無事に午後休を勝ち取り黒猫茶屋に戻った鷹羽の表情を見た千百合は、彼にまた「何か」があったのだと察した。
鷹羽の目は、ヒトの「目」とは違う「眼」だ。
鷹とついているのに、猫のソレに近い眼。
「鷹の目」と言えば何一つ見落さないよう何かを集中して狙っているあの鳥の習性を示した言葉だが、「猫の目」にも一応の意味がある。
あまり現代のヒトには浸透はしていないようだが、「猫の目のよう」とは、目まぐるしく変わりゆく物事を示す言葉なのだ。
つまり彼は鷹の目のように集中して人外を見据えつつ、猫の目のごとく目まぐるしく変化するものを見つめている。
まぁなんとせわしないことだろう。
千百合は、久方ぶりにヒトに同情をした。こんなのでは、猫宮が記憶を消してやろうとしたのも頷ける。
鷹羽は何故猫宮が記憶を消そうとしたのかを理解していないようなのが残念だと、千百合は思う。
冷静に考えれば分かる事じゃないのか。
自分たちとの出会いでより彼の「鷹の目」が研ぎ澄まされてしまったのではないか、ということくらい。
怪異、幽霊、妖怪、
だがそういうものは存在している事を
鷹羽とて、ヒトにとって一番身近である幽霊の存在は理解していただろうが、他の存在についてはわかっていなかったはず。
それが、猫宮との出会いで、短いとはいえこの黒猫茶屋に通う日々の中で、変わってしまった。
その事実に気付いた時の猫宮の動揺ぶりと言ったら、まだ鷹羽には話せないだろう。
人間の中には、境界線の向こう側の存在を識り、触れることで精神的に影響を受ける者は少なからず居る。その傾向がプラスかマイナスかは本人の資質で違うものだけれど、多分鷹羽にとってはいい方向での影響ではなかったのだろう。
それは猫宮の嘆き方を見ていれば、自然とわかったことだ。
認知し、認識しなければ、彼は「ちょっと霊感があるだけの普通のヒト」のままだったのに。
「鷹羽さん、行ける?」
「……うん、大丈夫。何か持って行ったほうがいいものとかある?」
「冷蔵庫の中のペットボトルを1本持っていこ。あと、カフェの入口を閉じて」
「あの水か」
「綺麗なお水は、お土産になるんだよ」
特に今回訪ねるヒトは、綺麗な綺麗な水を好む。
鷹羽は首を傾げていたけれど、眠っている猫宮の近くに荷物を置きつつ容態を確認してから、カフェの入口を閉じに行った。
古書店側は、いつでも開かれている。
入れる者は古書を必要としている者だけなのでシャッターは閉じたままだが、必要な時に必要なものを提供するというのが〝マスター〟の意向なので、今回も閉めていかない。
けれど、カフェの方は鷹羽のように迷い込んでくる者が居ないとも限らない。
そういう存在の相手を出来るのは猫宮だけだから、彼が使えない今は閉店しておかねば。
千百合は、例えそれが助けを求めてきたヒトの子供であったとしても、猫宮が「助けよう」と言わない限りは動くつもりはサラサラ無いのだ。
鷹羽のことも、猫宮が気にしていなければここまで関わってやるつもりもなかった。
猫宮が彼に気を許したから──彼の数少ない友となったから、関わってやっているだけで。
「電車でね、ちょっとだけ移動するの」
「ならタクシー乗ろうか」
「お水を忘れないでね。千百合も1本持って行くから」
「うん」
鷹羽はポケットに携帯と財布を突っ込んで、キッチンの冷蔵庫から水を取り出した。
千百合も1本持って外に出て、しっかりとカフェの入口の扉を閉める。
最後に鷹羽にシャッターを下ろしてもらって、その鍵もしめた。
中で眠っている猫宮のことが気にならないかと言えば気になるが、家の中には四匹の猫がいる。
あの子たちが居れば、いざという時にはちゃんと呼んでくれるだろう。
それに、猫宮も
まだ、もう少しの間は。
「会いに行く人って、どんな人なの?」
「カガチさんだよ」
「かがち……?」
「カガチ。蛇の神様のことだよ」
タクシーに乗ってすぐ、千百合は覚えている住所を運転手に告げた。
そこは何の変哲もないただの住宅街なのだけれど、だからこそ不穏に感じたのか鷹羽の肩がぎゅっと竦む。
蛇の神、と聞いて、本能的に畏れを抱いたのだろう。
鷹だから蛇が苦手なんだろうか、と思ったが、最近はそこまで名前の文字に引っ張られているヒトも居ないかと思い直す。
少し前の時代まで、ヒトの名前とその文字は、その魂まで映し出すものだった。
虎のように強い子になって欲しいと虎や寅といった名前をつけたり。
長く太く生きて欲しいと「太」と文字のつく名の少年は沢山居たものだ。
千百合の名前とて、猫宮が考えに考えてつけてくれたもの。
特に苗字は強い意味を持っていた。
だからこそ日本人は自分の望む文字を探し、苗字を作った。
大名や偉いさんなんかは、より縁起の良い文字をと同じ音でも違う文字に変えたりもしたと聞く。
そういう人間らしい感情は千百合にはわからないが、鷹羽の苗字とて何か強い意味を持ってつけられたものだろう。
「それって……蛇そのものだったりする?」
「どうだろね。でも、わたしたちはずっと、カガチ様って呼んでる」
「千百合ちゃんも知らないの?」
「だって、丸呑みされたら怖いもん」
基本的に、千百合たちのような存在は、自分よりも強い存在には逆らわない。
関わらないし、逆らわないし、干渉し合わないのは暗黙の了解のようなものだ。
鷹羽はただのヒトだから多少の失礼は許されるかもしれないけれど、千百合くらいの大きさだと丸呑みにされる可能性もある。
蛇は、特に強い。
死と再生の象徴であり、日本古来の神話にも
蛇やカガチといった言葉そのものから、違うものが生まれたことだってあるのだ。
それは、多少強がって見せても千百合なんかよりはずっと〝大きい〟。
タクシーに乗って20分しないくらいの時間で、目的地の近くに到着した。
千百合は運転手に近くのコンビニに下ろしてもらうように頼むと、蛇という言葉だけで怯える鷹羽を引っ張ってタクシーを降りる。
さてここからは徒歩だ。まだ午後に差し掛かったばかりの、夏の日差しが頭頂部を焦がす。
「あ」
そうしてすぐ、鷹羽の目が千百合から離れてコンビニの向こうの路地を追った。
つられて見れば、塀の上に猫が居る。
一匹、二匹──たくさん。まるで自分たちが来るのが分かっていたかのように、この辺の野良猫たちが千百合たちを見ていた。
「千百合ちゃん。今……」
「うん」
「向こうの路地を、ヒトじゃないのが走ってた」
え、と顔を上げると、鷹羽の目は猫ではなくその奥の曲がり角を見ているようだった。
改めて見れば。猫たちは尻尾をゆらゆらさせていて、ほんの少し警戒しているように見える。
だが千百合には、鷹羽の言う「ヒトじゃないもの」は見えなかった。
無意識にコンビニを見ていた千百合のタイミングが合わなかっただけかもしれないが、ほんの一瞬で「ヒトじゃない」と判断できた鷹羽の目は、成長しているのかもしれないと、思う。
きっと、猫宮は本意ではないだろう。
自分を助けるために、鷹羽の目が徐々に良くなっているだなんて知ったなら。
彼ならきっと、鷹羽をより「日常」から遠ざけてしまったと、悔いてしまうことだろう。
「行こう、鷹羽さん。こっちだよ」
「あぁ」