「あぁ二人共、起ぎでらったね。今日ちょっとご近所でお葬式が出だがら、アンタだぢも手伝っておぐれ」
「お葬式? え、どこのお家で?」
「アンタも小せえ頃にお世話になった三軒南のばっちゃんよ。いぎなりの事だったらしいがら、ご近所で協力しねぁーど」
「え、あのおばあちゃん? マジか、亡くなったんだ……」
バタバタと忙しく家の中を歩き回る祖母を視線で追いながら、兄妹は時折視線を合わせて「隣のおばあちゃん」を思い出していた。
両親を喪ったばかりの頃、まだ春風は赤ちゃんと言ってもいいくらいの年齢だった。
雪緒は手のかからない年齢にはなっていたけれど、眼の前で両親を喪ったショックというのはやはり大きい。
両親が生きている頃には活発だった雪緒が元気をなくしていく事を心配した祖父母は二人のことをとても気にかけてくれたけれど、しかしどちらを優先するべきか、なんていう議論は決着がつかないものだっただろう。
結果的に雪緒は三軒南のおばあちゃんの家に預けられる事が多くなり、家に居る時間は当時の子供としては短いものだっただろう。あの時期は子供の頃はとても寂しかった記憶があるし、本音だとか弱音に似たものを人に話すのが苦手な大人に育った。
まぁ、そういう非常事態にまだ自分で感情を制御出来ない幼子を優先するのは当たり前だと、雪緒は当時から納得はしている。
けれど、納得している事と受け入れる事は別の話だ。そうやって納得出来たのも、当時は無理矢理「仕方がない」と思い込もうとしていた部分が大きい。
三軒南のおばあちゃんやその娘、果ては孫まで雪緒の事をとても気遣ってくれたけれど、それは結局他人の情だ。大丈夫か、と聞かれても、大丈夫です、と答えるしかない。
さみしくないか、と聞かれても、大丈夫です、と言うしか、なかったのだ。
まぁそれはそれ、これはこれだ。
三軒南のお家では本当に雪緒を可愛がってくれていたし、よくもまぁ同じ年代の孫たちから文句が出なかったなと、今更に思う。
本来であれば祖母の愛情は自分たちに与えられるはずなのに、と思っていても不思議ではないのに、あの家の人々は本当に優しく雪緒を迎え入れてくれた。
あの家で何度も作ってくれたカルメ焼きは、今でも雪緒の好物のひとつだ。
思えば、あの家で甘いものを色々と食べさせてもらったから今の甘党の自分が出来たのではないかと、思う時もある。
特に、おばあちゃんが作ってくれたお手製あんこを挟んだあんことバターのコッペパンは本当に美味しかった。
あれだけは、どんなに食欲がなくっても食べる事が出来たのだ。
お腹が減っていない時にはバターロールで。お腹が減っている時にはコッペパンで作ってくれたあんバターサンド。あのあんこの味は、何度作り方を教えてもらっても結局再現する事が出来なかった。
でも、確か料理上手の友人に頼んで作ってもらった時には、結構似た味になったなと、ふと思い出す。
誰だったっけか。結構親しかった記憶があるのだが、いまいち思い出せない。思い出せたら久し振りに連絡をとってもいいかもしれないと、思ったのだけど。
「なんすればいい?」
「春風はおばぢゃんたぢお手伝いして。雪緒は、力すごどが出来るごった?それがら、夜には
「よ、夜伽?」
その言葉に、一瞬ドキッとしてしまう。
勿論文字通りの意味ではないだろうが、なんて事を言うんだウチのばあちゃんは、なんて一瞬思ってしまった。
反射的に、真面目に話を聞いているフリをして「葬式 夜伽」で検索をかける。机の下で検索をするのは、まぁ、配慮というやつだ。
「あぁ……朝までご遺体に付き添うのか」
「まだそういうのあるんだねぇ」
「あのおえのお孫さんたぢは戻ってこれるがわがんねぁーがらねぇ。雪緒はらずもねぐめんこがってもらったんだがら、付ぎ添ってあげなさいな」
「もう上京してんだ?」
「そらあね」
「いいなぁ~春風も東京行きたい」
「逆になんもねぇけどな、東京」
「都会人め~」
そりゃそうか、俺だってもう上京してんだもんな。納得をしながら、携帯を手元に戻して葬式のマナーなんかを軽く検索し始める。恨みがましい妹の声は、もう無視だ。
妹はよく兄を「都会人」だとか「シティボーイ」だとか言うが、雪緒とてまだ上京して10年も経過していないから、都会に染まっている自覚は無かった。
今だって、油断すると方言が出そうになる時もある。この辺りはそんなに方言のキツくない場所なのに、常に耳に入っているとひっぱられるのだから、危ない。
それにしても、雪緒も喪服は持っていたが流石に帰省に持ってきてはいなかった。突然の事なので仕方がないが、これは遺品としてしまわれている父の喪服を使わないといけないだろう。
両親の衣類なんかは、使えそうなものは未だにきちんと保存がされている。とはいえ流石にタンスの虫よけ剤の匂いが染み付いていそうだなと思ってしまうが、今回は仕方がないだろう。
いくら町内のお手伝い班とはいえ、普段着でウロウロするのは失礼ってもんだろうし。
そもそも、雪緒にはまだお葬式の知識というものがあまりない。
お葬式に出席をしたのなんて両親の葬式以外には、中学の頃に病気で亡くなった同級生のお母さんを見送った時くらいだ。
結婚式にだって参加した回数は片手の半分もないが、お葬式は更にそれ以下だ。
しっかり予習したところで、田舎は独特なマナーがあったりするから全て無駄になったりもしそうだが。
「とりあえず、お酒お願いしてあるがら、雪緒は酒屋さんに寄ってがらご挨拶さ行ってくなんしぇ。おらも準備したらすぐにえぐがら」
「ん、わかった。食器片付けたら着替えて行くわ」
「わ、私も急ぐべき?」
「なんか裏方のが大変そうな気がするけどな、女の人たちってこういう時めっちゃ動いてるイメージあるし」
「それはわかる~! ひゃー、緊張さするわっ」
朝食を妹に用意してもらうかわりに、片付けは雪緒の仕事だ。
急いで米を胃袋に収めた雪緒は、妹も同じように飯を口に入れたのを確認してからサッサと食器を回収してしまう。
健康な若い兄と妹は、朝からおかずを残したりもしない。
片付けたり立ち上がったりしながら元気に「ごちそうさまでした!」と叫びながら、二人はそれぞれに準備を始める。
食器は桶にまとめて突っ込んでから一枚ずつ取り出して洗う。とはいえ、2人分の皿だ。そんなに量はないのであっという間だった。
それから雪緒は、祖母が引っ張り出してくれた父の喪服に腕を通した。子供の頃には大きく見えていた父の服も、こうして身にまとえば誂えたようにピッタリだ。
肩に違和感もないし、袖の長さもちょうどいい。
子供の頃は、絶対追いつけなさそうなくらいに大きいと思っていたのにな。しみじみと考えながら、夏用の半袖シャツは自分が持ってきたものにアイロンをかけて、ネクタイは真っ黒なものをこれも父の持ち物の中から借りた。
いずれこれらも正式に雪緒に譲渡されるだろうが、今はまだ「父のものを借りている」という気持ちでいたい。
ほんの些細な、違いなのだけど。
「んじゃ、酒屋さん行ってくるわ。ばぁちゃんちに集合でいいんだよな?」
「お願いねぇ」
「お兄~、気を付けてね!」
「お前もな。ばーちゃん頼んだぞ」
「アイ、サー!」
下駄箱の上に無造作に投げておいたカブの鍵を握りしめて、財布をどこにしまうか少しだけ手をウロつかせる。
これからカブに乗るのに、尻ポケットに入れておくのは良くないだろう。けれど、この白いシャツの上にジャケットを着るのは、まだ暑いだろうし嫌だ。
かといってバッグを持つのも……と悩んで、雪緒は結局マネークリップだけを胸ポケットに押し込むと、カードや小銭は家に置いておく事にした。
免許証だけはマネークリップにお札と一緒に挟んでおくが、ほかは持っていかない。
御香典は祖母が香典袋を買ってからまとめて持って行くだろうし、その時でいいだろう。
そんな事を考えながらこれも父の黒い革靴を履いて外に出れば、足だけは少しだけ父の方が大きかったのか、一瞬なにかに掴まれたようにつんのめって危うく転びそうになってしまった。