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第77話


 レイシアはデリンを今さら牢獄に入れるつもりはないようだった。

 人目を避けて十年も一人でひっそり暮らす姿になにか思うものがあったのかもしれないし、王妃自身に全ての責を問うつもりなのかもしれない。ラナベルにはその心情を全て推し量ることは出来なかった。自分なんかが推し量っていいものだとも思わなかった。

 話を終えたデリンは、憑きものが落ちたような顔をしていた。

 いまさら罪には問わないが警備隊での聴取には応じるよう強く言われると、素直に頷いて見せた。その横顔は、むしろ肩の荷が下りて安心しているようにも思えた。

 改めて警備隊を混ぜて話を聞きに来ると言い置き、ラナベルたちは一度村を離れた。

 レイシアに警備隊を動かす権限はないため、ここからはナシアスが主導する形になるだろう。

 来るときに使用した宿で同じように一泊し、先に王宮へ向かうと言うナシアスとは途中で別れた。

 邸に送り届けられるまで、ラナベルは一度も口をきかなかった。

 いくらレイシアから物言いたげな視線を向けられても、隣り合った馬車の中でそっと手を握られても。視線には気づかぬ振りをして、手は握り返さず、ただただ青白い顔で俯いていた。罪状を言い渡されるのを待つ罪人のように粛々と。

 セインルージュの邸には、日が暮れる頃に到着した。

 玄関口ではアメリーが今か今かといった様子でラナベルを待っていた。

 ダニアは一度厩舎のほうへと向かい、ラナベルはレイシアの手を借りて馬車を降りる。

「それでは……」

 会釈とともにどうにかそれだけ零して背中を向けると、離れたばかりの手を引き戻された。振り向いた先でレイシアは焦燥した様子だった。

 必死な様子でラナベルの腕を両手で掴み、瞳は一切逸らさずこちらをじっと見つめている。

「道中で会った刺客は王妃の手の者だと思う。きっと逃げた刺客から報告を受けているはずだから身の回りには今以上に気をつけてくれ」

「……はい」

「それと、それと――」

 こくりとレイシアの喉が動く。

「デリンが言ったあの言葉は気にするな。貴族なら神殿を利用するのは当然だろう? だからなにも悪いことじゃない」

 悪いことじゃないんだ、とまるで自分に言い聞かせるようにレイシアはもう一度呟いた。

 動揺して揺れる深紅の瞳はなにを思っているのだろう。ラナベルは考えた。

 傍目には怯えているように見える。それは離れていこうとするラナベルに対してか。それとも突きつけられた真相を直視することにか。

 明言せずに慰めようとする様を見るに、後者かもしれない。

 帰ってくる道中は、押しつぶされそうなほど大きな絶望がひっきりなしに頭の中を駆け回っていたのに今はひどく静かだった。心も頭も静かすぎて、また耳鳴りがしそうだ。

「ラナベル……?」

 表情が抜けて昏く灯る碧い目に急いたレイシアが呼びかける。腕を揺すられ、それまでピクリともしなかったラナベルはようやく息を吹き返したように動いた。

 ふっ、と震えた唇が細い息を吐き出す。それは嗤い声のようでいて、泣き声のようでもあった。

 スルリと引き抜かれそうになった細腕を、レイシアは両手で強く掴んで引き留めた。

「ラナベル、嫌だ。嫌だ」

「私などに触れないでください。……気にするななんて、あなたが言わないでください」

「そうしなければお前は離れてしまうだろう」

「当たり前です。どうして私があなたのそばにいられましょうか? あなたのお兄様を奪った私なんかが!」

 気づけば、自分でも聞いたことのない激情が喉からほとばしっていた。

 思わず身を竦ませたレイシアの隙をつき、腕を引き抜いて距離を取る。視界の隅で、大きな声に驚いて固まるグオンとアメリーが見えた。

「殿下も聞いていたはずです。うすうす分かっていますよね?」

「ラナベル」

「十一年前にデリンの治癒をしたのは私です。彼女の権能が不安定になったのは私の祝福のせいです」

「――ラナベルッ」

「あなたのお兄様が亡くなったのは私のせいです!」

「違う!」

 感情の昂ったラナベルの叫びはさらに大きなレイシアの否定によって覆い被さられた。叫びの余韻が広い庭園に広がり、驚いた鳥がまとめて木々から飛び去る。

 その羽音すら静まりかえったころ、レイシアがラナベルを抱き寄せようとしたので身を翻してそれを避けた。

 傷ついたように名前を呼ばれて胸が痛む。けれど、今あの腕の中に甘んじることだけは絶対に出来なかった。

「これで真相は明らかになります。王妃様のことも、ナシアス殿下が協力している以上問題はないでしょう……もう、私には関わらないでください。協力関係も終わりにしましょう」

 婚約の破棄は追って正式な書面を出すと告げれば、悲鳴のような声で名を呼ばれた。伸びてきた腕を躱し、ラナベルは深く頭を下げた。

「レイシア殿下……申し訳ありません」

「なあ、ラナベル。待ってくれ。話をしよう」

「触れないでくださいっ!」

 涙のにじむ声で懇願すれば、たちまちレイシアは弱った顔で立ち止まった。途方に暮れたように、彼は中途半端に腕を伸ばした状態で立ち竦む。

 その姿が寄る辺をなくした子どものようにも見え、うっかり情に流されそうになる。ぐっと歯を食いしばって堪えたラナベルは、なにも言わずに反転して早足で邸に向かった。

 その背中を迷子のような声で呼びかけながらレイシアが追う。

「ラナベル待って。待ってくれ」

「アメリー。今後レイシア殿下が来ても私には繋がないで」

「かしこまりました。……殿下、どうかご理解をお願いします」

「ラナベル、どうか話を聞いてくれ! ラナベル!」

「殿下。それ以上入られては困ります」

 レイシアとアメリーの押し問答を背に、ラナベルは一度玄関戸を閉めた。

 そのまま早足で自室まで向かい、部屋に入ったところで明かりも点けずに崩れ落ちる。

 さっきまで自分を呼んでいたレイシアの声が、張りついたように耳の奥で繰り返す。

 ラナベルが言ったからと強引に引き留めることも出来ずにいた姿を思い出し、胸が引き攣れそうだった。

 だが、それよりもずっと深く大きくついた傷が鼓動に沿って痛みを主張していた。

「私の、私のせいで……!」

 今までに感じたことのない自責の念を胸に抱え、ラナベルは床に額を押しつけるようにして蹲った。




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