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第1-2話 落ちてた神様

「ったく、痛てぇな……」


 和也は美貴にひっぱたかれた顔をさすりながら、マンションの廊下を歩いていた。


 ……また会えて嬉しかった。あれは正夢だったのか……。


 思えばなんでこんな粗暴な女とくっついたのか、自分でもよく分からない。

 でも、イヤんなるほど、アイツが好きだ。

 三年ぶりに会った美貴は、別れた頃よりずっと綺麗になっていた。元から可愛いかったけれど、色香が増したというか、その……、


『エロくなった』


 だいたい、タンクトップにショートパンツってなんだよッ、反則だッ! そんな格好で現れたら、『襲いたくなるだろおぉぉッ!』

 と、和也は心の中で全力シャウトする。


 ……美貴、もしも許してくれるなら、お前を全力で愛したい。……昔のように。

 でも、俺にそんな資格は…………ない。


 和也は、苦虫を噛み潰したような顔で、エレベーターを降りた。一階フロアから、よく冷えた空気が自分と入れ替わりにゴンドラの中へと流れ込む。


 ちょっとリッチなエントランスホールには、大ぶりな生け花と、ソファがしつらえてあった。配達でしか見ないような場所。自分には無縁の場所。そこが、かつての恋人、美貴の新居だった。



     ◇



 和也がマンションの外に出ると、必要以上に温められた湘南の潮風と太陽が出迎える。首都圏において、これほどまでに夏を体現した場所はないだろう。

 しかし、和也は夏がキライだった。

 夏なんて、湘南に住む金持ち連中にとっては、ただの生活のスパイスだろう。だが貧乏人の自分には、ただただ不快なだけで、さっさと通り過ぎて欲しいだけの季節だった。


「ん? 子供……?」


 さっきマンションの駐車場に停めた、ピザ屋のバイクの向こう側に、誰かが倒れている。和也は慌てて駆け寄った。


「おい、しっかりしろ! 大丈夫か?」


 焼けたアスファルトの上に転がっていたのは、中学生ぐらいの色白銀髪の男の子だった。この暑いのに帽子も被らず遊んでいたようだ。半袖短パンから露出した肌が、真っ赤に焼けている。


「う……うう……」


 少年に呼びかけると、わずかに意識があり、口をぱくぱくしている。

 和也は少年を抱き上げると、マンションのエントランスホール脇の日陰に寝かせた。オートロックのドアが開かずとも、多少は冷気が漏れてくる。炎天下に置いたままよりはマシだった。


「いま冷やしてやるから、待ってな」

「う……ん」


 和也はバイクのトランクを開けると、保冷用の氷袋とペットボトルのミネラルウォーターを持ってきた。彼は氷をいくつかのビニール袋に分けると、少年のわき、太股のあいだ、首、頭に置いて少年を冷やしはじめた。


(処置が間に合えばいいが……)


 しばらくして少年がふう、と長く息を吐き出すと、表情が少し楽になったように見えた。和也はペットボトルのふたを開けると、「飲めそうか?」と訊ねた。


 少年がこくりと小さく頷いたので、和也は彼の頭を自分の膝にのせ、少しづず水を飲ませた。あいかわらず少年の目はうつろで、視点は泳いでいた。


「これ舐めてな。塩タブレットだ。水飲んだだけじゃ脱水おさまらねえから」

 和也は私物のアメをポケットから取りだし、少年の口にねじこんだ。


 応急処置はやらないよりはマシだが、脳が既に煮えていたら手の施しようがない。出来ることはした。あとはプロを呼ぶのが妥当だろう、と判断した。


「名前、言えるか? 家の電話番号は? いま救急車呼ぶから――」

「待って。呼ばなくて……いい。家の人を呼んで……」

「だけど重症だったらマズイだろ」

「家に……電話して。必要なら、家の人が救急車呼ぶ……ならいいでしょ」

「ちッ、しょうがねえな。家は?」

「ひの……やま、じんじゃ」

「神社?」

「番号は――」



     ◇



 和也が神社に電話をすると、ものの数分で彼の家族が飛んで来た。

 マンションの駐車場に滑り込んできたのは、氷ノ山神社と車体に書かれたミニバンだった。その車から降りてきたのは――。


「すいませーん、うちのご祭神がお世話に……って、あれ?」

「あ、薫? え? その巫女さんの格好はなに……」

「あれえ、和也くん。ひさしぶり」


 薫は、美貴や和也と高校時代のクラスメートだった女性だ。


「おうひさしぶり……、って、そうじゃなくて、救急車は? 呼んだのか?」

「大丈夫よ、少し冷やせば治るから」

「マジかよ……」

「か、薫ちゃん」


 少年がむくりと体を起こした。

 薫ちゃんと呼ばれた巫女さんは、つかつかと少年に近寄った。


「だから言ったじゃない李斗! 日中勝手に出歩いたらダメって。おまけに帽子も水筒も持って行かずに出かけて! 挙句の果てに人様に迷惑までかけて! 今日はアイス抜きだからね!」


「あ~~~~、ゆるしてえ~~~~」


 ものすごい剣幕で怒る薫に、ご祭神だの李斗だの呼ばれた少年は、まるで命乞いでもするかのように、地面に座り込んだまま、手を合わせて許しを乞うている。


「あ……すっかり大丈夫そう、だな。なあ薫、この子ダレ?」

「ああ、えーっと、親戚の子」

「かーおーるーちゃん!」

「李斗は黙ってなさい! アイス二日抜きにされたいの?」

「ちぇ」

「和也くん、悪いんだけど、この子を後ろの席に寝かせてくれない?」

「おう、任せとけ」

「歩ける~」

「李斗はだまんなさい!」


「まあまあ、まだぐったりしてんだから、あんま怒りなさんな。坊や、いま車乗せてやるからな」

 和也は、少年をゆっくりと抱き上げた。


「ううう……わるい、和也」

「ん? もう名前覚えてくれたのか。はは。今度はちゃんと帽子かぶって出かけるんだぞ」

「うん……」


 和也は、車の後部座席に少年を横たわらせると、彼女に訊いた。


「なに、いま神社でバイトしてんの?」

「まあそんなとこかな。和也くんは……仕事中だったかな? ごめんね迷惑かけて」

「いやそんなの別に。それより、美貴が帰ってきたんだ。このマンションにいる」

「え、ここに? 私も聞いてなかった。そっか……」

「バタバタしてて連絡するの忘れてたんだろ。そんなに気にすんな」

「ありがとね和也くん。お礼はまた近いうちに」


「気にすんな。これバイト先。なんかあったら店に電話くれや」

 和也は店のチラシを薫に手渡した。


「ありがとう」

「俺も後で連絡するから。じゃあ、気をつけて」

「うん。またね」


 和也は神社の車を見送った。

「氷ノ山神社……って言ってたか……。あ、そういえば……」


 和也は急に、ある大事なことを思い出した。



     ◇



 和也は深夜仕事が退けた後、その大事なことの舞台となった場所を、数年ぶりに訪れた。やたら階段ばかり長い、寂れた神社だ。

 入り口の石碑には、氷ノ山神社と書いてある。


「薫に後で連絡するっつって、結局こんな時間になっちまったな……。これじゃもう顔を出すのもアレだろう……」


 仕事で疲れた和也の体には、やたら長い階段がキツく、上に着くころには汗が滝のように流れていた。化繊混じりの薄いシャツは肌にべったりくっつくし、蒸れた草の匂いが湿気と一緒に体に纏わり付いて、不快感MAXだ。


 夜中の神社でちょっとばかし薄気味悪い思いをしながら、彼は大きな銀杏の木の下で思い出に浸っていた。


 ――ここで十年前、美貴にプロポーズした。


 告白もせず、いきなり求婚したもんだから、どえらく怒られたっけ。

 でもあの時の自分は、結婚=大事な人とずっと一緒にいるって約束、って親に聞かされてたもんだから、そのつもりで言っただけだったのに。


 この十年、その気持ちは一ミリも変わっちゃいない。一途だとか純愛だとか、そんな綺麗事ではなく、ただただ単純に、物心ついた頃からずっと共に育ったアイツが大事で、この先も一緒にくっついてるのが当たり前で、それが自分達にとっての幸せなんだ、……と思いこんでいた。


 別々に生きるなんて選択肢は、自分の中にはカケラもなかった。……ただそれだけのことだった。今にして思えば、きっと自分は家族が欲しかったんだろう。母親と二人暮らしだったから。

 だけど結局、美貴を手放した――――。


 和也の思い出は、今でもずっと彼を苦しめ続けていた。

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