翌日の昼。
美貴の母が、なんとまたピザを注文をしてしまった。和也の勤めるピザキャットの激辛メニューを気に入ったからだ。
この事態を招かぬため、他にもデリバリー出来そうな店のメニューを数枚、美貴が事前にリビングのテーブルの上に広げておいたにも関わらず、である。
で、よりによって今日も和也が配達に来ている。彼の声は一階エントランスのインターホンで既に確認済だった。
(もー、なんてことしてくれたのよ!)
美貴は頭を抱えた。
一体どんな顔をすればいいのか。
リビングを出て、とぼとぼと廊下を歩き、玄関に向かう。
ホントにかんべんして欲しい、というのが正直な気持ちだった。
『ピンポーン』
「ピザキャットでーす」
とうとう和也が部屋の前に到着してしまった。
ドアの向こうから彼の声が聞こえる。
(いやだいやだいやだいやだいやだ、開けたくない!)
『ピンポーン』
ぐずぐずしていたら、また呼び鈴を押されてしまった。
リビングの方から、はやく出なさいと母親が言う。
(自分が頼んだんだから、自分が出ればいいのに……)
美貴は覚悟を決めてこそっとドアを開ける。
約五センチほど。
「毎度ー、ピザキャットでーす」
和也がドアの隙間から、抑揚のない声でダルそうに棒読みした。
――バタン!
思わず、反射的に閉めてしまった。
やっぱり生理的に受け付けない。
「コラ、開けろ! 美貴! 無銭飲食で通報されたくなければ今すぐ開けろ!」
和也がドアをバンバン叩いている。
「うるさい!」
(わかってるよ。コイツの言うことは、ごもっともなんだって。でも……)
「俺が憎い気持ちは分かる! だが、今は仕事で来ているんだ! 俺じゃなく、ただのピザ屋のバイトだと思って、ここを開けてくれ!」
「ヤダ!」
「ヤダじゃねぇ! 分かってて電話したんだろうが! 確信犯に情状酌量の余地はねぇ! 通報される前に、速やかにここを開けろ!」
「通報はヤダ! でも開けない!」
「いいから落ち着け! どうせこんな激辛ピザ頼んだの、おばさんだろ? 自分の母親を犯罪者にしてもいいのか?」
「でもぉ……」
「俺はいくら憎まれても構わん! だが、店に損害を与えたら、お前でも容赦しねぇぞ!」
なに騒いでんのよ! と奥から声がする。
ドア越しに怒鳴り合ってるのはご近所迷惑なのは分かってる。
だけど――。
いよいよ開けないとマズイ……。美貴は渋々ドアを開けた。
「おい、チェーン。これじゃピザ縦んなって、ぐちゃぐちゃだろうが。……いいから速やかにドア全開にしろ、美貴」
「う……」
「はーやーく! 休日で忙しいんだから!」
ガチャガチャ。
美貴はドアチェーンを外した。
「ドアも! こっちゃ手ぇ塞がってんだよ!」
「……開けた」
「ったく、手間かけさせやがって……。ホレ、コッチが豪快ハバネロくんピザLのハバネロ増量だ。はっきり言ってコイツは普通の人間にとっても劇物だ。お前は絶対に死んでも食うなよ。特に付属のソースはアウトだ。床のたうち回って悶死するレベルだ!」
「げ……」
「で、おそらくお前のはこっちの激甘だろ」
和也は、脳天パラダイスカクテルスイートピザを差し出した。
(まぁ、そうなんだけど。ったく、好みを覚えてるって、激ムカつく)
「はい、ジャストね」
美貴は代金を和也に渡した。
「丁度っすね、ありあとっしたー」
和也は代金を受け取ると、定型文を棒読みし、腰のポーチに金を詰め込んだ。
「き、昨日は…………ごめん」
「あ? 気にしてねぇよ。お前には嫌われて当然だろ。仕事に支障はない」
「そんな……」
「あ、忘れるところだった。これ、昨日の釣り銭だ」
和也はポーチから茶封筒を引っ張り出した。
「お釣りいらないって言ったでしょ、そんなはした金、チップにでも何でもすればいいじゃない!」
イラついていた美貴は、和也に強い語気で返した。
すると、急に和也の態度が変わった。
怒りを抑えながら、低くうなるような声で和也が言った。
「……はした金、だと?」
「え?」
彼の豹変に、美貴は困惑を隠せなかった。
「この金、誰が稼いだものだ」
「えと……、母親、だけど……」
「こン中にゃなぁ、俺の四時間分の時給が入ってる。てめぇで稼いだこともないヤツが、はした金なんて言葉、使うんじゃねぇ!」
そう叫ぶと、彼は茶封筒を床に叩きつけた。
「ひっ」
美貴は思わず、声を上げてしまった。
和也は乱暴にドアを閉めると、無言で立ち去った。
――何をそんなに怒る必要があるんだろう?
美貴には彼が腹を立てた理由が分からなかった。
☆
そして、また翌日――。
「毎度ー。ピザキャットでーす」
今日もピザキャット茅ヶ崎店の配達員は、和也だった。
美貴の家では、またまた昼食にピザを注文をしてしまった。
今度は自分で店に電話をかけて。
「豪快ハバネロくんピザLハバネロ増量お待たせしましたー」
和也は極めてダウナーなテンションで棒読みする。あからさまに不機嫌な顔で、保温袋からピザの箱を取り出した。
「はい、ジャスト二千八百六十円ね」
美貴は即代金を手渡す。今回もきっちり釣り銭ナシだ。
「丁度っすね、ありあとっしたー」
とこれまた棒読みで金を受け取り、集金用ポーチに押し込む和也。美貴は下駄箱の上にピザの箱を置いた。
「……で。どういうつもりだ?」
和也は呆れ半分不愉快半分に言うと、目深に被った帽子の
「指名までしやがって、恥ずかしいだろっ」
「ご、ごめん……。あのさ……」
「週末で忙しいんだ。早く言え」
美貴はもじもじしながら、
「……こないだ、ぶってごめん」
「もう気にしてない。それだけか?」
「お金の……こととか」
「俺も気が立ってただけだ。もう気にするな」
まるで遠い過去のことのように、かすれた声で言う和也。
「えと…………。和也、あんまり幸せそうじゃないね……。疲れてるっていうか……」
彼はふぅ、とため息をつくと、かもな、とまるで独り言のように呟いた。
「お前はどうなんだ?」
「微妙」
「微妙……、ってホント微妙な返事だな。で、いま男はいるのか?」
和也は自分で尋ねておきながら、聞きたくなさそうに顔を背けた。
「いるわけないでしょ。……ったく、誰のせいだと思ってんのよ」
「……え?」
和也は意外そうな顔で美貴を見た。
「誰かのせいでトラウマになって、男が作れなくなったっつってんのよ! このバカ!」
和也は肩を落とし、すまないとポツリと言うと、
「それじゃ……お前、幸せになれないじゃんか……」
とまた独り言のように呟いた。
――幸せ……?
その意味を美貴が尋ねようとしたとき、彼のスマホが鳴った。
「ごめん、帰ってこいって。もう指名すんなよ。用がある時は俺のスマホに……、ってとっくに番号消してるか」
和也は下駄箱のピザの箱に何かを書き込むと、じゃぁなと言ってそそくさと出て行った。
――ヨリ戻したがってるのかな……。でも、その前にやる事があるんじゃないの?
美貴は憮然としながら、遠ざかる和也の足音を聞いていた。