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第65話 轟々

 痛む足を引き摺りながら、雪緒は緊張をなんとか隠しつつ2件目の葬式の手伝いに来ていた。

 2件目は、鷹田さん。

 元々は鷹羽と同じ苗字だったらしいが、ややこしいので少し変えたという来歴のある家だ。つまりは遠縁なのだろうか、と思うが、祖母からはそういう話は聞いたことがない。

 鷹田家での葬式は、いやに静かだった。

 そりゃあそうだろう。まだ若い母親。子供だってまだ未成年で、しくしくと涙を流している。

 何でも交通事故だったらしいが、それも「らしい」止まりなのだそうだ。葬式の後に司法解剖をするとか聞いたけれど、司法解剖ってそういうものだったか? と疑問に思う。

 今の段階で分かっているのは、事故にあった直後にはまだ生きていた可能性が高いが、発見が遅かった、のだとか。

 気の毒な話だ。しかし、この田舎ではあり得ない話でもない。

 何しろこの周辺の街灯は、どれだけあっても薄暗いのだ。確かにいくらかはあるのだが、管理がしっかりしていなくって所々電気が切れている。

 その結果、茂みに倒れてしまっては発見がされなかったのだとか。結局、見つけたのは帰宅が遅い事を心配した旦那さんが探し回っていた時、だという。

 残酷な話だ。

 愛している人の血塗れの姿を、見つけるだなんて、どれだけ辛かった事だろう。

 雪緒は眼の前で家族を喪った経験があるからこそ、余計にその心境を考えてしまって、胸が苦しくなる。あんな経験、しないで済むならしないほうがいいのだ。


 鷹田家は、まるで水の底に沈んだかのようだった。

 あの日まだ赤ちゃんだった子供も、旦那さんも、あの日の後に産まれた子供たちも、みんな棺を前にして泣いている。

 あの棺の中には、ご遺体は入っていないのだと、雪緒は聞いた。

 ご遺体そのものはまだ警察にあって、火葬する時に戻って来るのだと。

 じゃあ、あの棺の中に入っているのはなんなんだろう。

 ぼんやりと、静かに泣いているご家族を見つめながら思う。

 棺の前に置かれている焼香台には、笑顔の、家族写真が飾られていた。子どもたちを抱き締める母親と、その母親の頬にキスをする旦那さん。

 幸せいっぱいの家族といった雰囲気なのに、なんでこんな事に。


「あぁ……雪緒くん。今日は本当に、本当に申し訳ない。助かります」

「いえ。丁度帰省していましたから……俺に出来る事であれば、なんでも言って下さい」

「ありがとう……申し訳ない」


 鷹田家の旦那さんは、目を涙でいっぱいにしながら雪緒に何回も何回も頭を下げた。

 この人にこんなにも頭を下げられたのは、あの事故の後の葬式くらいだろうか。あの時も涙を流しながら何度も何度も、雪緒に頭を下げていた。

 そんなに頭を下げないでいいのに。

 あの時、もうまともに思考が出来ていなかった雪緒はそんな事を考えていて、今も同じような事を考えていた。

 雪緒はただの手伝いだ。これから別の家の人も手伝いに来るだろうし、きっとその人達の方が戦力になるだろう。

 ご家族に頭を下げると、雪緒はひとまずは玄関先の掃除をしに立った。

 本当は喪主に色々と指示してもらったほうがいいのだけれど、あの調子ではもう少し棺の前から離れなさそうだ。


 それに、今の雪緒はどうにも細かい仕事が出来そうにないと、自覚をしていた。

 どうにも頭が痛くて、ここに来る前に嘔吐をしてしまったからか胃も痛いし身体が怠い。体調不良を理由に休んでいればよかったのかもしれないが、家に居るのも嫌で外に飛び出してきて、今だ。

 体調が悪くても、手伝いに来たからには少しでもなにかしなければ。

 雪緒は、玄関先に立てかけてあった箒とちりとりを手に取ると、玄関を開け放ってまずは玄関先の土を履き始めた。

 こういう単調な作業をしている時は、どうしたって頭が無駄に動いてしまう。


 最近の自分はおかしい。

 昔から少し人とは違う所があるとは思っていたが、この帰省で余計にそれが顕著になっている気がする。

 葬式が続いてナーバスになっているのだろうか。そうならいいのだけれど、どうしたって昨日から今日にかけての光景が頭から離れない。

 日常が侵食されているような、嫌な感覚。

 思い出したくない記憶を無理やりに引きずり出されるその感覚は、吐き気をもよおすほどの気持ち悪さだ。


「うっ……」


 箒で玄関先を掃いている雪緒の足が、ズキリと痛む。

 湿布がなくて、仕方なしに包帯だけを巻いてきたあの足だ。ボトムスの裾を持ち下て見てみれば、包帯がズレたのか少しばかり赤い手形も見えてしまっている。

 足に力をいれれば痛いし、手形を見れば気分が悪いし。

 雪緒は、足を引き摺りながらなんとかかんとか玄関先を掃き続けた。こうなると、余計な事を考えている余裕なんかはない。

 ただただ、無事に葬式が執り行えるようにと少しずつでも準備をすることだけを考える。

 玄関先のゴミはほとんどが土だから、ちりとりで取ったゴミは裏庭に捨てる。

 ゴミ袋を用意したりする手間がないのはありがたいが、しかし裏庭との往復は地味に足に負担がかかった。


「ユキくん」

「はい?」


 玄関先にこびりついていた黒い油のような液体を包帯の先でゴシゴシと擦っていると、聞き覚えのある声に呼ばれて雪緒は顔を上げた。

 しかし、上げた視線の先には、誰も居ない。

 暑さのせいで幻聴でも聞いていたのだろうか。首を傾げて、雪緒が再び声のした方を見ると、地面が濡れている事に気がついた。

 木々の葉の影に隠れて、黒く地面が濡れている。誰か水で濡れでもしたのかとそちらへ足をやると、雪緒はチリチリと頬を焼く強い日差しに目を細めた。


『おにぃ……ぢゃぁああぁん……』


 ハッと、息を呑めたかどうか。雪緒には分からない。

 だが、チリチリと頬を焼く陽光はいつのまにか顔を焼く炎になり、その炎は生け垣に突っ込んだ車から上がっていた。

 生け垣には傷の一つもないのに、運転席がぺしゃんこになったトラックから火が上がり、その隙間から腕が伸ばされる。


『お"……にぃ……』


 腕からは、衣服なのか皮膚なのか分からない何かが垂れ下がり、炎の勢いでヒラヒラと泳いでいた。

 炎の圧。

 熱波の痛み。

 雪緒は、すっかり忘れていたと思っていたそれを思い出して、壁とトラックの隙間に居た両親のその姿を自分が〝ていた〟ことも、思い出した。


 足首が痛い。

 吐き気が酷くて、雪緒はその場で激しく嘔吐した。

 食事なんかろくにとってはいないから、吐き出せるものは胃液ばかりだ。

 それでも何度も何度も、胃がひっくり返っているのではないかと思うほどに吐き出して、雪緒はその場に膝をついた。


『ゆぎお" ぉおぉお……』


 父の声が、母の声が、ごうごうと燃え盛る炎の隙間から雪緒の鼓膜をなぶって、突き刺して、頭がぐらりと揺れた。

 雪緒はもうお兄ちゃんだもんね。春風が生まれた時に母が言ってくれた誇らしい言葉を、その呼び方を、炎の向こうに居るものが塗り替えていく。

 耐えきれずにその場に倒れそうになった雪緒の手を、誰かが掴む。

 ガクリと半端に傾いた雪緒の身体は、地面からの熱なのか、それとも燃え盛るトラックからの熱さなのか――わからぬそれで煮立てられた。


『ごっぢへ、おいでえぇえぇ……』


 その声は、最早聞こえていたのか、聞かされていたのか。

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