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第50話 田舎

ピリリリリリリリ

 ピリリリリリリリ

  ピリリリリリリリ


ピリリリリリリリ

 ピリリリリリリリ

  ピリリリリリリリ


「もぉー! うっさい! お兄! 起きてってば!! おにいー!」


 ギャンギャンと叫ぶ声に雪緒は思ったるい瞼を持ち上げて数回、瞬きをした。ピリピリうるさい枕元の携帯をノロノロと手にとってアラームを消し、スヌーズを解除する。

 一体何回鳴っていたのかと思えば、スヌーズはすでに5回目という表示がされていた。全然気付かなかった。

「嘘じゃん、全然気付かなかったんだけど」

「こっちはもうノイローゼになりそうなんですけど!」

 ベッドの中でヘラヘラと笑うと、そんな雪緒の事を見ていたのか大きなため息が聞こえてきてようやっとスマホから視線を剥がす。

 流石に、このままSNSをチェックするのは叱られてしまうだろう。

「おはよぉー、春風はるかちゃ~ん」

「はるかちゃ~ん、じゃないわよ! も~何時だと思ってんの? 久々さ実家帰ってきたと思ったらダラダラしてしまって!」

「う~ん。最近にーちゃん忙しかったんだよ……もーちょい寝かして……」

「いーよぉ? ばーちゃんの卵焼き全部食ってしまうんだから」

「ちょっと待てそれは話が別だ」

「5分以内!」

 ガバっと起き上がる兄にケラケラ笑った春風は、脱ぎ散らかしていたスリッパをもう一度つっかけるとパタパタと階段を降りていってしまった。

 田舎の家特有のやけに段差の激しい階段を、よくもまぁあんな風にトコトコ降りていけるものだと、欠伸をしながら思う。

 5分ね、と脳内で確認をしつつ、スウェットごしに腹を掻いてカーテンを開く。

 分厚い遮光カーテンとその向こうの白いレースのカーテンを同時に開くと、うっすら暗かった部屋に一気に光が入り込み、色が宿る。

 田舎の太陽は都会とは違う気がするのは、こういう時だ。都会ではあんなにギラギラしていた太陽が、実家に戻ってくると途端に柔らかく感じるのだから、本当に不思議な事だと思う。

 鷹羽雪緒たかばゆきおは、繁忙期を抜け賞決めの会議を乗り越えると、結局連休に有給を追加して実家に戻ってきていた。

 どこか海外にでも旅行に行こうかとも思っていたのだけれど、やけに疲れていたのとそういえばここ数年実家に戻っていなかったと思って、墓参りがてらに新幹線とバスとを乗り継いでやってきたのだ。

 なんともまぁ、田舎も田舎。

 子供の頃は気にしなかったけれど、窓から見える田んぼだとかすぐ近くにある雑木林だとかを見ると、なんともしみじみとした気持ちになった。

 帰省しようと思ったきっかけなんかは、特にはない。本当になんとなく、なんとなーく実家を思い出したから戻ってきただけのことだ。

 ちょっと仕事で疲れていたとか、なんだか大事なものを失ったように胸がスカスカしているようで落ち着かないとか、そんなんじゃない。

 決して。

 多分。

 自分で自分に言い訳をしてから、雪緒は危なっかしく階段を降りてみんなで食事を食べる居間に向かった。

 あの階段も、子供の頃はスタスタ上り下りしていた気がするのだけれど、何で大人になるとあんなにおっかなびっくりになってしまうのだろうか。

 これが老化か? と思うと少しばかりゾッとしてしまう。少しくらい運動をしたほうがいいだろうか。

 せめても、会社のビルの廊下を少し走って移動するとか階段で移動するとか、そういうことくらいはするべきなのかもしれない。

 雪緒ももうアラサーだ。年の離れた妹である春風はまだ大学に入ったばかりで、彼女とはバネが違いすぎる。

 せめても、妹が成人して初めての酒にフラつかずに付き合えるようにならないと兄としての威厳もクソもないなと、食卓に並べられている懐かしいメニューを眺めつつもう一度欠伸をした。

「もー、欠伸ばっかり」

「5分で起きてこいっつーからだよ」

「まぁまぁ二人共。あさまから元気ねぇ」

 さぁさぁ、食べましょう。

 ピカピカのトマトに軽く塩を振っただけのものに味噌汁、昨日の筑前煮の残りに、焼いた鮭と祖母の特製卵焼き。それから、祖母が持ってきてくれた茹でたてのトウモロコシが今日の朝の食卓だ。

 味噌汁の具は、豆腐とわかめに軽くネギを散らしたものだった。朝から味噌汁……と最初は思っていたけれど、寝起きは意外と内臓が冷えているのか身体があったかくなるし、旨い。

 何より雪緒は、祖母の作るあまーい卵焼きが大好きだ。お菓子みたいに甘いのだけれどおかずとして成立している不思議な味。

 出汁巻きよりも、やっぱり雪緒はコチラの方が好みだった。

 何しろ子供の頃からずっと食べてきた味だ。教わった通りに同じ分量で作っているはずなのに何故か自分で再現するのは難しいから、懐かしくって、嬉しい。

「あ、お兄。ご飯食べたらお父さんとお母さんに挨拶するんだよ」

「わーってるって」

「ほんとかな~」

「ふふふ」

 祖母はニコニコと笑っていて、朝ご飯はもう食べたのか彼女の前には温かい麦茶なんだかわからないが、茶色いお茶が入った湯呑みが置いてあるだけだ。

 だから、雪緒がお椀を差し出すと彼女も笑顔でそれを受け取ってくれて、お味噌汁をもう一杯ついでくれる。

 祖母の味噌汁も、懐かしい実家の味だ。深い味わいの豆味噌の味噌汁は、やはり東京では中々出会えなくって、白味噌や赤味噌、合わせ味噌と色々な味噌を試してみてもなんだか納得が行かずにいたものだ。

 やはり年の功なのか、祖母の食事には独特の味わいがある。故郷の味は、やはり特別なものなのだろう。

 そうして朝ご飯を久しぶりにしっかりと食べた雪緒は、冷凍庫からパイナップル味のアイスを一本取り出すと口に咥えたまま玄関に向かう。

 両親への挨拶をどうしようかと考えて、折角なのだからと実家に戻って来る時に新幹線の駅で買った麦わら帽子を手にとって外に出た。

 白いTシャツにジーンズにサンダルという、なんともラフな格好だ。普段都会でスーツを着ているなんて自分でも信じられなくなってしまうくらい。

「あれ、お兄。どこさ行くの?」

「んー、裏山。やっぱちゃんと挨拶しとこーと思って」

「……春風も行く」

「そ? ならカブ出すか」

「お兄のバイクさ後ろ乗るの久し振りっ」

「アレはバイクっつーのかなー」

 妹も、もうすぐ成人だというのに適当に結んだようなポニーテールに目に痛い赤色のTシャツにハーフパンツと、なんとも田舎の夏休みっぽい格好だ。ポニーテールの根本には使い古されたシュシュがついていて、それには何となく見覚えがある。

 もう少し色気づいてもいいんじゃないかと思わないでもないが、妹がモテても微妙な気持ちになりそうなので、アイスの最後の一口をパクリと食べてから棒だけを何となく歯でしがむ。

 折角顔はいいのだから、結構モテるんじゃないかな、とか思うのだ。実の妹に思う事にしてはギリギリかもしれないけれど、なんだか、なんとなく、友人に紹介したいような、余計なお節介はしない方がいいような、微妙な心地だ。

 まぁそもそも……紹介するような友人なんかは居ないのだけれど。

 じゃあなんで友人に紹介する、なんて思ったのだろうか。そもそも、雪緒の友人では春風にとっては年齢が合わないんじゃないのか。

 はて、と首を傾げて、家の裏のごみ捨てボックスにそのままアイスの棒を捨てて、車庫のキーボックスにあるカブのスペアキーを引っ張り出して、もう何年ぶりかの愛車のカバーを外す。

 この車庫もすっかり春風仕様になってんな、と時間の流れを感じるが、カブはオイル交換くらいしか手を付けていないのか懐かしい感触そのままだった。

 車庫にあるレトロなクラウンも、このカブも、雪緒の父から譲ってもらったものだ。

 車はカクカクしているデザインのものが好きと言い張る兄妹のために、父は毎日毎日息を吹きかけて車の整備をしてくれた。

 妹は確かまだ免許は取っていないはずだから、もしかしたら祖母あたりが買い物に使っているのかもしれないが、この田舎にクラウンは悪目立ちするんじゃなかろうか。

 かといって都会に持っていくつもりもないし、白い車体はどこかこの朝顔のツルも引っ掛かっている車庫に似合っているのでいつか春風が乗れるようになるまでもう少し、祖母の相手をしていてもらおう。

「春風、来るならちゃんと帽子かぶれよ」

「もーかぶった!」

「日焼け止め」

「塗…………ってない!」

 きゃー、と言いながらバタバタと部屋に戻っていく妹の足元を聞きながら、カブを転がして車道に出る。


 父と母の墓のある裏山を見上げれば、絵画みたいに真っ青な空に真っ白な雲がモクモクと立ち上がっていて、まだ夏は終わってなかったのかぁ、なんて、ちょっとだけ思った。

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