目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第2-2話 縁結びの神

 ――非常にゆゆしき事態だ。これじゃ俺が何のためにアイツと別れたのか分からなくなっちまう。とにかく、何か手を打たないと……。



 和也は、仕事上がりに『氷ノ山神社』にやって来た。自宅からも程ちかく、子供の頃は美貴とよく遊びに来ていた思い出の場所だ。


 先日助けた子どもと、元クラスメートの薫がここにいるはずだ。しかし既に日付が変わろうという時刻、社務所に顔を出すのは憚られた。


 店の先輩曰く、氷ノ山神社は縁結びに絶大な御利益があって、地元のナンパ師の間で密かに語り継がれているそうな。そんな話丸々信用するわけじゃないが、今の自分に出来るのは神頼みくらいだ。



 その日の晩は熱帯夜で、やけに草の匂いが鼻につく。

「また夜中になっちまったな……」


 和也は疲れた体を引き摺って、だらだらと石段を上がった。

 夜中の神社でちょっとばかり薄気味悪い思いをしながら、本殿前の古びた賽銭箱に小銭を投げ込み柏手かしわでを二つ。願い事をしようとしたその時――。


「ひっ」


 背後から気配がして振り返ると、夜中にも拘わらず、神主の格好をした中学生くらいの少年が立っていた。

 深夜なせいか、実体があいまいなその少年は、どこかしら怒っているようだ。


(えっと……。どこかで見たような……?)


「……誰だ」

 とりあえず正体を確かめようと、その少年に誰ぞと尋ねると、奴は玉砂利を踏みながら自分に近づいてきた。


「やっぱ覚えてないかぁ、昔一緒に遊んだのになぁ。ねぇ、十年前、キミそこでプロポーズしたろ? ボクその時立ち会ってたんだけどさ、彼女とはもう結婚したの?」


「立ち会い……?」


 確かに自分はここで美貴にプロポーズをした。だが子供の頃の記憶はあいまいで、誰かがそれに立ち会ったという覚えがない。しかし、こんなこと、自分たち以外に知っているとは思いづらい……。

 この少年は一体何者なのだろう?


 和也が必死に記憶を手繰っていると、怒気を孕んだ声で少年が自分を詰めてきた。


「どうなのさっ」

「う…………」

「む、まさか。美貴ちゃんと別れたの?」

「好きで別れたわけじゃねぇよ! ……って何で美貴のこと知ってんだよ」

「だから十年前に立ち会ったって言ってるじゃんか」

「知るか。だいたい、誰なんだよお前」

「ちょっと待ってよぉ。それじゃボクの査定に響くじゃんかぁ。ちゃんとくっついてもらわないと困るんだけど?」


 さすがにここまで訳が分からない相手だと、幽霊か何かじゃないかと思えて来た。


「ワケわからん事言うな。一方的に捨てたんだ。今さら結婚なんて出来るワケないだろ!」


「まだフリーなら、謝って許してもらえばいいじゃんかぁ」


「未だフリーかどうか分からん。それに貯金残高ゼロの、しがない非正規雇用労働者だ。こんな甲斐性無しが求婚出来るかっつーの」


「でもキミは、未練たらたらなんでしょ?」

「そりゃ……、まぁ…………」

「じゃぁ――」


「ダメ! ダメダメダメ! 事情はどうあれ、あいつを裏切ったんだ。俺にゃ資格はねぇよ」


「ふむぅ、和也ってめんどくさいな、もぅ~」

「んじゃ、ほっとけよ!」

「それじゃボクの査定がぁ~」

「だから何なんだ、その査定って!」

「まーそんなのどうだっていい。ホラ、これ持ってけ」


 少年は白ウサギのマスコットを差し出した。


「和也、自分の気持ちに正直になれたら、あの子にこれを渡すんだ。いいな?」

「はぁ、なんだコレ」


 和也は半信半疑で少年からウサギを受け取り、まじまじと見た。裏返すと赤いちゃんちゃんこの背中に『恋愛成就祈願 氷ノ山神社』と金文字が織り込んである。


「これ、お守りなのかよッ」

 と突っ込むと、いつのまにか怪しい少年はいなくなっていた。


 ――もしかして、やっぱり幽霊か、それとも神様……?


 和也は薄気味悪い気分のまま、ムダにラブリーなお守りを上着のポケットにねじ込んで、長い階段を駆け降りた。



                  ☆



「で……。今日は何の用だ? あんまりカジュアルに呼び出されるのも困るんだが」


 翌日の深夜。

 美貴の自宅の玄関先でぐったりした様子の和也が、下駄箱にひじをついてなげやりに尋ねる。

 今度は出前ではなく、直接電話で呼び出されたのだった。

 そして現在は勤務時間外である。


「聞きたいことがあって……」

「何でも聞いてくれ。で、さっさと家に帰してくれよ。……朝から働きづめで疲れてんだ。眠い」


 かなりのハードワークだったようで、彼の疲労感が空気感染しそうだった。


「手短に言うと……。別れた理由ってナニ?」


 急に和也の顔が険しくなった。


「ごめん……。それだけはかんべんしてくれ」

「何でもって言ったじゃん!」

「少なくとも、お前が原因じゃない。だから、心置きなく男を作れ」

「はぁああ?」


 予想外の回答に、美貴は頭のどこかでブチっと何かが切れる音がして、気付いたら和也の胸ぐらを掴み、襟首を締め上げていた。


「何か隠してるでしょ! 正直に言いなさい」

「ぐ……、い、いや……だ」

「もっと絞める?」

「殺されても……言わねぇよ」


 仕方なく手を放すと和也はその場に崩れるようにへたりこんだ。昔から内に溜め込む質だったけど、こうなると絶対に口を割らない。


「あんたさ……。私とヨリ、戻したいんじゃないの……?」

「あ……? そうだったのか……」


 彼はよろよろと立ち上がると、

「勘違いさせちまって悪かったな……すまん」と力なく言いながら、後ろ手にドアノブに手をかけた。


「ちょっと、待ちなさいよ!」

「もう呼び出すな。早く男作れよ……」


 捨て台詞を残し、和也は出て行った。足早に立ち去る彼の靴音が、夜中の廊下に響く。


 ……ホントに帰っちゃった。どうやら私の見当違いだったみたい。なら、なんであんな思わせぶりなことするんだろう……。


「ん? なんだろ」


 玄関のタタキに、見慣れないウサギのマスコットが落ちていた。どうやらさっき和也が落としていったらしい。

 似合わないなあ、と思いつつ拾い上げると――。


「ちょっっっっ! こ、これはっっ! アイツ、なんてお宝を持ってたのよ!」



 それは、地元茅ヶ崎で都市伝説的に語られる幻の逸品、『兎の護符ごふ』。

 とある神社で売られているが、滅多に社務所に人がおらず購入自体が不可能に近い。その入手難易度の高さから御利益も伝説級で、ひとたびオークションに出回れば、数十万で取引されるという。



「あっ……」


(恋愛成就祈願……?)


 どうしてアイツが? もしかして、自分とヨリを戻したいから? それとも、誰か好きな人が出来たから? 美貴の頭をぐるぐると色んな可能性が過っていく。


(誰か………………?)


 自分ではない誰かが和也と――。

 美貴がそう思ったとき、寒気と怖気の混ざったような、ひどい嫌悪感が体を駆け回った。


 ――どうして? もう終わったハズでしょ? あいつは私を裏切ったんだ。裏切って、さんざん傷付けたはずなのに……。憎いはずなのに、誰かに取られるのはイヤなの? わからない、わからない、わからない……。


 よくよくウサギを見てみると、以前住んでいた家の近くの神社で売っているものだった。たぶん、あの夢の場所だろう。


――そうか、縁結びの神社だったんだ。だから和也は、あそこで……。そうだ、明日あの神社に行ってみよう。


 美貴は久しぶりに、思い出の場所を訪れることにした。



                  ☆



 美貴の家を後にした和也は、気づくと例の神社の前に来ていた。私物のバイクを路肩に停め、ヘルメットを脱いでサイドミラーに引っかけた。


「あ……、やべ。落としたか?」


 和也は、ポケットにあのウサギのマスコットの感触がない事に気が付いた。

 恐らく美貴に締め上げられた時にでも落としたのだろう。


 確かに目的の相手には届きはしたが、いかんせん己の気持ちは準備中のままだ。

 さて、どうしたものか……。


 長時間勤務と暑さで疲れた体を引きずって、神社のクソ長い石段を上がる気力は既に無く、彼は最下段に座り込み煙草に火を付けた。

 ふー、と疲れと共に煙を吐き出す。


「ねーねー、美貴ちゃんとヨリ戻ったぁ?」

 いつの間にやら、目の前にあの和服の怪しいガキが立っていた。

 コンビニ袋をぶら下げてアイスをかじっている。


 ……呑気な奴だ。この夜中に買い食いかよ。


「昨日の今日で戻るかボケ! つーか、戻すつもりもねぇよ」

「それじゃぁ困るんだってばぁ。僕にも立場ってもんがあ」

「うっせえなあ」

「ヨリ戻してよお~~~」


 ただでさえ、美貴に八つ当たりしたばかりで気が立っているってのに、このガキは神経をガリガリと逆なでしやがる――。

 確かに和也の八つ当たりだった。『貧乏人』、の。


「そんなに言うなら、俺の収入でも増やしてみせろよ!」

「それ、専門外だもん」

「たく、さっさとあっち行け。休憩の邪魔すんな」


 和也は鬱陶しそうに怪しいガキを、しっしと追い散らした。


「たのむから、美貴ちゃんと復縁してよぉ~」

「出来るか、ボケ!」

「そうそう、アレ渡した?」


 もう一度ふーっと煙を吐き出すと和也は、

「踏ん切りつかねぇうちに、向こうの手に渡っちまったよ……」と半ば独り言のように言った。


「じゃ、今から素直になればいいじゃん。ホラ、これ食えよ、和也」


 子供は袋の中からアイスを一本取り出して和也に差し出した。

 いらねぇよと手を上げたが、奴がアイスを「んっ」と押しつけてくる。どうやら拒否権はないらしい。


 奴が何者かなんて疲れた頭で考えるだけでもうっとおしい。

 妖怪なのか幽霊なのか神なのか……。


 和也は目の前の子供のことが、もう、どうでもよくなってきた。


「んなこと言ったってよ……」


 ……物理的にムリなんだよ……、俺の願いは。


 和也は仕方無く煙草を御影石の階段で消すと、ラムネ味のアイスを受け取って、渋々食べ始めた。


「当たり棒だったら、賽銭箱に入れといてよ」

「ん。当たったらな」


 ふと顔を上げるともう奴はおらず、いつのまにか階段のかなり上の方を猫と一緒に歩いていた。

 半ばかじられたアイスの中から『当たり』の文字が覗く。


「ち、めんどくせぇな……」

 和也はよっこらしょ、と年寄りみたいに腰を上げた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?