼSide】

 ツカツカと早足で皇后宮の一番広い部屋、わたくしの自室にしている部屋へと戻ってくる。


 何人かの侍女が自室の扉の前に待機していて、私を見つけた途端、頭を下げてくるのを素通りして部屋に入ってから、自室の特注で作らせたバロック調の椅子に腰掛けたあとで。


 此方に向かって、あれこれ世話をしようと慌てたように数人入ってくる侍女に……。


「今日は機嫌が良くない。

 世話係ならば一人だけで良い。……後は何人なんびとたりともこの部屋に入ってはならぬ」


 と、声を出せば。


 私の表情を見た後で直ぐさま適切な判断をした侍女達が蜘蛛の子を散らすように去って行く。


 その後ろ姿を見送ったあとで、一人残った一番私と共に過ごしている侍女が何も言わずとも、そっと私のお気に入りのストールを肩にかけてきた。


「テレーゼ様、お飲み物は何に致しましょう?」


「必要ない」


 一言、かけられた言葉に苛立ちを抑えきれずにそう声を出せば、『承知しました』とうやうやしく続けざまに声がかかる。


「でしたら、最近人気の高い香をおつけします。

 ほんの少しですが癒やし効果の高いものになっていますので、きっと気分も落ち着かれると思いますよ」


 さっと、私の状況を汲み取って、私の侍女が柔らかな匂いのするこうを焚いたのが分かった。


 部屋の中にふわっと漂ってくるジャスミンの優しいその香りに、私の怒りもほんの少し和らいでいくような気がして、ホッと一息、溜息にも似た様な吐息が溢れた瞬間。


 誰も入るなと言っていた筈の私の自室の扉がコンコンと控えめに叩かれて、やってきた侍女が緊張した面持ちで小さな声を出し、それに対して私の古株の侍女が応対しているその姿にれて……。


「何ごとだ?」


 と、声を出して問いかければ。


「テレーゼ様、バートン先生がいらっしゃいました。

 ……本日は、調子があまり良くないとお断りしましょうか?」


 と、聞かれ、暫く考えたあとで、丁度、私にも話したいことがあったから都合が良いと。


い。……通してくれ」


 と、声を出した。


 会うか会わないかを決めるのは私次第だが、いつでも通せるようにと、侍女たちの配慮で皇后宮の中にまでは入ってきていたのだろう。


「客間で、お待ちです」


 と言われて、わたくしも疲れた身体に鞭を打って、今日履いていたハイヒールをそのままに、ツカツカと来た道を戻っていく。


 皇后宮の中も、前皇后あの女の陰を1ミリたりとも残して置きたくなくて、私が此方に移ってきた時にその大部分は処分して、調度品などはなるべく新しい物に替えて様変わりをさせてはいたが。


 ソファや机など、悔しいが趣味の良い物で品良く構成されている部屋もあり……。


 この客間もそのうちの一つだが、まだ手つかずで、全てを替えることも出来ずにそのままの状態で残している部屋もあった。


 扉を開ければ、私の姿を見つけたバートンが、座っていたソファから立ち上がり。


「帝国の咲き誇る大輪の花にご挨拶を。

 いや、なに、本日は大変な一日でしたので、心労が蓄積されているのでは無いかと思いましてな。

 こうして、テレーゼ様のお顔を拝見しに参った次第です」


 と、此方に向かって仰々しく頭を下げた後で、声をかけてくる。


「堅苦しい挨拶はい」


 はっきりと声を出して、バートンにそう伝えれば、私が腰掛けるのを見届けたあとで、ソファに座り直したバートンが、居住まいを正すように背筋を伸ばしたのが見えた。


「先ほど陛下にもわたしの弟子が起こした問題について謝罪をして回っていたところです。

 監督不行き届きと言われれば、その通りですからな」


 そうして、回りくどい言い方をするバートンに私は薄らと口元を上げて笑みをたたえ。


 とぽとぽ、と侍女がティーカップに紅茶を入れたあと、この部屋から完全に出て行ったのを見届けたあとで。



 と、扇を開いて己の唇を隠してから、声を出した。


「……いえいえ、陛下に対しては当然。

 そのように振る舞っておかねばならぬことですから。

 私は不出来な弟子に対しても叱りつけたりはするものの、決して見捨てることはしない良い師であり続ける必要がありましたので」


 はっきりと声に出して、此方に向かって笑みを深めてくるこの男に、私は侍女が持ってきたティーカップにそっと口を付け、中に入っていた紅茶を舌でその香りを楽しみながら味わったあと、優雅に一口、喉へと通す。


「“”どうしようもないクズには相応しい結末であったな」


 そうして、はっきりとそう声に出せば、目の前で人間の皮を被った狸が口元を歪めて嗤う。


「えぇ。しかし驚きましたがね。

 私が皇女様のデビュタントに招待された権利を使って、マルティスをパーティーに参列させろと言われた時はどうしてかと思いましたが……。

 いやはや、テレーゼ様には恐れ入ります。

 マルティスは、使にはぴったりの人間でしたが、こうも早く切ってくるとは」


「……さて?

 そなたが何のことを言っているのか私にはさっぱり分からぬな」


 口の端を吊り上げて、バートンが何を言っているのか本気で分からないという表情を浮かべれば。


「相も変わらず、思い切ったことをなさる」


 と、続けざまに声をかけられて、私は自分の笑みを深くする。


 ――マルティスという男は、バートンの紹介だった。


 実際、私があの男と顔を合わせて面識を持っていた訳ではない。


 ただ、使い勝手の良い駒になるような人間がいないかと、探していたところ。


 自分の不出来な弟子をどうにかして穏便に排除しようと思っていたバートンと利害が一致しただけだ。


【マルティスは色々な面でだらしのない男ですから、きっと私が掴んでいないだけで、一個や二個くらいの犯罪なら犯している可能性がありますぞ】


 と、バートンに言われて、ちょっと調べれば……。


 直ぐにあの男が皇宮から医療用に出されていた補助金を使い込んでいることが判明した。


 後は、私自身が直接動く必要もなく、ナナシを介してあの男に弱みをちらつかせ脅し、遣り取りをするだけで良かった。


【本当にいつ切っても、何の良心も痛むことがない後腐れの無いような人間を紹介してくれたものだ】


 自分が一度受け入れた弟子が、問題を起こして辞めるのは構わないが。


 バートン自身がクビを宣告するのと、勝手に問題を起こしてそれが大事おおごとになって辞めるのとでは周囲の心証もまた変わってくるもの。


 バートンは、医者であると同時に自身に対してもかなり高いプライドの持ち主だ。


【高名な自分は、誰に対しても親切に、尊く、そして気高くあらねばならぬ】


 誰かの為では無い。


 ただ、のことが何よりも好きだからそうしているだけだということを私は知っている。


 だから、どうしようもないほどに屑の塊でしかないようなマルティスのことも。


 対外的には、不出来な弟子を心配する師としての振る舞いを辞めることはなかった。


 傍から見ても、バートンの姿は……。


 誰もが見放すような、どうしようもない弟子を叱りつけながらも決して見放すことはせず。


 師として思いやりを持って接していて、何とか更生させようとしているようにしか見えなかっただろう。


 そういう誰かからの評判、自分の名声が高まっていくのが好きな男なのだ。


 そこに誰かの為だという、奉仕精神は存在しない。


【だから、叱られ続けていたマルティスも師のそんな様子には恐らく気付いていただろうな。

 バートンの望むにマルティスは入っていなかっただろうから、誰もいない二人っきりの時は恐らく高圧的な態度で怒られていたはずだ】


 バートンという男のことを良くも悪くも知り尽くしている私は、この男の二面性には気付いている。


「そなたが教えてくれたのであろう?

 陛下の捜査の手があの事件に伸びていることを……」


 私がそう伝えれば、バートンも、こくりと頷いてその言葉に同意する。


「ウィリアム殿下がお調べになっている件ですね」


「あぁ。……流石は、ウィリアム、私の子だ。

 優秀が故にマルティスというどうしようもない人間に目をつけるのも早かったな。

 生け贄として差し出すには、あの男にはまだ使い道はあったから、少々勿体の無いことをしたとは思うが……。

 それでも、陛下があの事件を最近になってわざわざ蒸し返して調べ直しているということは、公爵からのアリスやアレの母親に届く手紙が事前に抜き取られていたことも既に知られていると見ていいだろう。

 私たちが裏にいることに気付かれてしまう恐れもある」


 私たちの方へと捜査の手が伸びることを思えば、早々にあの男のことは切ってしまった方がいい。


 事実、そう判断した私の采配は正しかったと、今日になって、嫌という程に思い知らされた。


 アリスの検閲係に関しても、アレの身の回りにいるような侍女達がアレに対して良い印象を持たずに接していたようなことも……。


 全て私の側近である侍女が、という役職を持ちながら、そのことを把握していない筈が無い。


 それらを見ても咎めることなど一切せずに、侍女達を見逃していたのは、ただ単純に私のことを思って動いていたからということに他ならない。


 だからこそ、私のことを思って動いてくれる優秀な部下のお蔭で、当然、私もアレの身の回りのことについてはある程度把握していた。


 アリスの検閲係も、裏で操っていたのは私だ。


 ナナシに私の言葉を伝えに行かせ、正体を明かすことが出来ぬが皇宮にいて不正などに関しても取り締まることが出来るような立場のある人間が裏にいることをほのめかし。


 ある程度、アリスの私物宝石を盗むことに目を瞑る代わりに、公爵からの手紙を全てナナシ経由で定期的に私の元へと持ってくるようにさせておいた。


 全ては、アリスの地位が必要以上に上がらぬようにと。


 万が一にでもウィリアムの敵になる可能性の芽があるのなら、芽が出ぬ前に種ごと土をぐしゃりと踏みつけてしまえばいい。


 たとえウィリアムが、アリスがそうは望んでいなかったとしても、必然、アリスの血筋こそが、上に立つのに相応しいと言ってくるような輩はいる。


 私が神経を尖らせて、尖らせて、あれほど気をつけていたことだったのに……。


【おのれ、公爵めっ……】


 ――本当に、何処までも私の邪魔をしてくれるものだっ!


 その血筋もそうだが。


 普段、陛下が主催するパーティーですら、あれこれと理由をつけて一切出てこぬくせに。


 わざわざ、“孫娘”であるアリスのデビュタントには出てきたということ……。


 そして、陛下に対して砕けた口調を使い、アリスとの関係も、陛下との関係も良好であることを誰の目にも分かるように強調してきたことで……。


 アリスに何かあったなら一番に自分が動くと周囲に知らしめるようなこともしてきたのを私はあの場で誰よりも肌で感じていた。


【流石に長いこと様々な状況をくぐり抜けてきただけのことはある。

 ……公爵は自分の動きが周囲にどのように見られるのか、完全に熟知している】


 ――そのまま、静かに隠居していればいいものを。


 前皇后のこともあり、あまり仲が良くなかった筈の陛下との仲が一体どのようにして改善されたのか、という疑問もあるが。


 陛下の政治に口を出してこられる程の影響力は、表から退しりぞいた今でもかなり強く持っている内の一人であることは間違いないだろう。


 このまま公爵が、陛下との仲を深めれば、必然的にアリスの評価も上がっていってしまう。


 それを見越してわざわざ、その心情はどうであれ、陛下との仲も悪くないと言うことをあの場で政治的に示して見せたのだろうから……。


【本当に忌々しいこと、この上ない男だ】


 ぎり、っと強く唇を噛みしめれば、バートンが私の方を見て……。


「テレーゼ様、あまり怒られると血管が切れてしまいますぞ。

 私から見れば、あなたの用意した筋書きは殆ど完璧に近いようなものだったと思いますがな」


 と、慰めるような口調で声を出してくるのが聞こえてきて。


 何の慰めにもならぬその言葉に私はフンと小さく鼻を鳴らした。


「バートン、完璧と言う言葉は、完全犯罪がなし得た時に使うもの。

 そしてそれは、私が死ぬその瞬間まで何事も無くて、墓まで持っていくことが出来てようやく初めて成功したと言えるであろう」


 はっきりとそう声に出せば、感嘆したようにバートンが声を上げ。


「流石は、テレーゼ様。

 死ぬ瞬間まで、ですか?

 いやはや、私とは、随分と、スケールが違いますな」


 と、此方に向かってすり寄るような言葉を出してきた。


「私とて決して万能ではない。

 ……特にここ最近は、本当にイレギュラーなことばかりが身の回りで起きているしな」


 実際、今回の件もここまで早く事件が解決に向かうとは欠片も思ってはいなかった。


 事前にバートンから……。


【ウィリアム殿下が、“囚人の毒殺事件”について調べているとマルティスから泣きつかれてましてな

 今回ばかりは、私もアイツの尻拭いは出来ぬことですが……。

 あっさりと斬り捨てるにはまだ惜しいと言われるようでしたら如何様いかようにも使って頂いて構いません。

 はてさて、テレーゼ様、この件どのように処理致しましょう?】


 と聞いてから。


 今回のパーティーでアリスのデビュタントを潰すためと、早々に蜥蜴の尻尾切りとして生け贄に差し出すつもりで、マルティスを動かし……。


 今回の件で十中八九、あの男は陛下に悪事がバレて捕まるだろうと予測はしていたが。


 それには、もう少し日数が経ってからだと思っていたし……。


 ここまで、当日中に捜査に進展があるなんてことは私の予想でも分からぬことだった。


 それだけ、マルティスが下手な動きしか出来なかったというのもあるのだろうが。


【……全く、気を抜くような暇もない】


 全てが私の思い通りになっていないことに、思わず、ぎちっ、と音を鳴らして歯噛みする。


 今回のデビュタントでも、アリスはあまりダンスが上手くないのだと、陛下が侍女たちを辞めさせる前にアリスの担当をしていた侍女から聞いていたから……。


 1ヶ月という短い時間では1曲覚えるだけで精一杯だろうということを見越して、敢えて、アリスが2回もダンスを踊れるようにわざわざ、褒めたくもないのに無理して褒めたあとで、周囲が忖度して2曲目をアンコールするようにとその場を動かしたというのに。


 1回目にウィリアムと踊った時よりも、あの赤目の騎士と踊った時の方が難易度の高い曲だった上に滑らかに踊って、まるでウィリアムが前座のようになってしまったし……。


 陛下が向ける口上に対しての答えも完璧で、アリス自身、皇女としてきちんと振る舞っていて、その何処にもまるで隙が見当たらなかったのが本当に腹立たしい。


 以前、『皇族としてちゃんとした振る舞いをするように』と。


 嫌味で言った言葉が、まるで嫌味にもなっていない現状にただ苛立ちが募っていく。


【我が儘で、何も出来ぬ哀れな小鳥のままでいて貰わねば困るのだ】


 ピーチク、パーチク、とさえずって、今までのように目に入るその全てが敵であったなら。


 アレが“”などという高尚なものを身につけることも無かったのかもしれぬ。


 そうすれば、陛下からの覚えは良くなく、今もアレに向ける陛下の感情は最底辺のままであっただろう。


 それに最近になってウィリアムがアレに心を砕いている様子なのにも納得がいかぬ。


 ウィリアムは優しいから、アリスのことを兄としてただ気にかけているだけであろうが。


 ――赤色の髪を持って生まれたアリスは、まさしく呪いの子。


 正当な血筋で、金を持って生まれた我が子とは


【だが……。

 その美貌、かんばせで周囲の男をたらし込んでいたような、前皇后あの女の血筋を正確に受け継いでいるだけのことはある】


 やはり、血とは争えぬものだ。


 何もしないでも、その場に立っているだけで絵になったあの女のことを思い出し、私は唇を噛んだ。


 伯爵という家柄で、叩き上げで努力をして上の地位に上り詰めていくしか出来なかった私が一生懸命になって人脈を広げようと努力しているその傍らで……。


 何も持っていなくてもその地位が高いというだけで、人が近寄ってくるくせに、そのことに胡座あぐらをかいて、いつも気怠そうで、誰かに積極的に話しかけられても、その全てに面倒くさそうに対応していたあの女……。


 アリスも顔だけを見れば、整った顔立ちをしているし。


 その顔や、表情は、あの女よりは柔らかいものの、年々似てきているようにも感じる。


 髪色といい、あの女の憎いところは全て爪の先まで引き継いでいるような子供だと、心からそう思う。


 そこに陛下の血も入っているのだがら、ますます許せぬと言う思いが強まってくる。


 ――だからこそ、忌々しいし。


【陛下に関してもそうだが……。

 ウィリアムも、いつの間にか、ギゼルまで。

 アレに対して徐々に心を開いていっている様子なのが気に食わない】


「なぜ、最近になって心変わりしたのかは分からぬが。……いずれにせよ、前にも増して目障りになったものだ」


 憎々しげにそう呟けば、バートンが私の言葉に同意するようにこくりと頷くのが見えた。




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