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第203話 丘の上のレストラン



 あれから、アルとセオドアとローラと一緒にお昼ご飯にお兄さまが予約してくれていたレストランに到着し。


 小高い丘の上にある、完全予約制らしいレストランに。

 席に通された時は初めてのこと尽くしでドキドキしっぱなしだったけれど。


 私の緊張している様子を見ていたお兄さまが、アルだけじゃなくて、セオドアとローラも一緒の席につくように配慮してくれた。


 はじめ、ローラやセオドアは、自分たちのマナー的なものがあまりちゃんとしたものじゃないということをお兄さまに伝えて同席は遠慮がちだったけど。


 個室なこともあり、『誰も見ていないから遠慮する必要は無い』とお兄さまが2人に言ってくれたお蔭で……。


 みんなと一緒であることに、そわそわしていた気持ちも安心感に変わって、気付けば出てくる料理も楽しめるようになっていた。


【皇宮で出てくる料理とはまたちょっと違うけど……】


 前菜から季節のきのこを使用したサラダに、マッシュルームのフラン(洋風茶碗蒸し)が出てきて。


 メインには牛肉のローストを赤ワインのソースとチーズの2種類をかけて食べることが出来るようなものになっていたり。


 チーズや牛も、近くに牧場を営んでおり、出てくる野菜やきのこ類などの山菜も全て自家製なのだとか。


 どの料理をとっても、本当に絶品で、思わずふわっと表情が綻んでしまう。


「お兄さま、連れて来て下さってありがとうございます。とっても、美味しいです」


 お兄さまに向かってお礼と料理の感想を伝えれば、お兄さまの表情が穏やかで柔らかなものに変わっていくのが分かって、私もさらに表情がふにゃっとしたものになる。


 私とお兄さまが視線同士でふわふわとした遣り取りをしていると、セオドアがお兄さまにジッと視線を向けたのを感じ取ったのか……。


 お兄さまが眉を顰めたあとで、私から目線を外し、セオドアの方へと視線を向け直したのが見えた。


「……さっきから人の顔をジッと見て何なんだ?」


「いや、悪かったな。……俺の分までわざわざ用意して貰って」


「……っ、お前も、人に感謝するようなことが出来るんだな?」


「オイ、どういう意味だ、それは」


「こういう食事は、食べた気にならないとでも言われるのかと思った」


「あー、まぁ。

 高級な料理ってのは何でこう、ちょっとしか皿に盛り付けられてねぇんだろうなっていうのは常々思ってるけど。……流石にこの場でそんな場違いなことは言わねぇよ」


 お兄さまとセオドアの遣り取りに


【ちょっとずつでも二人の距離が縮まってくれているのかな……?】


 ――それなら、凄く嬉しいなぁ


 と、内心で思いつつ。


 私は、隣でにこにこと嬉しそうに食事をしていたアルに視線を向ける。


 アル自体は、別にこれでお腹が膨れる訳じゃ無いけれど……。

 こんな風に美味しいものを、美味しいと嘘偽りなく表情に出してくれると見ているだけで幸せな気持ちになってきて、思わず私も同じように、にこにこと笑みを浮かべた。


「アル、美味しいね」


「うむ。……自然の素材をこうも生かして料理にしているとは。

 料理人とは素晴らしいものだなっ」


 普段あまり意識したことがなかったけど、アルのマナーは完璧で……。


 曰く……。


【前にルーカスがお前にマナーのテストをした時があっただろう? あれで大抵のことは覚えたぞっ!】


 ということらしい。


 因みにセオドアも


【俺はそもそもの出自しゅつじが褒められたような物じゃねぇから、普段の姫さんの動きとか見て、何かあったときに少しでも姫さんが恥ずかしく見られないようにマナー関係は勉強した】


 と、言ってくれて……。

 本当に私の為にしっかりと勉強してくれていたのが、窺えた。


 ローラは元々が貴族の出だから、謙遜しているだけでマナーに関しては完璧だし。


【一緒に食事が出来るだけで嬉しかったけど、みんなが私のことを考えてくれているのをこうして知れるのも凄く嬉しいな……】


 内心で、そう思いながらも……。


 アルからルーカスさんの話題が出たことに、思わずこの間デビュタントで聞いたエヴァンズ家の事情に関して気になって……。


「あのっ、お兄さま……。お兄さまは、ルーカスさんのこと……」


 と、言いかけて、私は口を閉じた。


 デビュタントでエヴァンズ家の事情を聞いたのは私とお父様、それから傍に立ってくれていたアルとセオドアだけで。


 その場にお兄さまはいなかったから……。


 もし、ウィリアムお兄さまがそのことを知らないのだとしたら、私からお兄さまに勝手に伝えて良いものではない。


 言いかけて、口を閉ざしたからか……。


 お兄さまが私の方を見て、眉を寄せるのが見えた。


「……ルーカスがどうした?」


 ちょっとだけ、お兄さまがルーカスさんの名前を聞いて普段よりワンオクターブ声色を低くしたような気がして、それを不思議に思いながらも


「いえっ……、何でもないんです。

 そのっ、デビュタントの時に、あんな事件があってルーカスさんにも心配をかけてしまったな、って思って……」


 と、私は慌てて取り繕ったように声を出した。


 ルーカスさんが、毒を飲んでしまった貴族のもとへ私が駆けつける前に心配して止めてくれたのは事実だから、嘘ではないし……。


 それからバタバタしていて、結局、お礼も言えないまま碌に話すことが出来なかったなぁ……。

 というのは気がかりでもあったから、そう声を出したんだけど。


 私の一言に、お兄さまの表情が思いのほか難しいものに変わっていって、思わずびっくりしてしまう。


「アリス。お前は……」


「お兄さま……?」


 お兄さまのその態度に、どうしたのかと、不安になって怖ず怖ずとお兄さまを呼べば。

 私の方を見てから、小さく溜息を溢したあとで。


「いや。……ルーカスに心配をかけたなどとお前が思う必要は無い。

 それと、ルーカスとの婚約についてなんだが……。

 ずっとお前に言わなければいけないと思っていたが、エヴァンズがお前の後ろ盾になることで俺と無駄な対立を避けるためだとか、そういうことなら他にも方法はあるはずだし。

 お前が皇女である自分の立場や立ち位置を気にする必要は何処にもない。

 もっと根本的な部分で、お前の婚約者にルーカスがなるということを、お前の意思を優先して、しっかりと考えてから決めてもいいと俺は思う」


 と、言われてしまった。


 そんな話をしてなかったのに、突然そう言われて。

 その言葉のいみがよく分からなくて


「あの、? ……お兄さま、それは一体、どういう意味でしょうか……?」


 と、首を傾げれば。


「アイツは、確かに仕事上のパートナーにするには出来た男だと思うし、俺もそれに異論はないが。……結婚となると話は別だ。

 ルーカスは、自分の伴侶を愛せるような奴じゃない」


 お兄さまからそんな言葉が返ってきて、私はさらに困惑してしまう。


 ルーカスさんには確かに、“”っていう見えない壁があるなって、私も理解していたつもりだったけど。


 お兄さまから直接、そんな言葉が降ってくるとは思わなくて目を瞬かせてしまう。


「あのっ、でも、ルーカスさんはっ、凄く優しい方ですよね……?

 私にもいつも良くして下さっているのは分かりますし……」


「……にはな。

 例えお前じゃなくても誰であろうと、アイツがそつなく結婚生活を送ることは俺にも想像することが出来る。

 ……だが、それだけだ。

 仮面を付けて、誰に対しても適当に愛をささやいてそれで終わり。

 俺は、お前にはそんな偽りの結婚生活を送って欲しくない」


 そうして、真面目な表情でお兄さまから、そう言われて、私は小さく息を呑んだ。


「……っ、ルーカスさんが、誰かを愛せないのには理由があるんでしょうか……?」


 ルーカスさんの気持ちが私と同じものとは限らないけれど……。


 誰かを愛せないというその理由には、何となく私も似たような感情を持っているから分かるような気がする。


 誰かを愛せない訳じゃなく……。

 私の場合は、みんなが大切で、誰か一人“特別”な存在という感覚が分からないだけだけど。


【もしかして、ルーカスさんにも何かそうなってしまった切っ掛けや理由があるのかもしれない】


 そう思って、私がお兄さまに問いかければ、眉を寄せて難しい表情を浮かべたまま。


「いや、詳しくは俺も分からない。……だが、3年ほど前の話だ。

 ルーカスが一時期、荒れに荒れていた時期があってな……。

 手当たり次第に遊び回って、何か私生活であったのかと、自暴自棄を心配して声をかけたことがあったが、アイツは決して口を割らなかった」


 と、説明されて……。


「ルーカスさんが、ですかっ?」


 お兄さまの一言に、ルーカスさんが荒れていた時期があったなんて全然想像出来なくて、私はただびっくりしてしまう。


「あぁ。……だが、暫く経って落ち着いたかと思ったら……。

 アイツがまず始めに俺に言ったことは、“殿下、俺さァ、女の子の顔ってみんな同じに見えるんだよね”っていう最低な台詞と……。

 “多分、誰かと結婚しても俺はその人のこと絶対に愛せない……”ってことだった」


 そうして、ルーカスさんとの当時の会話を思い出してなのか。

 溜息を溢したあとで、真面目な表情になったお兄さまが私に向かって、真剣にそう伝えてくるその姿に……。


 お兄さまが私の事を考えてそう言ってくれているのは私にも理解出来た。


【3年前って13歳の時で、今のギゼルお兄さまと同じ歳の頃ってことだよね……?】


 何にしても早熟しているようなルーカスさんの言動には驚くばかりだけど……。


「その言葉の通り、何人か今までにも周囲の令嬢がアイツに対して想いを寄せていることもあったが……。

 そっちの方が色々な情報を手に入れることが出来て都合がいいからと、それを適当に流して、付き合いもしないのに勘違いさせたまま今に至るようなことも多々あるし。

 アイツは仕事面ではかなり優秀だが、たい、人付き合いにおいて、恋愛面に関しては特に薦められるような人間ではない」


 お兄さまにそう言われて、私はどう言えばいいのか分からなくて、困惑してしまう。


 ルーカスさんの婚約の話に関しても、いつまでも先延ばしにしている訳にはいかないと思っていることではあったけど……。


【ここにきて、また私の知らない一面が……】


 優しいルーカスさんも、からかうような喋り方をするルーカスさんも。

 壁を作って、決して周囲にいる人を入らせないルーカスさんも。


 ――“誰か”のことを心配しているようなルーカスさんも。


 其処そこに確かにいる筈なのに。


 いつだって、色々な表情が見え隠れして、決してその本心までを悟らせてはくれない。


 お兄さまでも、ルーカスさんがそうなった理由については分からないのか、と思うと……。


 凄く寂しい気持ちが湧いてくる。


 故意にルーカスさんが周囲の人から距離をとっているのは分かるんだけど……。


【誰もルーカスさんの本音の部分に触れることも出来ないままで、それで、ルーカスさんは良いのかなって……】


 自分の弱い部分を人に中々さらけ出せないのは私も一緒だし。


 そういう時、一人にして欲しい時もあるし、必要以上に誰かに心配をかけたくないっていう気持ちもあって、一概にそれを周囲に知られることが絶対的に正しいとは言い切れないから。


 私が心配するようなことではないのかもしれないけど……。


 それでも、誰かに聞いて貰って救われるようなこともあると思う。


 私はこの間泣いてしまって、セオドアにぎゅっと抱きしめて、頭をぽんぽんとあやすように撫でて貰っただけで、凄く心が落ち着いたから……。


 本心も、何もかもを言う必要は無い。

 そういうことを言えなくても、ルーカスさんにもそんな人が一人いるだけで違うのにな、って思ってしまう。


【3年前に荒れてしまったというルーカスさんと、エヴァンズ夫人が看病をしているという人の関係性はあるのかな……?】


 もしもルーカスさんが荒れてしまった原因がその人と関係しているのなら。


 大切な人が死んでしまうという恐怖は私も巻き戻し前の軸で経験しているから、少しは分かると思う。


 お兄さまが私の婚約のことを心配して声をかけてくれたのは分かっているんだけど、私はその話を聞いて、逆にルーカスさんの方が心配になってしまった。


 荒れてから立ち直るまでに自分の中で何度も折り合いをつけて、納得させるような作業もしていたはず……。


 騙し騙し、自分を誤魔化して生きていると。


 いつか蓄積してしまったものが、蓋をしただけでは抑えきれなくなって。


 溢れて、壊れて……。


 どうにもならなくなってしまうから……。


「……お兄さま、私の事を心配して下さりありがとうございます。

 あのっ、ルーカスさんのこと、もしかしたら壁を作って本心が言えなくて苦しい思いをしているのかもしれませんし、私が勝手に心配するようなことじゃないかもしれませんが……。

 お兄さまは、私と違って何か気付くようなこともあるかもしれないので、その……」


 ――出来れば、気にかけてあげて欲しい


 って、私から言うのは凄い変なことかもしれないけれど。


 どうしても、ルーカスさんが“誰か”のために一生懸命になって、お医者さんとか治癒能力のある魔女などについて、諦めないで可能性を探っていたのは知っているから……。


 思わず口から、出てしまった。


 私の言葉を聞いて、セオドアもアルもローラもお兄さまも凄く驚いたような表情を浮かべていたけど……。


【やっぱり、私からルーカスさんのことについて、気にかけるような言葉が出てくるのは変だったかな……?】


 お兄さまだって、私より全然ルーカスさんと一緒に過ごしている期間が長いんだから、私に言われなくてもそれくらいのことは既にしていると思われたかもしれない……。


 私が、自分の出した言葉が拙かったかな、と内心で思っていると……。


「うむ、確かにルーカスはちょっと秘密主義な所があるからなっ。

 アイツの事をよく知る意味でも、今度はルーカスも含めてみんなで旅行が出来るといいなっ!」


 と、アルが明るく声を出してくれた。


 ……こういうとき、アルの明るさには凄く助けられている気がする。

 私の言葉にふわっと笑顔を浮かべて話を別の方向に逸らしてくれたアルにホッとしながら


「うん、そうだね。……初めてのこと尽くしで楽しいことがいっぱいだし。

 また、レストランも含めて、こんな風にみんなでどこかに来ることが出来たらいいね」


 と、私がその言葉に同意すれば。


「そんなにもお前が喜ぶのなら、もっと早く父上に許可を取って連れてきてやればよかったな」


 と、お兄さまから穏やかな口調でそう言って貰えて……。


 この場の空気が元の柔らかな状態に戻ったことに私は胸を撫で下ろした。


 ――愛のない、結婚生活か……。


【あまり意識してなかったけど、お兄さまに真剣な表情でそう言われたことについてはびっくりしたな……】


 皇女としての自分の立場とかそういうものじゃなくて、を優先する……。


 政略結婚で、愛がない場合なんてきっと山ほどあるだろうし。


 私自身、未だに愛というものがどんなものなのか今一よく分かってないし、そんな風に誰かに愛されて結婚できるとも思っていなかったけど。


 自分が皇女であることも、何もかもを一度取り払った時。

 本当に私自身がどうしていきたいのか、自分の事を優先していいって言われているんだよね……?


【ずっと、皇女という立場上、ルーカスさんとの婚約が最善なんだろうって考えてたから。

 直ぐに、どうしたいと聞かれても思いつかないし……】


 考えれば考えるほど、まるで迷路に迷い込んだみたいに分からなくなっていく。


 でも、いつも、こうやって先延ばしにしてしまっているのが悪いんだっていうことは分かってるから。


【一度、ちゃんと今の自分の気持ちも含めてルーカスさんと話し合う必要があるのかも……】


 その時、私自身がどうしていきたいのか、きちんと確認していくべきだと思う。


 そうすれば、ルーカスさんとの婚約のことを思い浮かべた時に感じるもやもやとした部分もはっきりするだろうか。


 内心で色々と考えてから、改めてブランシュ村から皇宮に帰った時……。


 きちんとルーカスさんと話し合おうと心に決めて、運ばれてきた食後のデザートを食べるために私は専用の木のスプーンを手に取って、チーズケーキを一匙分ひとさじぶんすくった。



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