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第7話


(脈も呼吸も、問題はないな)


ウィルの手首に触れていた手を退け、息を吐く。体が回復に向かっているのだろう。苦手な人物が隣にいるのに無防備で寝始めるウィルに、子供たちがシーと口に指を添え合う。その微笑ましい姿に、サイモンは子供たちと同じように口元に指を当てると、子供たちを連れて部屋を出た。


アリアの方には既に顔を出している。元気そうな彼女は、怪我をしたことよりもしばらくの間特訓が出来ないことにショックを受けていた。


子供たちを孤児院まで送り届けると、サイモンは森の中へと入っていく。

やがてアリアたちが襲われていた場所に戻ってくると、既にそこには誰の屍も残っていなかった。残っているのは、人間と一緒に焼けて黒くなった地面と、近くの木々。そして、残された白いローブの切れ端くらいだ。


「それにしても、アイツらは何だったんだ?」


回収しに来た人間の魔力の残り香はあったものの、属性や人間を特定するまでには至らなかった。

(新しい宗教団体の実態が少しは掴めるかと思ったけど……そう上手くはいかないな)

サイモンは落胆に肩を落としながら、周囲を注意深く見る。何か手掛かりになる物でもあればと思ったが、やっぱり見つからなかった。


サイモンは立ち上がり、ローブの切れ端を手に取る。マントには耐熱魔法でもかけられていたのか、思った以上にしっかりとした生地で作られていたらしい。……まあ、雷の電圧には敵わなかったようだが。

(やっぱり、見たことのない紋様だな)

逆さに吊るされた人間に蛇が絡まっているかのような、人間の手足がタコになっているかのような、そんな紋様。じっと見ていると不安感を煽ってくるようで、サイモンは不快感につい出した炎で布を燃やしてしまった。


「あっ」


証拠として持っておこうと思っていたのに。

(……まあ、いっか)

どうせ困るのは自分一人だ。幸い紋様は覚えているし、シスターたちには絵を描いて渡しておこう。

サイモンは踵を返すと、孤児院へと向かった。




孤児院では子供たちが家の掃除をしていた。

乱暴な来訪者のせいで散らかってしまった家の掃除は、日に日に片付いているらしい。土だらけだった床も散らばっていた物も、全部綺麗に戻っている。あんな出来事なんてなかったかのような空気だ。

だが、元気なアリアがいないことと壁に着いた焦げ跡は、あの時間が嘘ではなかったことを突き付けて来るようだった。


「ジャン、それはこっち! ベルは母さんの方を手伝ってくれ!」


(お。アラシの声だ)

ふと聞こえた声に、サイモンは家の中を覗き見る。アリアの次に年長であるアラシは、彼女がいない代わりに必死に頑張っているみたいだ。汗を拭いながらも小さな体で頑張っている姿は、微笑ましい。

(ここで顔を出したら邪魔になるかもな)

サイモンはそっと顔を引っ込めると、シスターがいるであろう部屋に向かうことにした。


L字になっている建物の内側を突っ切り、外廊下から中に入る。低い本棚を通り過ぎ、通り過ぎる子供たちに挨拶をしながら廊下を歩く。すぐに見えて来た扉は半分開いており、中には子供たちとシスターが楽しそうに話をしていた。トントンとノックをすれば、みんなの視線がサイモンを見る。


「サイモンさん……!?」

「こんにちは。手伝いに来ました」


「何か困っている事とかありませんか?」と問えば、慌ててシスターが立ち上がる。子供たちが「サイモン兄だぁ!」と声を上げると嬉しそうに駆け寄ってくる。子供たちを受け止め、サイモンは彼等の頭を撫でた。「遊んで!」「えほん読んで!」と強請って来る子供たちに「後でな」と告げ、シスターを見る。

落ち込んだ顔をする彼女は、何かを話したそうにサイモンを見た。――ふむ。


「そう言えば、さっきアラシ兄ちゃんが困ってたぞ。」

「アラシおにいちゃんが?」

「そう。みんなで助けに行ってあげてくれないか?」

「「「いくー!」」」


わーっと声と手を上げ、パタパタと走り去っていく子供たち。小さな背中を見送っていれば「ありがとう」とシスターの声が聞こえる。振り返れば、シスターが深々と頭を下げていた。


「あ、いえっ。こんなことでお礼を言われるほどじゃ……」

「いえ。今の事だけじゃないわ。――アリアとウィルを助けてくれたのでしょう?」

「!」

「本当に、ありがとう」


シスターの言葉に、サイモンは目を見開く。彼女に二人を助けたことは言っていない。

確かに、二人を病院に運び、シスターに報告したのはサイモンだ。だが、その時言ったのは「二人が孤児院とみんなを守ってくれた」ということだけだ。

(そりゃあ、どでかい魔法を一発かました記憶はあるけど……)

それだけでサイモンだとわかる人間は、少なくともここにはいないはずだ。

アラシたちから聞いたのか?と考えながら、サイモンは首を横に振った。


「いえ、俺は何もしていませんよ。守ったのは二人ですから」

「……そうね。でも、お礼を言わせて欲しいの。本当に、ありがとう」


深々と頭を下げて再び告げるシスターに、サイモンはそれ以上何も言えなかった。


「いえ……寧ろ、迎えに行くのが遅くなってしまってすみません」

「ううん。あの子達が無事だっただけで、それでいいのよ。それにサイモンくんはアリアに剣も教えてくれていたんでしょう?」

「えっ」

「あの子からお願いしたとはいえ、あの子を強くしてくれてありがとう」


ふふっと笑うシスターに、サイモンは顔を真っ青にする。


「す、すみません。勝手に教えてしまって……」

「いいのよ、気にしないで。それより、ウィルがご迷惑かけなかったかしら? あの子、私達の事になると周りが見えなくなっちゃうのだけれど、アリアにはとびっきり甘いから、サイモンくんに迷惑をかけていないか心配で」

「あ、あははは……」


……この人、一体どこまで知っているんだ?

冷や汗を背中が伝うのを感じる。このままじゃウィルのやっていたことがバレてしまうかもしれない。

シスターが怒ったところは見たことがないが、普段ニコニコしている人が怒ると怖いのは定石だ。サイモンは静かに会話を逸らすことにした。


「そ、それより、二人は本当に勇敢でしたよ。子供たちを守って二人だけで立ち向かったと聞いた時はひやひやしましたけど、迎えに行った時にはもうほとんど片が着いていて、僕はちょっと手を貸すくらいで終わってしまいました」

「そうなの。まさかあんなに小さかった二人がねぇ……」


しみじみと呟く彼女に「感慨深いですね」と告げれば「ええ。自慢の子供たちよ」と上機嫌に笑う。さっきまでの浮かない表情はいつの間にか消えていて、サイモンは胸を撫で下ろした。

サイモンが訓練中のアリアの様子や、ウィルの心配ぶり(乗り込んできた時のことは除く)を話せば、シスターは嬉しそうに笑ってくれた。

(シスターも、本当に子供たちを大切にしているんだな)

サイモンはそう内心で呟く。互いに大切に思う関係性は、サイモンにとってはとても懐かしい感覚だった。


話し終えたサイモンに、シスターは「二人を相手してくれてありがとうね」と笑うと、小さく息を吐いた。物憂げな顔をする彼女に、サイモンは首を傾げる。


「どうかしたんですか?」

「えっ、あ、ううん。何でもないわ、ごめんなさい」


彼女は苦く笑うと首を横に振った。しかしその表情は浮かない。

(そんな顔で何でもないって言われてもな……)

サイモンは眉を下げる。


「よければ聞きますよ。どうせ俺は余所者ですし、もし教会関係なら俺にも関わってきますから」

「それは……そうなのだけれど……」

「口外禁止じゃないなら、いいじゃないですか。むしろ俺に情報を与えると思ってくれれば」


「旅は情報が命ですから」と告げれば、眉を寄せたシスターがサイモンを見る。不安そうな視線に笑みを向ければ、彼女は観念したように肩を落とした。


「実は、教会の方で話題になっている事があってね……もしかしたら今回来たのはその人たちに関係するのかもって」

「えっ?」

「その人たちは新しい宗教を説いているみたいなの」

「新しい宗教?」

「ええ。我が国では、異教徒の進行は禁止されていないから、それは良いのだけれど……彼等が行った場所でいろいろなトラブルを起こしているみたいなの。教会側としては、見かけたら少し注意しないといけないって話になっているのよ」

「そうなんですか」

「ええ」


俯くシスターは難しい顔をしていた。孤児院が襲われた上、教会の方でもトラブルが起きているなんて聞いたら、そりゃあ心配になる気持ちはよくわかる。

(それにしても、新興宗教か)

最近新しい宗教を開くのが流行っているのか?

(……そういえば、アイツらも神がなんとかとか言っていたような気がするな)

我が神が~とか、選ばれたとか。……思い出したら腹が立ってきた。


「教祖様が言うには、百年前から徐々に信者を増やしているみたいなの。まあ、スクルード神の絶大な力には未だ勝てなくて、あんまり増えてはいないそうだけれど……」

「そうなんですね」

「ええ。でも、無信仰の人を中心に少しずつ勢力を広げているのは確実なの。貴方も無信仰でしょう? 気を付けてね」

「は、はぁ。ありがとうございます」


サイモンは苦く笑いつつ、お礼を告げる。

生まれてこの方、神なんてものを信じたことのないサイモンにとっては全く関係のない話だが、心配してくれたことは素直に嬉しい。

(まあ、面倒事に巻き込まれる前に、自分でも注意しておくか)


「えっと、シスター。その人たちの特徴やシンボルってわかりますか? もしよければ教えて欲しいんですが」

「え? ええっと、確か白いローブに蛇が絡みついているような模様を背中に背負っているとか……」

「!」


サイモンは息を飲む。

(――もしかして)

サイモンは慌てて立ち上がると、シスターに紙とペンを要求する。戸惑いながらもメモを差し出してくれるシスターから受け取ると、ついさっき森の奥で見かけた紋様を書き記した。

白いローブ。蛇が巻き付いたようなシンボル。それにサイモンは心当たりがあった。


ペンを滑らせ、サイモンは必死に記す。記憶から引っ張り出したからあまり詳しい所まではわからないが、特徴は掴めていると思う。


「そのシンボルって、もしかしてこんな感じじゃなかったですか?」

「えっ」


メモを突き付けられたシスターが目を見開く。メモの上には黒い線がのたうち回ったような、絵とも言えない物が書かれている。……正直、廊下に貼られた子供たちの絵の方が上手いと、シスターは思ってしまった。頬を引き攣らせ、サイモンを見る。五大英雄と言われたうちの一人でも、苦手なことはあるらしい。

シスターの灰色の瞳が戸惑いがちに視線が揺れる。純粋な目で首を傾げるサイモンに、シスターは視線を逸らした。


「あ、えっと……ごめんなさい。話は聞いたんだけど、どんな絵なのかはわからなくって」

「そう、ですか」


サイモンは差し出したメモを下げた。此処でわかれば手がかりが出来るかもしれないと思ったのだが、やはり甘かったらしい。サイモンが肩を落としていれば「あっ。で、でも、イメージはそんな感じだと思うわ。上手よ」と謎のフォローをされた。


サイモンはシスターたちも気を付けるように、と声をかけると、席を立った。そろそろ飽きた子供たちが帰ってくる頃だろう。邪魔をしてはいけないと足早に部屋を出ると、孤児院の外にでた。

再びアラシの様子を見に行けば、疲れてしまったのか。数人の子供たちと寝てしまっていた。サイモンは彼等に自身のマントを掛けると、町へと降りていく。今日は宿屋の雨漏りの修理を頼まれていたのだ。以前騒がせてしまったお詫びである。


(それにしても、ここ百数年で目に見えてトラブルが増えたな)

此処だけじゃない。突然天候が不安定になったり、争いにはなっていないものの他種族同士の小競り合いが定期的に起きていたり。この前は王都付近で龍の魔物が暴れていたと、風の噂で聞いた。まあ、この国の騎士団が収めてくれたようだが。


「……多少気を付けるか」


サイモンは踵を返すと、孤児院に手早く結界を張った。念のためである。

再び町の方へと向かい、帰り際に見つけたパン屋でお詫びの品を買うと、サイモンは宿へと戻って行った。

宿に戻ったサイモンがパンを差し出しながら謝罪をすれば、「二度目はないですからね」と言われながらもなんとか赦しを得た。雨漏りする天井を直し、サイモンは自室でベッドに横になる。


……もう少し。

せめてアリアに剣の型を教え終わるまでは、この町に居たい。

(それが終わったら、南にでも行ってみるか)

サイモンは目を閉じると、襲い来る疲労感に追われるように夢の中へと旅立った。




アリアとウィルが目を覚ましてから、二週間。

無事退院した二人に、サイモンは旅に出ることを話した。アリアは駄々を捏ねたが、サイモンは首を横に振った。サイモンが旅立つまであと一か月。アリアにはその間、出来る限りのことを教えることを約束し、彼女は納得してくれた。


「腕が下がってる!」

「はい!」

「重心の切り替えが遅い!」

「っ、はい!」


いつも特訓している場所でウィルと打ち合いをするアリアは、サイモンの言葉に高らかに返事をする。それを聞きつつ、サイモンは二人の動きをじっと見て時折声を上げる。

アリアたちの為に取っていた一か月は、まるで風のように過ぎて行った。



一か月後。

サイモンは町の出入り口で、町の人たちに見送られていた。


「元気でいろよ、兄ちゃん!」

「また魚買いに来てくれよ!」

「おう。ありがとう」


町の人たちに声を掛けられ、サイモンは笑みを浮かべる。

この町に来て一年弱。サイモンにしては長い間、この町に居座ってしまっていた。居心地がよかったのもあるが、成長の楽しみな弟子が出来てしまっては、中々この場を去る決意が出来なかった。

サイモンは町の人たちに返事を返しながら、周囲を見回す。

(アリアは……来ていないか)


サイモンが帰る日が近づくと共に、サイモンから逃げるようになったアリア。ここ最近、彼女の太陽のような笑みを見ていない。シスターは「別れるのが寂しいのよ」と言っていたが、サイモンとしては無視される方が寂しい。

(……仕方ない)


「それじゃあ、そろそろ」

「気を付けていけよ!」

「ありがとう、アラシ。君も頑張るんだぞ」

「気を付けてね、サイモンくん」

「ありがとうございます。シスター」


サイモンは頭を深々と下げると、町に背を向けて歩き出す。その背中を、小さな影が睨みつけるように見ていた。




「……絶対、もっと強くなってみせるから」


風に攫われた小さな声に、サイモンは小さく笑みを浮かべる。

(聞こえてるぞ、アリア)

でも、楽しみだ。サイモンは振り返ることもせず、南へと向かって行った。


そして旅をすること三年――サイモンは今、海の上で船に揺られていた。



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