目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第2-1話 豪快ハバネロくんピザLサイズ

 翌日の昼。


 美貴の母が、なんとまたピザを注文をしてしまった。和也の勤めるピザキャットの激辛メニューを気に入ったからだ。

 この事態を招かぬため、他にもデリバリー出来そうな店のメニューを数枚、美貴が事前にリビングのテーブルの上に広げておいたにも関わらず、である。

 で、よりによって今日も和也が配達に来ている。彼の声は一階エントランスのインターホンで既に確認済だった。


(もー、なんてことしてくれたのよ!)


 美貴は頭を抱えた。

 一体どんな顔をすればいいのか。

 リビングを出て、とぼとぼと廊下を歩き、玄関に向かう。

 ホントにかんべんして欲しい、というのが正直な気持ちだった。


『ピンポーン』

「ピザキャットでーす」


 とうとう和也が部屋の前に到着してしまった。

 ドアの向こうから彼の声が聞こえる。


(いやだいやだいやだいやだいやだ、開けたくない!)


『ピンポーン』


 ぐずぐずしていたら、また呼び鈴を押されてしまった。

 リビングの方から、はやく出なさいと母親が言う。


(自分が頼んだんだから、自分が出ればいいのに……)


 美貴は覚悟を決めてこそっとドアを開ける。

 約五センチほど。


「毎度ー、ピザキャットでーす」

 和也がドアの隙間から、抑揚のない声でダルそうに棒読みした。


 ――バタン!

 思わず、反射的に閉めてしまった。

 やっぱり生理的に受け付けない。


「コラ、開けろ! 美貴! 無銭飲食で通報されたくなければ今すぐ開けろ!」

 和也がドアをバンバン叩いている。


「うるさい!」


(わかってるよ。コイツの言うことは、ごもっともなんだって。でも……)


「俺が憎い気持ちは分かる! だが、今は仕事で来ているんだ! 俺じゃなく、ただのピザ屋のバイトだと思って、ここを開けてくれ!」


「ヤダ!」


「ヤダじゃねぇ! 分かってて電話したんだろうが! 確信犯に情状酌量の余地はねぇ! 通報される前に、速やかにここを開けろ!」


「通報はヤダ! でも開けない!」


「いいから落ち着け! どうせこんな激辛ピザ頼んだの、おばさんだろ? 自分の母親を犯罪者にしてもいいのか?」


「でもぉ……」


「俺はいくら憎まれても構わん! だが、店に損害を与えたら、お前でも容赦しねぇぞ!」


 なに騒いでんのよ! と奥から声がする。

 ドア越しに怒鳴り合ってるのはご近所迷惑なのは分かってる。

 だけど――。


 いよいよ開けないとマズイ……。美貴は渋々ドアを開けた。


「おい、チェーン。これじゃピザ縦んなって、ぐちゃぐちゃだろうが。……いいから速やかにドア全開にしろ、美貴」


「う……」

「はーやーく! 休日で忙しいんだから!」


 ガチャガチャ。

 美貴はドアチェーンを外した。


「ドアも! こっちゃ手ぇ塞がってんだよ!」

「……開けた」


「ったく、手間かけさせやがって……。ホレ、コッチが豪快ハバネロくんピザLのハバネロ増量だ。はっきり言ってコイツは普通の人間にとっても劇物だ。お前は絶対に死んでも食うなよ。特に付属のソースはアウトだ。床のたうち回って悶死するレベルだ!」


「げ……」

「で、おそらくお前のはこっちの激甘だろ」


 和也は、脳天パラダイスカクテルスイートピザを差し出した。


(まぁ、そうなんだけど。ったく、好みを覚えてるって、激ムカつく)


「はい、ジャストね」

 美貴は代金を和也に渡した。


「丁度っすね、ありあとっしたー」

 和也は代金を受け取ると、定型文を棒読みし、腰のポーチに金を詰め込んだ。


「き、昨日は…………ごめん」

「あ? 気にしてねぇよ。お前には嫌われて当然だろ。仕事に支障はない」

「そんな……」


「あ、忘れるところだった。これ、昨日の釣り銭だ」

 和也はポーチから茶封筒を引っ張り出した。


「お釣りいらないって言ったでしょ、そんなはした金、チップにでも何でもすればいいじゃない!」

 イラついていた美貴は、和也に強い語気で返した。


 すると、急に和也の態度が変わった。

 怒りを抑えながら、低くうなるような声で和也が言った。

「……はした金、だと?」


「え?」

 彼の豹変に、美貴は困惑を隠せなかった。


「この金、誰が稼いだものだ」

「えと……、母親、だけど……」


「こン中にゃなぁ、俺の四時間分の時給が入ってる。てめぇで稼いだこともないヤツが、はした金なんて言葉、使うんじゃねぇ!」


 そう叫ぶと、彼は茶封筒を床に叩きつけた。


「ひっ」


 美貴は思わず、声を上げてしまった。

 和也は乱暴にドアを閉めると、無言で立ち去った。


 ――何をそんなに怒る必要があるんだろう?

 美貴には彼が腹を立てた理由が分からなかった。



                  ☆


そして、また翌日――。

「毎度ー。ピザキャットでーす」

 今日もピザキャット茅ヶ崎店の配達員は、和也だった。


 美貴の家では、またまた昼食にピザを注文をしてしまった。

 今度は自分で店に電話をかけて。


「豪快ハバネロくんピザLハバネロ増量お待たせしましたー」

 和也は極めてダウナーなテンションで棒読みする。あからさまに不機嫌な顔で、保温袋からピザの箱を取り出した。


「はい、ジャスト二千八百六十円ね」

 美貴は即代金を手渡す。今回もきっちり釣り銭ナシだ。


「丁度っすね、ありあとっしたー」

 とこれまた棒読みで金を受け取り、集金用ポーチに押し込む和也。美貴は下駄箱の上にピザの箱を置いた。


「……で。どういうつもりだ?」

 和也は呆れ半分不愉快半分に言うと、目深に被った帽子のつばの隙間から覗き込むように美貴を睨んだ。


「指名までしやがって、恥ずかしいだろっ」

「ご、ごめん……。あのさ……」

「週末で忙しいんだ。早く言え」


 美貴はもじもじしながら、

「……こないだ、ぶってごめん」


「もう気にしてない。それだけか?」

「お金の……こととか」


「俺も気が立ってただけだ。もう気にするな」

 まるで遠い過去のことのように、かすれた声で言う和也。


「えと…………。和也、あんまり幸せそうじゃないね……。疲れてるっていうか……」


 彼はふぅ、とため息をつくと、かもな、とまるで独り言のように呟いた。


「お前はどうなんだ?」

「微妙」


「微妙……、ってホント微妙な返事だな。で、いま男はいるのか?」

 和也は自分で尋ねておきながら、聞きたくなさそうに顔を背けた。


「いるわけないでしょ。……ったく、誰のせいだと思ってんのよ」

「……え?」


 和也は意外そうな顔で美貴を見た。


「誰かのせいでトラウマになって、男が作れなくなったっつってんのよ! このバカ!」


 和也は肩を落とし、すまないとポツリと言うと、

「それじゃ……お前、幸せになれないじゃんか……」

 とまた独り言のように呟いた。


 ――幸せ……?


 その意味を美貴が尋ねようとしたとき、彼のスマホが鳴った。


「ごめん、帰ってこいって。もう指名すんなよ。用がある時は俺のスマホに……、ってとっくに番号消してるか」


 和也は下駄箱のピザの箱に何かを書き込むと、じゃぁなと言ってそそくさと出て行った。


 ――ヨリ戻したがってるのかな……。でも、その前にやる事があるんじゃないの?


 美貴は憮然としながら、遠ざかる和也の足音を聞いていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?